第8ワン 西野さんは天然でした

「やっぱり、動画を活用するべきだと思うんだ」

取材を受けた翌日、一匹と一人は今後の活動について話し合っていた。

具体的には言葉の問題である。前日の取材において選挙のためにジョンがいろんな人とコミュニケーションを取るには困難が伴うことが浮き彫りとなった。

「ワン!(でもやっぱりテレビみたいに街で遠吠えがしたい)」

「でもね、ジョンが街頭演説をしても内容がわかるのは僕だけなんだ。だからやっぱり動画を活用してより沢山の人に字幕付きでジョンの演説を聞いてもらう方がいいと思うんだ」

「ワン!(動画はジョンが作ってくれるの?)」

「……」

マサルにとって思わぬ盲点がそこにあった。動画でジョンの演説を配信するにはそれなりの動画配信技術が必要なのである。

「僕パソコン苦手だ」

「ワン!(どうするのさ?)」

「困ったな、誰かに頼むとしても、誰に頼めばいいんだろう?」


玄関で大きな物音がしたのはその時であった。

「ワン!(誰か来たのかな?)」

「今日は誰か来るとかは聞いてないよ」

二人はそのまま話し合いを続けようとしたが、そうも言っていられない状況になってきた。

「ワン!(なんか外で泣いてるよ)」

「ジョンが見てきてくれよ」

「ワン(マサルの方が玄関に近いところに座っているよ)」

マサルは言い訳を始めたジョンがテコでも動かないことを知っていたので、ため息をつくと玄関に様子を見に行った。

扉を開けてマサルが見たのは、家の前で盛大に転けて泣いている女の子であった。人気なキャラクターをあしらったフード付きのパーカーを着ており座り込んでいるので身長はわからないがどうも150前後なように見える。

「小学生……?」

マサルがそう呟くと、ぐずっていた女児が劇的な反応を見せた。

「小学生っていうなあぁぁあ!」

そう叫ぶと立ち上がった女子小学生(立ち上がってもそう見えた)は20秒近くポケットを漁ってカードをとりだした。

免許証であった。

「西野カナエ。27歳。もしかしてこの前取材に来てくれた記者さんですか?」

「はい! 記者さんでした」

マサルは『記者さんでした』という言い回しに違和感を覚えたがそれより気になることや聞かなければならないことが多かったので脳内メモ帳にメモをして別のことを尋ねた。

「その免許証失効してますけど大丈夫ですか?」

「失効って効き目がなくなる失効ですか?」

「はい」

「免許って失効するんですか?」

なんだか様子がおかしいと思いつつマサルがなんと答えようか と悩んでいると、西野記者(?)が座り込んでしまった。動きの大きな方である。

「有効期限なんてあったんですね……、でも大丈夫です。どうせ運転できませんから」

西野記者はそういうとしゃがみこんで「そういえばなんか手紙が来てたな…」「もう一回取らなきゃいけないのかな?」などボソボソと呟いていた。

「えっと、それでなんでここにいるんですか?」

「そうでした、私ジョン候補の選挙事務所を探していたんです! どこにあるかご存知ですか?」

「ここですよ」

西野記者はマサルと玄関を交互に見て、そして様子を見に来たジョンを見て。「なるほど」と呟いた。

マサルは記者が私服で来たことや、前回来た時と別人のように見えることなど違和感はあったが、とりあえず家の中に入ってもらうことにした。

「ワン!(この人なんで来たの? この前の記者さんだよね?)」

「そうだよジョン、これから聞くんだ」

「ジョン候補お久しぶりです! お元気ですか?」

西野記者は初めて来た時と同じようにジョンと目線を合わせてはなしかけた。

「えっと、それで本日はどのような要件ですか?」

ジョンに向かって「少し痩せましたかね?」などと世話話を始めた西野記者に恐る恐る尋ねる。ジョンは困惑している。

「えっと、要件? なんでしたっけ?」

西野記者、笑顔でとんでも無いことを宣った。

「失礼ですが、お引き取り願います」

丁重に玄関への扉を開けるマサルに対して西野記者は土下座をした。驚いたのはマサルとジョンであった。

「どうしたんですか?」

「ワン!(この人やっぱり帰ってもらおうよ)」

「話を聞いていただきたいんです!」

「もしかしてセールスに転職したんですか?」

「いいえ、まだ転職していません」

西野記者は控えめに首を横に振った。

「ですよね、あの日本政治経済新聞の記者が…、ん? まだ?」

マサルは今まで感じていた違和感の行き着く先、無意識に避けていた結論がもはや避けようの無いものと化したことに気づいた。

「新聞社やめちゃいました! てへ?」

「てへじゃ無いですよ! こんなところで何やってんですか!」

「実はですね、このまえジョン候補に取材した内容を記事にしようとしたんですよ。そうしたらデスクがダメって言ったんですよ! あっ、デスクって別に机と喋ってるわけじゃ無いですよ、喋るのはサボテンです、じゃなくてデスクって上司です、いえデスクって名前の外国人が上司なわけではなくてですね、えっと」

「落ち着いてください!」

西野記者(?)は大きく深呼吸して落ち着こうと努力をした。ジョンは顔を西野記者(?)に擦り付けて慰めようとしていた。健気である。

「落ち着きましたか?」

「はい、えっとですね、それで、上司と喧嘩をしちゃったんです。それで『でてけ!』って言われたから荷物まとめて出て来ちゃって」

「それでやめて来ちゃったと」

マサルは頭を抱えた。ジョンも心なしか頭を抱えているように見える。


話をまとめると次のようになった。

前回、ジョンの取材に来た日に西野記者は取材した内容を記事にしたらしい。本人曰く極めて真面目でスタンダードな記事を書いたそうだが、それが上司の意向に反してしまって喧嘩になったとのことである。

マサルはなぜそのようなことになったのかを理解した。世間一般の反応として選挙に立候補する犬は主に嘲笑の対象になる、しかし西野記者は人間の候補者に対するのと同じ態度で取材をしてくれた、そして同じように真摯な姿勢で記事にしたのであろう。

「なるほど、それは災難でしたね」

「それでですね、私考えたんです。やっぱり記者をやっていた身としてはフリーランスの記者をやりたいと思っておりまして、それでジョン候補を密着取材させていただけないでしょうか?」

最後の方をジョンの方に向かって言うと、どうでしょうか?と言わんばかりに首を傾げてみせた。

「ワン!(どうするの?)」

「そうだな、西野さん。密着取材はしてもらってもいいのですが、それとは別に一つ提案があります」

「なんですか?」

「ジョン陣営で選挙スタッフとして働いてみませんか? そうすれば取材もできます。正直言うと人手が足りなくて困っていたんです」

「ワン?(そうだったっけ?)」

「僕は困っていたんだよ」

「ワン!(でも西野さんも動画作れなかったら意味ないよ?)」

「別に動画を作ってもらいたいって言うのは少ししかないよ)」

そんなマサルとジョンのやりとりを眺めていた西野元記者は学校で発言を求めるように手をまっすぐ上にあげた。

「私動画編集できますよ!」

この瞬間、西野元記者はジョン選挙事務所のスタッフとなった。

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