第6話 バレンタイン・インビテーション
誕生日がバレンタインの後なのを、
なぜなら、クラスメイトはバレンタインに浮かれすぎていて忘れているし、家族に至ってはバレンタインと一緒にお祝いしてしまう。だから物心ついたときから、誕生日はチョコケーキだ。本当はいちごたっぷりのタルトが食べたい。
バレンタイン当日、学校はほんのりと甘い匂いがこもっていた。
案の定、友チョコと名前を変えた誕生日プレゼントをもらって、「ありがとう」と愛想笑いをしてみせる。クッキー、ブラウニー、トリュフ。市販のものもあるけれど、全部材料はチョコレート。
小さな紙袋にそれらを放り込んで、後で弟にあげよう、とか考える。
教室を見ると、男子も女子もどことなくそわそわしていた。思わずメモ帳を開く。こういうときに人間観察をしなければ、いい小説は書けない。
「天沢ー、山下が呼んでる」
後ろの席の男子に三つ編みを引っ張られる。やめてって言ってるのにやめてくれない。三つ編みの尻尾で軽く男子の頬を叩いてから、教室の後ろの入り口で手を振っている
「鐘花、図書室いこ」
顔を合わせるなり、文乃はがしっと鐘花の肩を掴んだ。
「文乃ちゃん、これからチョコたくさんもらうんじゃないの~?」
スタイルが良くて、ボーイッシュな文乃は、女子にモテる。美少年がセーラー服を着ているようで、正直子どもっぽいクラスの男子よりも格好いいと鐘花は思う。
ただ、彼女にも弱点はある。
「も~チョコはたくさん。見たくない。本が見たい」
「も~仕方ないなぁ、文乃ちゃんは」
彼女は甘い物が大っ嫌いだった。
「あ、天川先輩っ」
グランドに向かう途中か、体操着姿の
「お、端っこのテニス少年!」と文乃が言うと、テニス部の幹斗も元気よく挨拶する。
「幹斗ー先に行ってるなー!」
「後でチョコもらったか聞かせろよー!」
「そんで遅れて先生に怒られろー」
気を利かせてくれたのか、彼の友人たちは階段を飛び降りるみたいにとんっ、とんっ、と階下に姿を消してしまった。
「え、あ、ちょっとー、嵐志ー、煌晟ー、遼まってー!」
幹斗もそれを追いかけたが「あ!」と何かを思い出したみたいに振り返った。
「天川先輩! 今日の帰り、ちょっとお時間いいですかー?」
「へっ?」
「んじゃ、体育行ってきまーす!」
鐘花が答える間もなく、幹斗は笑顔で手を振ったと思ったら「ちょっとみんな待ってー!」と走って行ってしまった。
取り残された鐘花と文乃は顔を見合わせる。あまりにも唐突だったせいで、二人とも呆けた顔をしていた。
「文乃ちゃ……どうしよう……?」
「あたしに聞かない」
◇ ◆ ◇
帰りの時間になってしまった。
床に広がっている三つ編みを弄りながら、文乃か幹斗、どっちかが来るのを待つ。訳あって一人で階段を上り下りできない鐘花は、いつもこんなふうに誰かを待ってから教室を出る。
「天川先輩っ」
やってきたのは幹斗の方だった。教室の入り口に見えた背の高い影に、微かに胸が高鳴った。
「今日、部活はあるんですか?」
「一応あるよ」
「じゃ、すぐに済ませますね」
彼は鞄から小さな箱を出して、鐘花の前に差し出した。赤いチェックの紙でラッピングされたそれを見て、鐘花は固まった。
「ハッピーバレンタインです」
「どうして矢城くんが?」
「どうしてって?」
こてん、と首を傾げる姿は子犬みたいに見えた。
「矢城くんはチョコ、もらう側じゃないの?」
「それは男女関係ないですよ。姉が作りすぎたので、それを少し拝借しただけです」
なんだそんなこと、とでも言うみたいにコロコロと笑い出した。パステルカラーのような淡い笑い方だ。なんだ、本命じゃないのか、と少しがっかりしてしまった。
「ちょっとした口実です」
「口実?」
出された小箱から視線を幹斗の顔に移すと、ほんのりと頬に紅葉が散っていた。
「はい。明日の放課後、先輩のお時間をまるっと僕にください」
「明日?」
「はい。明日、です」
明日、という言葉になにか引っかかった。なんだろう。視線をそらして頭をフル回転させても、出てこない。
ふふっ、と幹斗の笑い声が零れた。それに呼応するように頬の紅色も増していく。
「二月十五日、です。先輩の、誕生日ですよね」
「え、知ってたの?」
「山下先輩に教えてもらいました」
なんとまぁ。身近に通じている人がいたのね。文乃のことだ、きっとその他のこともいろいろ垂れ流していそうでちょっと怖い。それにしても、今まですっかり忘れていた。バレンタインが好きじゃないのに、そっちのことばかり気にしていた。
「僕の家の近くに、美味しいケーキのお店があるんです。そこのいちごタルト、一緒に食べに行きませんか?」
「いちごタルト!」
「はい、いちごタルトです」
目の前がきらきらと輝くことって、本当にあるんだと実感した。口の中にいちごの甘酸っぱい味が、いつのまにか広がっている。
「でもなんで?」
「それ、わかってて聞いてますよね?」
少し意地悪な言い方をすれば、今度は照れたように幹斗は赤い頬を指で引っ掻いた。いつもにこにこしていて何を考えているかわかりにくそうだけど、実のところ、わかりやすい。
「好きな人の誕生日祝いをバレンタインで済まそうなんて、なんかせこいなって思って。誕生日はちゃんと誕生日でお祝いしたいじゃないですか」
幹斗の言葉の一つ一つに、想いが込められている。それがとても嬉しかった。胸からとくとくと温かくなっている。チョコが溶けてしまいそうだ。涼しい教室で良かった。
「いちごタルト食べますか? 食べませんか?」
「食べる!」
「それじゃ、これを受け取ってください」
すっと手に小箱が置かれる。彼の冷たさに、一瞬手を引っ込めそうになった。鐘花の両手にすっぽり収まってしまうくらいの小さな箱だった。
「明日はこの包装紙を持ってきてくださいね? これが招待状です」
「あ、なんかそのフレーズいいな~」
「どうぞ使ってください。先輩の書くお話に」
では、僕はこれで。と敬礼すると走り去ってしまった。途中、彼の友人だろうか「幹斗ー渡せたのかー?」という澄んだ声が聞こえてきた。
包装紙の中身はミルクチョコで作ったトリュフ一個だった。パウダーシュガーでコーティングされていて、チョコだけの甘さじゃない。チョコにしては面白い舌触り。ほんのり甘くて、ほろ苦い。
チョコが少しだけ、好きになったバレンタインになった。
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