兄と常世の因縁

兄と常世の因縁1




   人の死は、突然くるものだ。


   人生を全うできたと死んでいけるもの。やり残したことがあり悔やみながら死んでいくもの。常世へやってくる魂は、後者である。



   肉体を離れた魂は、肉体を現世に捨て、常世へやってくる。そこで未練があり強い意志を、常世を治める王妃に認められると、常世へ留まり、肉体を手に入れることができる。認められなかった者は、久世へ落ち、魂のままひたすらさ迷い続けるという。



   ある者は言う。死んだ先は決められるのかと。そしてある者はそれに反論する。死後の世界があるみたいに言うなと。するとこう返ってきた。あるよ、きっと。でも、どんな世界であっても、君がいなきゃ、地獄かもねと。





   ──────────────────






「唐紅月深。兄を追ってきたのだろう?だが残念だな、奴はもう現世には戻れんぞ」


   現世には戻れない?何を言ってるの?すぐさま問いただしてやりたいところだったが、肝心の声の主の姿が見当たらない。暗闇できいた声とはまた別物。そして聞き覚えのない声だ。聞くにも聞けないなんて…!


   悔しくて唇をかむと、不意に子狐と目が合った。


「こんっ」


   …可愛い。癒されてる場合ではないが、可愛いことに変わりはなく、私は微妙な顔つきになる。そう、もふもふとした毛をすりすり擦りつけてくるが、触れようとすると拒まれそうで手が出せない、そんな心境に似てる。



「おい、紫門!!そのふざけた姿はやめろ!お前と同格と思われるとこの俺が落ちぶれる!」


   絶対的癒し子狐に怒鳴り散らした人物にキッと鋭い視線を浴びせる。が、子狐が「こーん…」としょげた仕草をみせ、私の心はまたなんとも言えぬ歯がゆさに陥る。


   子狐にときめいていると、騒がしい声が今度は私に向けられていた。



「唐紅月深、久しぶりだな。何も知らずに兄貴を助けにでも来たのか?あほだな。その上間抜けだ」


   一言二言余計なことを付け加えるその男は鼻で笑い、私より背が高いというのにそこから顎を上げさらに見下してくる。西洋の灰白色を基調としたコートの襟を立てて羽織り、群青色の上下を覆っている。背筋がピンッと伸びた、育ちのよい貴族を思わせる身なりをしている。


   そしてこの人物もまた、私のことを、兄のことまで知っている。男は煎国さんの背に隠れる私との間合いをせかせかと詰めてきた。


   短く刈り上げられたふわふわとした色素の薄い茶髪、正義感が満ち溢れた真っ直ぐな瞳は獲物を窘める鷹に似ている。



「煎国さん、この人誰ですか」


   本人を目の前にして聞かれないようこっそり耳打ちする。さすがに本人に、聞けなかったため、というか聞いたらめちゃくちゃ暴言を吐かれそうで口が聞けないため、天使こと煎国さんに助けを求めた。


   肩越しに振り返るその瞳は優しく私を包み込むように見据えている。



「彼は霊王の一人、ハイドという者です。見ての通り、騒々しい方です」


   肩を竦め、はにかむ煎国さんを、霊王の一角ハイドは訝しげに見つめている。対峙したハイドが口を開こうとした時、すっかりその小柄な姿をハイドに隠されてしまっていた子狐が間に割って入る。


「こーん」


   愛らしい一声をあげると、後ろ足で項をかいた。見下ろされている視線など気にも留めず。


「この方も霊王の一人です。子狐の姿をしていますが、惑わされてはいけませんよ」


   それでも可愛いから問題なしとしよう。確か紫門と呼ばれていた子狐。



「あの、霊王って?」


「唐紅月深、まさか記憶がございません、とか生ぬるいジョーク言いにわざわざここへ来たのか?」


   私の質問は棘のある言葉に阻止された。



「ハイド君。月深を困らせるなよ。久しぶり、月深♪」


   困惑する私の名を次に呼んだのは───っと辺りを見渡すと、ザッと何かが降ってきた。熨斗目のしめ花色の髪が風に靡き、その横顔が映える。


   この人も私のことを知っていて、霊王なのだろうか。っていうか霊王って本当に何人いるの!?


   ハイドとはまた違った西洋の身なりをした男性は子狐の隣に立ち、横目でこちらを見るとニヤッと笑う。



「ふーん。やっぱり忘れているみたいだね。俺はアベル。君の夫さ」


「ご冗談はよしてください」


「似たことをついさっきも聞いたわ」


   煎国さんに次いで私も深いため息をもらす。すると鮮緑色の瞳が私を捉え、目をぱちくりさせた。


「なに、ネルに会ったの?いやー、嘘がバレちゃうわけだー。てか、ネルが君をここへ連れてきた、とか?」



   ネルって…。私の脳裏を片目を隠した少年の姿が過ぎる。まさかここで名が上がるとは思わず、不意をつかれ動揺してしまう。


「えーと、というか、その…」


   何を言っているのかさっぱりで頬がひきずり変な冷や汗がでる。そこにつけ込まずにはいられないとばかりに、ハイドが棘を放つ。



「何言ってんだお前。よく分からないが、兄を連れ戻しに来たんだろ?けど、それは俺達が許さねぇ…お前に記憶がないなら教えてやるよ」


「っハイドさん!それは…!」


「あんたは黙ってな。唐紅陽丞は王妃様との約束を果たしに常世へ来たんだ。奴はもう現世には戻らない」


「の、はずだったが、奴は姿をくらましての。小娘、お前が身代わりになってもよいのだぞ。元よりお前が橋渡しの力を有しておるのだからな」


「っ…芥生さん…」



   口調こそは男だが声は妖艶なる女の人のものだ。頭上からふわりと降り立った黒髪ストレートの美女はいかにも魔女を思わせる、全身黒で染め上げたドレスを身にまとっている。


   魔女はくりくりの瞳でこちらを見据えるが、その眼光は威圧感があり、痛い。彼女も霊王の一人だろうか。


   そして王妃とは常世というこの世界で一番偉い人で、兄はその人との約束を果たすために、やはりここに来ていたんだ。その約束が何なのかは分からないが、現世に戻らない、戻れないのはただ事ではないことははっきりとしている。



「霊王達は月深さんに何の用ですか」


「用?俺は異常な霊力を感じたから見に来ただけだ。そしたらどうだ。唐紅月深がいるもんだから驚いたな」


   ぎくり。煎国さんが霊力を使うなと言ったのは、この人達に感ずかれるからだったとは。今更知っても遅い…。



「小娘が橋渡しの儀式を潰すというのであれば」


「そうだな」


「こーん…」


「うーん、俺は手、出さないけどね」


   魔女の一言に霊王達は一斉に私を捉えた。


   煎国さんに焦りの色を見せるハイドともう一人の霊王、芥生は口調こそ違えど、同時に言葉を放つ。



「「お前を排除する」」




 

 


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