兄の厄介事4



  突然の誘いに思考が固まる。確かにお腹は空いてるし、一人で常世の街を行くのも心もとない。これは、行くしかない!


   半秒して私は満面の笑みで返す。


「ご馳走になります!」


   意地汚いと内心自分を咎めるも、煎国さんはにこーっと天使の微笑みを思わせる表情で、


「では行きましょうか」


   と手を差し伸べてくれた。って、えぇ!?


「あの、」


   純白の袖から伸びる白くて綺麗な手。初対面の、それもこんな美青年と手を繋ぐなんてこと、ばくばくと騒がしく暴れる心臓を撫で下ろすように私は煎国さんの手をとるのではなく、胸に拳を押し当てた。


「逸れるといけないので、ほら」


   柔らかな口調に合わせて手のひらが優しく差し出される。これは、ずるい。不覚にもときめいてしまった私は致し方なく、煎国さんの袴の裾を掴むことにした。



   煎国さんはその空色の綺麗な瞳でそれを見るとぱちくりと瞬きした。


「これなら逸れないと思います」


   そっぽ向いてそう言う私の抵抗に、煎国さんは意外な行動をとった。


「だめですよ」


「えっ?」


   裾を弱々しく掴んでいた私の手をとり、ぐいっと自分の方に寄せたのだ。気付いた時には吐息が絡むほど距離が迫っていた。至近距離で見つめる煎国さんの表情は真剣で、私はいきをのんだ。


「貴方は自分の魅力を自覚すべきです。容姿はもちろん、その霊力は誰彼問わず魅了してしまうのだから」



   かっと頬が熱くなる。そして眉根を寄せた。霊力が、人を魅了するなど聞いたことがない。突然のこと続きで動揺を隠せない私はただその端正な顔を黙って見つめることしかできなかった。


   そんな私の視線を気に留めることなく、煎国さんは妙なことを言う。


「貴方に何かあっては、あの御方に合わす顔がありません」


「あの御方って」


「さぁ、もう行きましょうか。私のお腹ぺこぺこなんです」


「っ…」


   屈託の無い笑顔は小悪魔を思わせるずるさがある。私はこれに弱かった。心臓に悪いが悪い気はしない。絶妙な加減はやはり和服美青年だからかもしれない。と、和んだところで私は本来の目的に意識を移す。



   腹ごしらえはもちろん必要だが、こっそり兄の居場所を探るべく、小さく、本当に微小な霊力を練った。直後、煎国さんが目を見開いて私の両腕を掴んだ。


「月深さんっ…!」


「ふぁ、はい…」


   心臓が文字通り飛び跳ねた。気がしたほど驚いた。柔和な雰囲気の青年が若干ではあるが、声を荒らげたのだ。正面からぶつかる瞳は真剣そのもので、自然と生唾を呑む。


「月深さん。ここで霊力は使ってはいけません。いいですね?」


「すみません」


   静かな叱咤だったが、速攻で謝らずにはいられなかった。煎国さんのことだ、何か理由があって、その理由はもの凄く重要なことなのだろう。霊力を使わない、つまり兄を探すのは後になることを、私は承諾せざるを得なかった。




   刹那───



   ズッ………と、重苦しい空気が辺り一帯を支配し、体が硬直してしまう。重い圧力…これは凄まじい霊力だ。この身が押しつぶされそうになるほどの霊力など今までに感じたことがない。並の奉魔士ではない。というか常世に奉魔士はいない。常世で霊力を宿すのは一体…。


「霊王」


   その言葉にはっと目を見開いた。煎国さんの口から出た名称であろう言葉に異様な恐怖を覚える。もしも霊王と呼ばれる者がこの常世を統べるのであれば、やはりそれは人ならず者、脅威的な力を持つ者なのだろうか。



「走ってください!」


「っはい!」


   力いっぱい引っ張られたのを原動力に、疾走の軌道を掴んだ私は煎国さんの後に続いて建物から飛び出した。


   ここの地形に詳しくない私は煎国さんの腕に引かれるがまま、右手に曲がった。そしてすぐに見えてきた石段を駆け上がり荒野へと躍り出た。



   ザッ!何かが目の前に舞い降りた。かと思うと、私達を囲むように次から次へと影が落ちてくる。恐らく、霊王だろう。って、霊王って一人じゃないの!?というか何故囲まれたのでしょう!?


   がくがくぶるぶる震える私の手首にぎゅっと力が入る。煎国さんの体温にハッとする。煎国さんは、味方なんだよね?そう思えた瞬間、私は目に力を入れ、顔を上げた。と同時に何者かが口火をきった。



「こんっ」


   それは何とも可愛らしい、小狐の一声だった。


「へ?」


   拍子抜けたそれに思わず間抜けな声を漏らしてしまった私を見据えるのは、声の主であろう、真っ白な毛並みの九つの尾を持つ狐、九尾だった。


   子狐は前足を揃えちょこんと座っている。これが、霊王なのだろうか。いや、見かけに惑わされてはいけない。こういう者は相手を油断させて不意をつくものだ。私は煎国さんの背に隠れ、片目だけ出して子狐の様子をうかがった。



   しかし、動いたのは別の者だった。そして聞き捨てならぬ、言葉をはいた。



「唐紅月深。兄を追ってきたのだろう?だが残念だな、奴はもう現世には戻れんぞ」





   この時、私は何も知らなかった。常世と現世の繋がりも、兄が何のために常世へ来たのかも、自分自身のことも、何も。ただ、この時胸にあった気持ちは、


   兄を救いたい、それだけだった。




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