お兄ちゃんの彼女

天崎 剣

お兄ちゃんの彼女

佳菜美かなみさん、お兄ちゃんまだ帰ってきてないよ?」


 玄関ドアを開け、私は言う。

 高校の制服姿の佳菜美さんは、にっこりと優しく笑い、


「知ってた。私は構わないけど? 上がらせて」


 靴を脱ぎ、素知らぬ顔で家に上がる。

 そして、リビングで待つでもなく、お兄ちゃんの部屋で待つでもなく、私の部屋で荷物を下ろす。


「佳菜美さん、私、宿題したいんだけど」


 部屋の中央で足を伸ばす佳菜美さんに遠慮がちに言うと、佳菜美さんはハイハイと嬉しそうに返事して、


「私が教えてあげる。どこかわからないところでもある? 数学? 英語?」


 私の机から教科書を勝手に持ち出して、折り畳みテーブルまで勝手に広げて。私を自分の隣に無理やり座らせた佳菜美さんは、満足げにまたにっこりと笑った。


「え、英語だけど。……じゃなくて、佳菜美さん! お兄ちゃん今日部活だから、帰るの七時過ぎるんだってば!」


「やだなぁ。萌衣めいちゃん。わかってるから来たんじゃない。今日は蓮也れんやに邪魔されずに済むんだもの」


 佳菜美さんはそう言って、私の頬に白くて柔らかな手を伸ばした。

 次にされることはわかってる。



 キス。



 佳菜美さんはお兄ちゃんの彼女。

 同じ高校で、一年から同じクラスだったらしい。

 綺麗な佳菜美さんは、まさに憧れの人。背が高くて、スレンダーで、頭が良くて優しくて。バスケ部の汗臭いお兄ちゃんには勿体ない気もするけど、顔が良いからモテモテなのは知ってたし。佳菜美さんていう綺麗な彼女を初めて連れてきた日、悔しいけどお似合いだなって。



 ――その佳菜美さんの唇が、何故か今、私のそれと重なっている。



 どうしようもなく柔らかい。

 信じられないくらい、良い匂いがする。

 佳菜美さんのキスは好き。

 とろけて、全身の力が抜ける。重なる唇、絡み合う舌先。この世界が全部、私と佳菜美さんだけになる。

 制服の下から佳菜美さんが手を滑り込ませて、私の肌をまさぐろうとする。抵抗しようとしても全然出来なくて。それでもいいかなと思う私が居る。



 好き。

 佳菜美さんの、この強引さが好き。



 佳菜美さんの唇が私の肌のいろんなところを伝っていく。私は只、目を瞑ってなされるがまま。


「萌衣ちゃん、本当は私のこと、待ってたでしょ」


 佳菜美さんは意地悪そうに、耳元で私を焦らす。


「ま……、待ってません。佳菜美さんは、お兄ちゃんの彼女なんでしょ?」


 私は変な声が出そうになるのを、ぐっと堪えた。

 佳菜美さんの動きが止まる。

 吐息がどんどん遠くなって、私の身体から離れていく。

 いつの間にか床の上に押し倒されていた私は、恐る恐る目を開けて、佳菜美さんの表情を覗おうとした。

 佳菜美さんは、私のベッドの上にいた。

 ベッドの上で足をぶらぶらさせて。つまらなさそうに遠くを見ている。


「……対外的には? 一応、蓮也の彼女ってことになってるけど」


「ち……、違うんですか?」


 身体を起こし、衣服を戻して座り直す私を、佳菜美さんがチラチラ見ている。


「萌衣ちゃんの方が、蓮也の何万倍も好き」


 頬を赤らめる佳菜美さん。

 私も耳まで熱くなる。


「萌衣ちゃんは? 迷惑?」


「い……、いいえ。私も、佳菜美さんのこと好きです。佳菜美さんと一緒にいるとドキドキが止まらなくて。本当はもっと……。あ、やっぱり何でも」


 これ以上言ったら、歯止めが利かなくなるかもしれない。

 私は言葉を飲み込んで、佳菜美さんから目を逸らした。


「もし私が男だったら、遠慮なく萌衣ちゃんと付き合えるのに」


 佳菜美さんは深いため息を吐いた。

 私も思う。私がもし男だったら、佳菜美さんを彼女にしたかった。

 だけど。

 同性……なんだよね、私たち。

 女子高校生と女子中学生。未だ年端もいかぬ私たちが、出会って直ぐに運命を感じてしまった。多分私たちは、結ばれたいと互いに思っている。そういう風に心が叫んでいた。

 佳菜美さんがお兄ちゃんに会いに来るわけじゃないのは知ってる。目的は私。私に会うために、わざとお兄ちゃんとの関係を続けている。本当はもう、お兄ちゃんのことなんて。……そんなこと、私の口から聞くことは出来ないのだけれど。


「佳菜美さんは、私のどこが良いんですか? こんな……、ちんちくりんで、全然佳菜美さんとは釣り合わないのに」


 口を尖らせる私を、佳菜美さんは笑う。


「ちんちくりんじゃないよ。可愛い。そのそばかすとか、にきびとか。丸い顔とか、お目々とか。くせっ毛なところも、胸が大きくならなくて困ってるとことか。もしかしたらあと数年で私の背なんか追い抜いちゃったりするのかなって思ったり。私より大人っぽい女性になったら私の方が受けになるのかしらとか。綺麗な宝石を原石のうちに見つけたような、私だけが知ってる秘密のお話を誰にも話さずに大切にしてるような。――まだ、誰にも見つかっていないところが、堪らなく好き」


 佳菜美さんは卑怯だ。

 私が喜ぶポイントを、全部知ってる。

 私の気持ち、私の趣味趣向、私の体調、私の生理周期。頭の先から足の先まで、佳菜美さんは全部知ってる。

 もし叶うなら、二人でいつまでも一緒に居たい。けれど、私たちはまだまだ子供。願いはそうそう叶わない。

 私が高校を卒業したら一緒に住む約束を今からしているなんて、親にもお兄ちゃんにもまだ内緒。


「私、佳菜美さんと釣り合う女性になりたい。このまま、ちんちくりんなままじゃ、一緒に歩けないもの」


 私が言うと、佳菜美さんは笑った。


「馬鹿ね。そのままの萌衣ちゃんが、一番可愛いんだから」


 佳菜美さんのえくぼが好き。下がった目尻が好き。整った爪や、長く伸ばした髪の柔らかな香りが好き。凛とした横顔も、聖母のような眼差しも、私を呼ぶ声も好き。


「佳菜美さん。もう一度、キス、してくれますか?」


 恐る恐る尋ねると、佳菜美さんはベッドから下りて、私をぎゅっと抱きしめた。


「キスだけでいいの?」


 佳菜美さんはずるい。

 私の気持ちまで、全部お見通し。



<終わり>

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お兄ちゃんの彼女 天崎 剣 @amasaki_ken

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