シノモノガタリ

マルフジ

緑眼のジェラシー




【私から目をそらす事なんて、許さない】





 01





「いつもありがとうねぇ。シノさん」


 老婆が目の前にいる女性にゆっくりとした口調でそう言った。


 シノと呼ばれたその女性は首を静かに横に振り「いいえ。こちらこそ、こんな素性の分からないような私を雇っていただいてありがとうございます」と返した。

 そしえ彼女は今しがた焼き上がったパンが乗った鉄板を、ゆっくりと慎重にオーブンの中から取り出した。


「これで今日の分は終わりだわぁ」


  鉄板を無事オーブンの外に出すのを見届けると、老婆は笑顔でそう言った。

 シノもほんのりと笑みを浮かべ相槌を打つ。


「ええ、これでひとまず今日の分はひと段落ですね」


 老婆はシノが今しがた焼き上げた、小麦色で見事に膨れ上がった美しいパンを見ながら感嘆の息を漏らした。


「本当にシノさんの作るパンは素晴らしいわね。私もこの道結構長いんだけれども……シノさんにはもう敵わないわ。

 きっとシノさんがパン作りの天才だからに違いないわねぇ」


 その老婆の言葉にシノは「いえ」と謙遜した。

「これもおばあさんのご指導のおかげです。こちらこそありがとうございます」


「そうかねぇ。まあ、シノさんが来てくれてからこの店は大繁盛だから私は助かるよぉ」




 *




 『シノ』という名の女性がこの村に住み着いたのは今から3年ほど前だった。 

 彼女はある日突然この村に現れ、村に住まわせてほしいと言ってきた。

 村人たちは突然すぎるその移住者にしばらく困惑したが、その中から一人の老婆が引き取り手に名乗りを上げた。

 その老婆は村に唯一あるパン屋の店主だった。

 そのパン屋は老婆がたった一人で切り盛りしており、人手がどうしても必要だった。

 だから、老婆は名乗りを上げたのだった。

 また、それは元来の老婆の優しさからでもあった。

 そしてシノという名の正体不明の女性はそのパン屋で働くこととなった。


 それからシノが働き始めてから僅か3年の間で、そのパン屋は以前とは比べ物にならないほどに盛況に至った。

 それは、シノが作るパンはとても信じられないほどおいしかったからだ。

 また、美しいシノのことを見ようと、毎朝男たちがそのパン屋に訪れるようになったからでもあった。

 そうして、徐々にその老婆とシノの二人で切り盛りするパン屋は有名になって行き、誰にでも分け隔てなく接するシノは、村人たちから愛される存在へと変わっていった。



 *



 顎先程まである紫黒の髪を風になびかせながらシノは一人、村の大通りを進んでいく。

 紫色の瞳を湛える彼女の切れ長の眼は鋭く、見る者を「はっ」とさせる。


 その日、シノはパンの材料を調達するために、朝早く村の道をいつものように歩いていた。

 まだ日が出てそこまで時間が経っていないというのに、道には多くの人がもうすでに出歩いていた。


 この村の住民の朝は早い。


 道行く人たちや露店を営む者は、シノのことを見つけると「シノさんおはよう」と次々に笑顔で挨拶していった。

 それらにしっかりと一つ一つ、シノは丁寧にあいさつを返していく。

 シノから挨拶を返された者は皆、感嘆のため息をついた。

 それは、シノが純粋に美しいからだ。


 この村に住み着いてからの3年間、シノは毎日全く変わらずただただ美しかった。

 普通ならば、どんなに美しい女性でも体調の悪い時や顔色の悪い時、化粧ノリが悪い日や顔がむくんでいる日、そんな変化が誰にでも必ずあるはずだ。

 しかし、シノにはそんな変化が一切見られなかった。

 その理由は彼女が実際にまったく変化をしていなかったからだったが、さすがに村人たちはだれもそんなことには気が付かない。


 シノは村人たちの羨望の目に気づかないようで、いつものように静かに道を進んでいった。

 それから突然道をそれると、少し洒落のきいた木造の飲食店へと立ち寄った。

 その飲食店で毎朝朝食をとるのがシノの日課なのだ。


 店のドアを開けて中に入ると、奥のカウンターから野太い男の声が聞こえてきた。


「ああ、シノさんいらっしゃい」


 その男は、口髭と顎髭をたんまりと蓄え、とても猛々しい見た目をしていた。

 しかし今はそのいかつい顔に満面の笑みを浮かべていて、どこか愛らしさがある。


 シノは店の主人であるその男に親しさのこもった表情を向け「おはようございます」と挨拶をした。

 そして、男のいるカウンターまで歩いて行き「いつものをお願いします」と言った。


 男は「おう、いつものだな」と頷くと、店の奥のほうを向いて大声で言った。


「サンドイッチのセットを一つだ」

 すると、奥から女性の返事が「はーい、ただいま」と返ってきた。

 それを確認すると、男はシノに「それじゃあ好きなとこに座って待っててくれ、シノさん」といった。


 シノは頷いて「はい」と短く答え、店の入り口近くの窓際の席へと歩いて行く。

 その後、席にこしかけ、窓から道行く人々を眺めながら時間を潰した。


 それからほんの少し時間が流れて、店のカウンターから先ほどシノが注文した食事をもって女性が現れた。

 彼女はこの店の主人の奥さんだ。


 奥さんは「いつもありがとうねぇ」とシノに人当たりのいい笑顔を向け、テーブルにサンドイッチの乗ったお皿とコーヒーの入ったカップを置いた。


 すると、奥さんの陰から10歳ほどの活発そうな少年がシノの前に突然現れた。


「シノさんおはようございます!」


 見た目の溌剌さに負けない元気さで、少年はシノにそう挨拶をした。


「おはよう、キト君。今日も元気がいいね」


 シノも微笑みながらそのキトという名の少年に挨拶を返す。

 するとキトはとても嬉しそうに笑った。


「うん!シノさんは今日もきれいだね」

 それは大人にはまねできない、子供の純粋な言葉だった。

 シノは少し照れたように礼を言った。


「ありがとう。冗談でもうれしいわ」

「冗談じゃないよ!本当だよ」

「そっか。ありがとう」


 二人がそんな会話をしていると、先程から様子を黙って伺っていた奥さんは、キトに

「あんまりシノさんに迷惑をかけないようにね」と言った。

 そしてその後、シノにも

「いつもすいませんねぇ」と謝った。


 シノはそんな奥さんに首を横に振り

「いえ。私もいつも楽しませてもらっていますよ」と返す。

 キトも「シノさんもこう言ってるし大丈夫だよ、お母さん」と返した。


 それを聞くと、奥さんはシノに苦笑いしてぺこりと頭を下げ、店の奥へと戻って行った。


 キトという少年はこの店の主人と奥さんの間にできた子どもで、毎朝変わった話を聞かせてくれるシノにとてもなついていた。

 朝食をとりながらこの窓際の席で向かい合い、シノがキトに話を聞かせるのが毎朝の日課になっている。


 キトはシノにいつものように尋ねた。

「それで、今日はどんなお話をしてくれるんですか。シノさん」


 シノはそうキトに聞かれると、すこし頭を悩ませ「じゃあ……今日はね……」と話を始めた。




 02




「それじゃあ、またねシノさん」


 朝食を取り終えたシノは、キトに見送られながら店を後にした。

 思ったよりも彼との話が弾んでしまい――ほとんど自分が話を彼に聞かせるのだが――時間がいつもより遅れてしまった。

 そのため、シノは早歩きで道を進んでいった。

 すると、しばらく道を進んだところで一人の女性が突然シノの前に飛び出してきて、二人は軽くぶつかってしまった。


「あっ。ごめんなさい」


 シノは立ち止まり、その金髪の女性に謝った。その女性は緑色の瞳を持つとても美しい女性だった。


 二人の緑眼と紫眼が合う。


 女性は、「いえいえ、大丈夫ですよ」と答えた。

 シノはその様子に胸をなでおろし「どこか、おケガはありませんか」と聞く。

 女性は首を横にふって体を確認し「いえ、大丈夫みたいです」と応えた。


 その後「それでは」とだけ言い残してシノの前をさっさと通り過ぎて行った。

 女性のそっけない感じに少しシノは「怒らせてしまったかな」と戸惑ったが、急いでいるのでさほど気にせず、また早歩きで道を歩き出した。



 *



「澄ました顔しやがって」


 先ほどシノとぶつかった金髪緑眼の女は、路地裏で一人壁に寄りかかりながら呟いた。

 その表情は彼女のことを知る者――この村で彼女のことを知らない者などはいないが――が見たら、きっと別人だと思うほどに怒りに歪んでいる。


 彼女の名はイルハという。


 イルハは、この村の中で一番美しかった女性だった。

 しかしシノという女性が現れてからは一番の称号を奪われ、以前の様に男どもにチヤホヤされることも少なくなってしまった。


 そのことを生きがいにしていた彼女は、突如現れた正体不明のシノという女にひどく嫉妬していた。

 そして、その嫉妬の炎はもはや誰も消すことが出来ないほどにこの3年間で大きくなっていた。


「さっきも、あんな小さな子をたぶらかしていやがって。きっと、淫売な女に違いないわ。あんな女さえ来なければ私は……私は……」


 俯きながら彼女は、一人ぶつぶつとそんな呪詛の言葉を暗がりの中で唱えていた。




 03




「えっ、私がですか?」


 その日、シノは突然パン屋に訪れた村長に思わぬことを提案され、驚いていた。


「ええ、ぜひともシノさんに今年の祭りの花役をやっていただきたいんです」


 この村では3年に一度、村ぐるみで祭りを行うという仕来りがある。

 だが、3年前にこの村に来たシノはその祭りを一度も見たこともなく、その花役というものが何をすればいいのかを全く知らなかった。

 シノはそのことを目の前の村長に尋ねた。


「ええと、その花役というのはいったい何をするのでしょうか。何も知らない私に務まるかどうか……」


 すると村長は「ハハハ」と笑い、シノに説明した。

「そんなに難しいことはしませんよ。ただ皆の前で祭りの開会を宣言してもらったりするだけです」


 シノはその言葉に「はぁ……」と相槌を打つ。

 しかし、やはり断ろうとシノは思った。

 それは、彼女があまり目立つようなことは避けなければならない立場にいるからだった。


 シノは村長に断りを伝えようとした。

 だがその時、店にいた客の一人が声をあげた。


「シノさんが花役やってくれるんならそりゃ良いや」


 そして、その男に続いて他の客たちも

「ぜひシノさんにやってもらいたいなぁ」と声をあげた。

 その中には何事かと、いつのまにか店の奥から出てきていた老婆も混ざっていた。

 老婆は是非やって欲しいとシノに笑顔を向けた。


 シノはとてもじゃないが断れないな……と思った。

 ここで断って恩人の老婆や村人たちのことを悲しませたくない……

 ここは……受けさせていただくことにしよう。


「わかりました。私で良ければその役目を引き受けさせていただきます」


 シノがそう告げると、村長は喜んだ。


「そうですか、それは良かった。皆、今年の祭りの花役はシノさんになったぞ」


 村長が大声でそんな告知をすると、店の中ではちょっとした喝采が起こった。


「わーやったぜ」

「シノさんの衣装姿が観れる!」

「ひゃー楽しみだな」


 次々と男達から、歓喜の声が聞こえてくる。

 シノはその様子を苦笑しながら、こんなに喜んでもらえるなら少しぐらい目立っても良いかな、と思った。



 *



 それからさほど時を置かず、とある花屋の前で2人の男女が話をしていた。


「何ですって」


 花屋の店員の女は、今しがた伝えられた情報に思わず耳を疑った。


「だから今年はシノさんが祭りの花役をやるんだってさ」


 会話をしているもう一方。

 こちらは客と思われる男は、女に聞き返されたと思い、そうもう一度言葉を繰り返した。


「そう……なの」


 女は、呆然としたように呟き、俯いた。


 男は頷く。

「ああ、まあ毎年イルハがその役をやってるけど、たまには別の人も良いだろ」


「そう……ね」

 絞り出すようにイルハと呼ばれた女は言った。しかしそうは言ったものの、内心では全く別のことを彼女は考えていた。


(長いことずっと花役は私だったのに、なんであの女になるのよ。許せない……)


 嫉妬と怒りの混じった感情が彼女の中で徐々におおきくなっていく。


「それだけ伝えに来ただけだから、じゃあな」

 そう言って男はイルハの目の前から足早に去っていった。


「許せない……許せない……許せない……」


 去っていった男に返事もせず、イルハはブツブツとそんなことを呟き続けている。

 先程から彼女の手に握られていた黄色いバラは、その形を醜く変えていた。




 04




 祭りの花役を任された翌日、キトとシノの二人は村の大通りを二人で談笑しながら歩いていた。


「シノさん今年の花役をやるんですよね!親父から聞いたんです。明日の祭りが楽しみだなー」


 キトはまるで自分のことのように嬉しそうに言った。

「うん。でも、ちょっと恥ずかしいかな……」

 シノは少し照れたようで俯く。


 その様子を見たキトはいつもの笑顔で笑いかけた。


「恥ずかしがることなんてないですよ。シノさんは綺麗だし、きっと皆んな目がクギ付けになります!!」


「そうかな……キトありがとう」

 シノも隣を歩くキトに微笑みかけた。


 キトはその笑顔にドキリと心臓が跳ね上がるのを感じ、顔がほんのりと赤く色づいた。


 そんな微笑ましい二人の光景を、村の者たちは皆優しい目で見守っていた。

 また、村の男達からキトは嫉妬の目を向けられてはいたが、それもほんの少しのもので、二人の微笑ましさが勝っていた。

 だからそこには優しい空気だけが流れているはずだった。


 しかし、そんな村人たちの中に一人明らかに異常な目を向けているものがいた。

 その目は睨みつけるように鋭く、殺意がはっきりと感じ取れるほどだった。




 05




 日が落ち、あたり一面が暗くなってきた頃、村の中央広場に大きな炎の柱が上がった。

 炎は大量の薪に四角く囲まれた場所の中心から発せられていた。

 また、そこから少し離れたところには大量の机が並び、豪華な食事がどの机の上にも用意されている。


 村人たちは巨大な焚き火の周りを囲み、とある女性が現れるのを今か今かと待ちわびていた。

 その中にはもちろんキトとその両親の姿も見られ、村長の姿もあった。

 この場所に今いない村人は誰一人としていなかった。

 

 しばらく時を経て、皆の前に一人の女性が姿を現した。

 それはこの村の伝統衣装に身を包み、普段は一切しない化粧を顔にほんのりと施したシノだった。

 少し恥ずかしそうにシノは、火の暖かい光に照らされながら皆の前に歩いて行く。


 シノが前に現れた瞬間に村人たちはみな、そのあまりの美しさに思わず息をのんだ。

「綺麗」

「美しい」

 と皆が口々に呟く。


 前の方で待っていたキトも

「すごくきれい……シノさん」と無意識に言葉を発していた。


 シノは場が静まるのを少しまち、その透き通る声で言った。


「これから感謝祭を始めます。皆さん心ゆくまで楽しみましょう」


 その開祭の言葉を聞いた村人たちは、一斉に歓喜の声を上げた。

 これがこの村で恒例の、祭りの始まり方だった。


 しかし、いつもと異なったことが起きた。

 歓声に紛れるかのように一人の女性がシノの前へと飛び出したのだ。

 その金髪の女は、その美しい顔に笑みをうっすらと浮かべたイルハだった。

 突如シノの目の前へ現れたイルハに、皆は一斉に静まり返り、一体何事かとざわつく。


 次の瞬間、イルハはシノの元へと突然走り出した。

 あまりの突然のことに驚き、動くことが出来なかったシノに、イルハの身体がぶつかる。

 同時に「グサリ」と何かが刺さる音があたりへ鳴り響いた。

 その音は、肉に包丁を突き立てた音と酷似していた。


 音が鳴った後、シノは突然「ぐふっ」と苦しそうな声をあげた。

 続いて彼女の口から血が流れ出す。

 呆然と呆気にとられながらその光景を眺めていた村人たちは、ようやくそこで何が起こったのかを理解した。


 イルハがシノの腹部にナイフを突き立てたということを。

 こんな事をされる理由が全く身に覚えがないシノは、驚愕の表情を自分の目の前で笑っているイルハへ向けた。

 そして、そのまま地面へバサリと力なく崩れ落ちていった。


 その恐ろしい光景を目にした瞬間、村人たちの中から悲鳴が上がった。


 本当は突如凶行に走ったイルハのことを直ぐに取り押さえるべきなのだが、目の前の光景のあまりの非日常さに、村人たちは誰も動けないでいた。


 だが、その中で一人だけ小さな影が前へ飛び出した。

 それは「シノさん、シノさん」と何度も心配そうに口に出しているキトだった。


 キトはシノが倒れている場所へと走っていく。

 村の男たちとキトの両親は彼を止めようと動き出したが、それも遅れてしまい、キトはシノがいる場所までどんどん迫っていた。


 キトの足音を聞いたイルハが振り向く。

 そして二人の目があった。

 その瞬間、イルハは「うるさい」と大声でこちらへ向かってくるキトを怒鳴りつけた。


 そのあまりの剣幕とイルハの手に握られている血まみれの凶器に、キトは「ひっ」っと怯えてしまい、足をその場で止めてしまった。


 キトが足を止めた瞬間、今度はイルハがその手に握られた凶器を再び構えなおし、彼の元へと走り出した。


 二人の距離はもうさほど開いておらず、後ろから駆けつけていた村人たちもとても間に合いそうにない。


 キトは怯えて尻もちをついてしまい、イルハは彼の目の前まで来ると「お前も死ね」と大声で喚き、ナイフを彼に突き立てた。


 再び、広場に「グサリ」という肉が裂ける音が鳴り響く。


 だが、いつまでも痛みが来ないキトは瞑っていた目を恐る恐る開いた。


 そこには先ほどナイフで腹部を刺され、死んだはずのシノが立っていた。

 その血にまみれた腹で再びイルハの凶器を受け止めていた。


 「えっ」


 キトは目の前で起こっていることが理解できず、間の抜けた声をあげた。

 こちらへと駆けつけていた村人たちも、目の前の光景の異常さに足を止めて立ち止まっていた。


 腹部でナイフを再び受け止めたシノは、「どうして……どうして……」とぶつぶつ呟いているイルハの恐怖と驚愕で見開かれた目を静かに見つめた。


 再び緑と紫の瞳が合う。


 彼女の目を見つめたまま、およそ通常ではありえない言葉をシノはイルハの耳元でささやいた。


 それは「ごめんなさい」という謝罪の言葉だった。


 その言葉を聞いた瞬間、イルハはどういうわけかシノの目の前で崩れ落ちた。

 再び広場に「どさり」と人が倒れた音が鳴り響く。


 シノはそのまま動かなくなった、金髪の美しい女性のことを哀しそうな目で一瞥した。

 その後、彼女の後ろでしりもちをついたまま呆然としているキトのほうへと振り返った。


 シノは「ケガはない? キト君」といつもと変わらない調子でキトに言った。

 するとキトは「ひっ」という怯えた声を口から漏らし、しりもちをついたまま後ろへ後ずさった。

 怯えきった彼のその様子を見たシノは「はっ」として、自分の体を見おろした。


 伝統衣装で美しく着飾っていた彼女の体は、自身の血液で真っ赤に染まっていた。


(これじゃあ、怖がられても仕方がないな……それに普通だったらもうとっくに死んでるはずだもんね……)


 自分の愚かさに苦笑し、シノはキトのことを再び見つめた。

 そして「ごめんね」と彼に謝り、いつもよりもうっすらと哀しみが混じった微笑みを彼に向けた。


 それからシノはキトから視線を外し、今度は先ほどから呆然と見守っている村人たちのほうを見た。

 彼らの表情もやはり、キト同様に恐怖にひきつっている。

 シノはその様子を哀しそうな目で見つめ、口を開いた。


「村の皆さん、短い間でしたがこんな私をおいていただきありがとうございました。

 今回のことはきっと私が、無意識のうちに何かを彼女にしてしまったんだと思います。

 ですからどうか彼女のことは責めないでください。

 皆さん、今まで本当にお世話になりました……」


 言葉を一気に言い終えると、シノは村人たちのほうへ哀しそうな笑みを薄っすらと向けた。

 その人間離れした彼女の愁いを帯びた笑顔に、こちらを先ほどから黙って見守っていた村人たちは思わず息をのんだ。


 シノはその様子をしばらく見てから、キトと村人たちに背を再びむけ、その先にある暗い森へ歩き出した。

 目の前でそんな彼女のことを呆然と見ていたキトは?そこでようやく気が付いた。


 シノがこの村を去ろうとしていることに……


 キトは先ほど怯えてしまった負い目を感じながらも、シノの背中にまるで縋るように言葉を放った。


「待って……シノさん。行かないで……」


 そしてそれに続き、村人たちの中から一人の老婆が歩みだし、彼女もまたシノに言った。


「そうだよぉシノさん。どうか行かないでおくれ」


 嘆願の声を聞き、シノは背を向けたまま一度ピクリと体を揺らして立ち止まった。


 だが、しばらくして本当に小さな声で彼女は「ありがとう」とだけ告げ、そのまま暗い森へと再び歩みを進めていってしまった。


 その場に残されたキトと村人たちは、シノが完全に闇に消えていくのをいつまでも眺めていた。




 06




 暗い森の中を一人、血まみれのままでシノは歩いて行く。

 歩きながら、あの村のこと気に入っていたのにな……とシノは思った。


 (でも、もうそろそろ潮時だったのかもしれない。

 あまり長く一か所にとどまり続けると私の異常性を見破られてしまう。

 私が全く老いることがないということを……)


「いったい私はいつ死ぬんだろう」


 シノは誰もいない暗い森の中でぽつりと、独り言を漏らしていた。

 それから彼女は一度足を止め、歩いてきたほうへ振り返った。


 そこからはもうあの村の光は見えず、ただただ暗闇が広がっているだけだった。

 どうやら気が付かない間にすっかり遠くに来てしまったらしい。


 彼女の脳裏をあの村で過ごした日々が巡っていく。

 パン屋のおばあさんや、行きつけの店の主人と奥さん、そしてキト……そんな村の者たちの顔が浮かんでは消えていく……


(本当に気に入っていたんだけどな……)


 シノは一瞬村があった方角へ哀しそうな表情を向けた。



 それからしばらくその方を見つめて、再び暗い闇の中へと歩き出していった。

 




 たった一人で……


 

 

 

 

 


 

         -終-




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る