第309話【閑話8】憤怒

「大変ですっ!」


 一人の秘書見習いが執務室の扉を勢いよく開け、息を切らしながら部屋の中に飛び込んできた。


「ノックもせずに無礼ですよ」

「す、すみません! でも、それどころじゃないんです!」


 執事長に怒られ謝りながらも怯まず、手に持ったクシャクシャな手紙を己の主がいる執務机の上に置いた。


「手紙もこんなにヨレて……こんなモノを伯爵様に出すなど――」

「まぁよい、執事長。それで、なにがあった?」


 伯爵は秘書見習いに訪ねながらクシャクシャな手紙の封を小さなナイフで切った。


「はいっ! 伝令の者が申すには、昨日、コット村が襲撃を受けました!」

「なんですと!」


 執事長は驚きの声をあげ、伯爵の方を見る。

 伯爵はクシャクシャになった手紙を読みながら、静かに「続けろ」と言った。


「はいっ! 襲ったのは所属不明の国軍、とのこと……」

「所属不明ですと? 誰の軍がやったのか掴ませないつもりですか……」

「……」


 伯爵は無言で前を向いたまま、手紙を執事長の方に差し出した。


「失礼……」


 執事長は手紙を受け取って中を確認していく。

 届けられた手紙は二枚あり、一枚目には被害状況が記されていた。

 執事長の顔が曇る。

 死者数名。負傷者多数。家屋倒壊により村は壊滅状態。そして村長死亡により息子が跡を継いだ、と。

 そして二枚目。


「こちらは、筆跡が違いますな」

「あぁ、コット村の村長……今は前村長の字だろう」


 伯爵はそう言って俯き、まるで懺悔でもするように組んだ指に額を乗せる。

 二枚目の手紙の内容は覚悟と謝罪。さながらそれは遺書と呼んでもおかしくないモノだった。

 その内容を要約すると以下になる。

 王都の者に侮られるのは我慢しよう。しかしサリオール伯爵様のご息女に対する仕打ちは到底、許せるモノではない。よって『ささやかな抗議の意』を表すことにした。が、それによって今回の事態を招いたのは全て自身の責任であり、サリオール伯爵様と全ての村民に対し、最後まで先頭に立って戦うことで謝罪としたい。

 そしてサリオール伯爵に対しての『後のことはよろしくお願いいたします』という言葉で手紙は〆られていた。

 手紙を読み終わった伯爵は背もたれに体を預ける。


「あいつとは、学院で一緒だった」


 サリオール伯爵はそう呟くように発した。


「年齢はあいつの方が上だったが、気が合ってな。昔はよく話したもんだ」

「平民ながら学院に行くとは、さぞ優秀だったのでしょうな」

「あぁ、本来なら私の右腕にするつもりだったが、家を継いでコット村の村長になってしまってな」


 サリオール伯爵は立ち上がり、窓の方を向いた。

 外はまだ雪景色が残っているが奥に見える大通りには人が行き交っていて、そこには日常があった。

 伯爵は静かに語り始める。


「私が侮辱されることはよい。それは耳を塞いで聞かなかったことにしてやろう。我が娘が蔑ろにされ酷い仕打ちを受けても、それはサリオール家に生まれた者の務め。民の安寧のためなら涙を飲んで目を瞑ろう。サリオール家が汚名を着せられたとしても、口を閉ざし笑ってやろう」


 サリオール伯爵の手は力強く握りしめられ、小刻みに震えている。

 そして振り向き、高らかに叫ぶ。


「しかし奴らは我が領民に手を出した! それは絶対に! 絶対に許しはしない!」


 執事長、秘書見習い、護衛の従士、メイド。その場にいた全ての人がそれに頷いた。


「コット村に救援を送れ! 準備出来次第すぐに出立せよ!」

「分かりました!」


 秘書見習いが礼儀の欠片もなく部屋からすっ飛んでいった。


「それから……領内の全軍を、集結させろ!」

「はい」


 執事長は一礼し、すぐに部屋の外に向かおうとする。

 伯爵の顔には怒りと様々な感情が浮かんでは消える。


「執事長――」


 手を伸ばし、呼び止めようとした伯爵の言葉を遮るように、執事長は「伯爵様」と言った。

 執事長は扉の前で振り返る。


「伯爵様のご決断。そしてコット村前村長の行動につきましても、この領内に批判するような輩は一人もおりませぬ。我らサリオールの民も、そろそろ我慢の限界という言葉が頭にチラつくようになっておりましてな」

「そう、か……」


 伯爵は伸ばしかけてた手を下ろし、静かに執事長を見た。

 執事長はそれを真正面から受け止める。


「あなたは我々サリオールの民の柱。そしてお嬢様はサリオールの民の宝です。それを傷付けようとする者を黙って見過ごすような者はサリオールの民にはおりませぬ!」


 いつも冷静な執事長がオーガのような顔を貼り付け叫び、護衛の従士すら気圧されてしまう。

 執事長は言葉を続ける。


「伯爵様、思うがままにお進みください。我々も共に進みますぞ」


 執事長は一礼し、部屋から退出していった。

 沈黙が部屋中を包む。しかし熱気は残ったまま。

 部屋の外では慌ただしく人々が走り回る音が聞こえる。

 もう暫くすれば町の住人にも話が伝わり、町中が慌ただしくなるのかもしれない。

 伯爵は大きく深呼吸し、ガッと目を見開いた。


「私の鎧と剣を準備しろ!」

「はい!」


 メイドが部屋の外に走っていく。

 それを見送ってから伯爵は次の司令を出す。


「監視中の『鼠』を全て捕らえよ。一匹も逃すな」

「はっ!」


 従士が部屋の外に出ていき、一人になった部屋で伯爵は呟く。


「はやまりおって……」


 伯爵は暫し昔を思い出しながら外の景色を眺めた。

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