第209話【閑話】闇のソードダンサー

 黄金竜の爪に所属しているBランク冒険者ジョン・トランボは多忙な日々を送っている。

 冒険者としてはベテランに入る年齢の三五歳でBランクにまで上り詰めた彼は、戦闘では剣を流れるように操り、どんな依頼でも器用にこなし重宝され、冒険者ギルドと黄金竜の爪のどちらからも多数の依頼が舞い込む売れっ子冒険者だ。

 人は彼のことを『闇のソードダンサー』と呼ぶ。

 しかし、彼が重宝される理由はそれだけではない。


「闇よ、我が身と共に《ナイトウォーク》」


 魔法の発動と共に闇がジョン・トランボの体を包みこむと、彼の気配がどんどん薄くなっていった。そこにいるのに、そこにいない。そんな不思議な存在感に包まれながら彼は外套のフードを目深にかぶると自室の扉を開け、クランハウスを裏口から出ていった。

 陽が降り注ぐ大通り。行き交う人々。そこに出来た影を狙うように彼は道の端を歩いていく。

 通行人は、真夏に外套のフードを目深にかぶる怪しい男を気にする素振りもない。

 やがてジョン・トランボは大通りを逸れ、建物と建物の間の細い道に入る。そこは人がギリギリ二人、並んで歩けるかどうかという細くて薄暗い路地。

 散乱するゴミ。すえた臭いに混じる小便の臭い。地面に横たわる人。

 彼はそれにほんの一瞬ピクリと反応するも、歩みは止めずに進み、道の片隅に座っているボロボロの服を着た老人の前で止まる。


「北の諜報員の集合地点」

「……金貨一〇枚」


 ジョン・トランボは外套の中のポケットから探り当てた小さな布袋を老人の前に投げた。


「東地区二番地イラの宿屋」


 その言葉を聞くと彼は老人に一瞥もくれることなく踵を返す。そして大通りに出て東に向かい、二番地の裏通りにある宿屋に入った。

 受付をスルーして酒場に向かうと、カウンターで親父に葡萄酒を注文し、チビリチビリと舐めながら聞き耳を立てる。


「昨日――儲かっ――」

「――の話なんだけ――」

「明日はどこに――」

「そういえば――」

「例の――黄金り――」


 ジョン・トランボはフードを深くかぶり直し、足音を立てるでもなく、完全に消すでもなく、自然体でゆらりと気配を殺しながら動き、目的の男達の近くにある柱にもたれ、男達の話を盗み聞く。


「公爵は黄金竜の素材を入手している」

「確かか?」

「あぁ、情報はもうあちらに送ってある」


 ジョン・トランボはフードの中で小さく舌打ちする。

 既に伝えられてしまった以上、ここで情報を止めることは難しい。


「では?」

「……恐らくな。準備はしておけ」

「了解した」


 酒場から出ていく男達を見送ると、ジョン・トランボは葡萄酒を飲み干し、消えるように酒場を後にした。


◆◆◆


「ふぅ……」


 一連の情報を上に伝えて任務を完了させ、洗面具を持って中庭に向かう。

 闇属性の適正があったことで冒険者としての活動の幅が広がった。仕事も増えた。Bランクにもなった。しかし増えた仕事が問題だ、とジョン・トランボは思う。

 なにが悲しくて、真夏に分厚い外套を目深にかぶらないといかんのだ? 俺はアサシンなのか? クリードなのか? 蒸し暑いわ、汗がダラダラ出るわで最悪でしかない。

 しかし彼も分かってはいる。万が一にも正体がバレないために姿を隠しておくことは重要なのだ。それは仕方がない。

 それにしても今日は最悪だった。と彼は考える。

 ヤツら、いくら情報屋だとバレないようにするためとはいえ、あんな浮浪者みたいな格好までする必要あるか? 演技過剰すぎだろ! あいつら絶対に水浴びすらしてないぞ。しかも、路地裏で寝てた男も情報屋の用心棒だろう。あんな小便臭い路地裏に寝転ぶとか信じられない。

 そう考えながらジョン・トランボは服を脱いだ。


「闇よ、我が身と共に《ナイトウォーク》」


 闇がジョン・トランボを包み、気配が薄くなった。

 鎖帷子を外して下着を脱いで丸裸になる。


「フンッ!」


 全裸で筋肉に力を入れ、ポーズを取る。

 フンッフンッフンッ! とポーズを変え、筋肉の大きさと位置を再確認し、納得してから井戸で水を汲み上げ、それをザバッとかぶる。

 今日も全身の筋肉は絶好調のようだ。

 そうしていると、目の前を事務員の女性が通りかかった。しかし全裸のジョン・トランボには気付かない。これが闇魔法ナイトウォークの力なのだ。

 本来、クランハウスの中心にあって人通りの多いこの中庭での水浴びは禁止されている。だがそのルールも彼には適応されない。……もとい、バレなきゃ問題ないのだ。

 ジョン・トランボは上質な布で体を磨く。

 あの裏路地で染み付いた臭いを拭い取るように磨いていく。そしてまたザパリと水をかぶる。

 いい感じにキレイになった、とジョン・トランボは思い、ポーズを取る。自然と「フンフン~」と鼻歌も流れ出す。

 そうだ、今日はお気に入りの香油を使おう。そうすればあの酷い臭いも消えるだろう。そう考えながらジョリジョリと髭を剃る。

 そう考えると、どんどん楽しくなってきて鼻歌も次第に大きくなっていく――


「フンフンフン……!!??!?」


 ふいに視線を感じたジョン・トランボが上を向くと、三階の窓に1人の少年と一匹の獣の顔。

 少年と獣は眉間にシワを寄せ、まるで虫けらでも見るような目でこちらを――


「ばっ、馬鹿な! 闇魔法ナイトウォークを見破った!?」


 ジョン・トランボは両手で大事なところを握りながら驚愕した。

 ナイトウォークは気配を小さくし、相手にこちらの存在を気付かせないようにする魔法。

 大きな音を出したり目立たない限りはこちらの存在を把握出来ないはずなのに、何故だ!


「アホか! 全裸で鼻歌たれ流しながら気持ちの悪い踊りかましてりゃ誰でも気付くわ!」

「とっととその粗末なモノ仕舞えや!」

「フンフンフンフンうるせぇんだよ! 糞でも漏らしてんのか!」

「馬鹿な……」


 中庭に面する部屋からの苦情がジョン・トランボに殺到。

 そして極めつけは先程、目の前を通った事務員の女性が戻ってきて「見えてないフリをするのが大変でした……」と証言したことでジョン・トランボは膝から崩れ落ちたのだった。


 その後、彼の二つ名が『闇のソードダンサー』から『闇のナイフダンサー』に変わったのは言うまでもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る