第140話【エピローグ】地底の月

 ボロックさんの言葉に衝撃を受け、言葉に詰まる。

 死の粉による症状には治療法がない。なら僕が治ったように感じたのは気のせいなのだろうか? それとも、ホーリーウインドには既存の魔法や薬にはない高い治療効果があるのだろうか。


「本当に……本当に、治療法は、ない?」

「わしが知る限り……ではの」

 ボロックさんは大きく息を吐いた。

「でも、マスクもして、グローブもしてたじゃないですか。どうしてこんな事に……」

「完全、には……防ぎきれんのじゃよ。いくら気をつけようとも、あそこに入れば少しずつ蝕まれるからの」

 ボロックさんはそこまで知っていて死の洞窟に入り続けていたのか。


 苦しそうにしているボロックさんを見た。

 ボロックさんは治療法はないと言った。でも恐らくホーリーウインドで治せる。まだ確証はないけど……。最低でも症状の緩和は出来てると思う。

「……」

 ゆっくりと目を閉じた。

 さて、どうするべきか。

 ……まぁ、もう自分の中で答えは出ているのだけど、改めて自分に問いかけてみる。

 ホーリーウインドをボロックさんに使わない。使わずに何もなかったかのように見過ごす。……いや、無理だ。そんな事をすれば一生それが心の中に残るだろう。そしてそれがいつか後悔に変わる。


「……ボロックさん」

 心を決めて無詠唱でホーリーウインドを発動させた。

(神聖なる風よ、彼の者を包め《ホーリーウインド》)

 その瞬間、お腹の奥底にある魔力が体の中を循環し、右手から解き放たれる。そしてその魔力は優しい風となってボロックさんを包み込むようにはためき、その髭をゆるやかに撫でた。

「わしはもう長くはないんじゃよ。じゃからもしも……ん? はて?」

 ボロックさんが地面からムクリと起き上がって、ペタペタと自分の体を触っている。その顔にはさっきまでの苦しみは見られない。成功かな。

「ボロックさん、胸の具合はどうですか?」

「どう……ふむ、えらくスッキリとしとるの……。こんな風の抜ける洞窟のような気分は何十年ぶりか……。うぅむ、いや、しかしお前さん、この魔法は――」

「……まぁ、そういう魔法もあったりなかったりするのですよね」

「あるのかないのか、どっちなんかの……まぁええわい。どうやらお前さんに助けられた事は間違いなさそうじゃしの」

 ボロックさんは地面から立ち上がると服についたホコリを払い、言葉を続けた。


「ありがとう」


 フードの中から顔を出したシオンが僕の代わりに返事するように「キュ」と鳴いた。



◆◆◆



 それから一〇日と少し経ち、ついに洞窟から出る日がやってきた。

 その日もいつもと同じようにボロックさんの手伝いをして、そろそろ飽きてきたファンガスのフルコースを食べ、日が暮れる時間になってから里を出た。よく考えると南の村よりこっちの方が長かったかもしれない。そう考えるとなんだか名残惜しいような気持ちになってきたけど、それを振り切ってドワーフの里を後にした。


 以前、道を塞いでいた滝を目指しながらボロックさんと最後の確認をする。

「よいかの。ドワーフの坑道には本道に必ず目印がある。本道を辿っていけば必ず外に出られるからの」

 ボロックさんは洞窟の壁に書かれているハンマーのマークを指さした。

 それは白い何かで描かれたTの字を横にしたようなマーク。よく思い出してみるとこの洞窟内で今までにも見たような記憶がある。

「基本的にはハンマーの頭の部分の方角が洞窟の奥。柄の部分の方角が入り口じゃからの。これを間違えて覚えると……言うまでもないの?」

「確かに……」

 慌てて紙と鉛筆を取り出した。


 そんな話をしながら滝の近くまで来たのだけど、以前は遠くからでも聞こえていた水しぶきの音が聞こえない。

「?」

 少し不思議に感じながら、以前は流れ落ちる滝で出口が塞がれていた場所まで来ると――


 ――そこには月明りに支配された外の世界があった。


 以前そこにあったはずの滝が消え失せ、そこから青白い月明りの世界が始まっていたのだ。

 ゆっくりと洞窟の出口へと近づき、そこから外を見渡す。

 それは絶景。

 天まで届くような崖に三方を囲まれた場所。いや、普段は滝があるのだから、三方を滝で囲まれた滝壺だろうか。とにかくそんな場所にこの洞窟の出口はあった。


「どうじゃ、ええ眺めじゃろ」

 暫くその景色を眺めていると、ボロックさんがそう言った。

 僕はこの景色に目を奪われながら、辛うじて「そう、ですね」と返す。

「何故か満月の夜は滝の水が止まるからの。その間だけは通れるようになるんじゃよ」

 そう言ってボロックさんは向かい側の崖を指差した。その場所には月明りに照らされてぼんやりと見える洞窟があった。

「あの洞窟を抜ければ村、その先には町があるからの。そこを目指せばええ」

 ボロックさんは背負袋から細長い包と手紙を取り出す。

「これは?」

「餞別じゃよ。それと、この手紙を町にいるケヴィンに渡してくれんかの」

 ケヴィン? 聞いた事のない名だけど。

「ケヴィン……さん? 誰ですか?」

「ん? 息子じゃよ」

「え? 息子? いや、てっきり――」

 亡くなっているのかと思ってたのだけど。部屋を借りた時に聞いちゃいけないような空気を出すからさ、触れないように気を使ってたのに!

「てっきり、何かの?」

「……いや、何でもないですけど」


「そうかの? 道中、気を付けるんじゃぞ。ルーク、シオンも、達者でな」

「お世話になりました。手紙、必ず届けます」

「キュ!」

 ボロックさんとガッチリと握手を交わし、そしてきびすを返す。


 本来なら滝壺から続く川があるはずの場所。そこを横断するように続く石の橋のような場所を歩き、反対側の崖にある洞窟を目指す。

 暫く歩き、崖と崖の中央ぐらいで立ち止まって周囲を見渡した。

 三方を切り立った崖に囲まれた場所。普段はその三方から滝の水が流れ込んでいて、とても人間が入れる場所ではないはずだ。その事を少し奇妙に感じながら、この絶景を頭に焼き付けた。

 地球でなら、カメラなどで切り取ればいいけど、この世界にはそんなアイテムはない。自分の頭の中に記憶するしかないのだ。

「……本当にないのかな?」

「キュ?」

 もしかしたら何かあるのかも。魔道具とか、アーティファクトとかさ。もしあるなら、手に入れたいかもしれない。余裕があればだけど。


 ふと、空を見上げた。

 そこには二つの月が並んでいた。

 二つの月は青白く輝きながら、まるで見守るように僕達を照らしていた。


 振り返ってドワーフの里の方を見た。

 月明りに照らされた洞窟の出口にはボロックさんがいて、まだ僕達を見送っていた。

 ボロックさんはゆっくりと右手を上げ、口を開いた。


「ヨーホイ」


 僕はボロックさんの方へと体を向け、出会った時のように右手を上げ、出会った時とは違う意味を込め、その言葉を返した。


「ヨーホイ」






◆◆◆◆◆◆あとがき



 第二章、『ヒーラーの成長編』はここで終わりになります。

 次回からは第三章に突入予定です。

 乞うご期待!

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