第89話 ダンジョンという空間と、ソレ
そんな事を考えていると上の階からコツコツと複数の足音が近づいてきているのが聞こえた。振り返ると一八階へと続く階段の踊り場にランタンか何かの光が漏れ、それに照らされて生まれた複数の影がゆらゆらと残像のように踊り場の壁で揺れていた。
そしてトントントンと階段を下りる音が響く。
暫くすると踊り場の壁から四人の冒険者が現れた。彼らは踊り場から僕を確認すると少し雰囲気が変わり、こちらを警戒するようにゆっくりと階段を下ってくる。
その彼らの姿を見てやっと僕は、失敗した、と気が付いた。
ダンジョンの中、こんな通り道の真ん中でぼーっと突っ立っているべきではなかった。もう少し他の人からどう見えるかを考えるべきだった。今の僕は……どう考えても怪しい人物だろう。かといって、今から慌てて立ち去るのも良くない気がする。それはそれで余計に怪しい。
はっきり言うと、ダンジョンという場所は……建前はともかく実質的に治外法権状態だ。町で争い事が起きた時には飛んでくる兵士達もここまでは出張ってこない。
それでも今まで大きな争い事を見てこなかったのは、これまでは浅い階層で人の目が多かった事が大きい。いくら治外法権状態とはいえ、誰かにそういう場面を見られて悪い噂が立つと逆にダンジョン内で狙われるようになる場合もある。
人との繋がりやコネ、名声、権力などが大きな力を持つこの世界では意外と冒険者同士の横の繋がりは強い。悪い噂を持つ者はその輪からはじき出され、町での生活にも支障をきたすようになり。そして町にいられなくなる。
なので冒険者は出来る限り争い事を避けようとする。なので酒の席で喧嘩が起きても、その場限りの事とする。
しかし、当然ながら、どこの世界にも馬鹿はいるし、悪い事を考える奴はいる。争い事を避けようとしても馬鹿がいれば争い事は起きるし、悪い事を考える奴が悪い事をするなら――
――こういう人の目がない場所で何かを起こそうと考えるだろう。
状況のマズさを把握し、とりあえず彼らに道を譲るために壁際まで寄った。
彼らはそれを確認すると、僕がいる方とは逆側の壁に寄っていきながら階層を下りてくる。
静かな空間にコツコツコツと足音だけが響き、それに合わせて影がゆらゆらと踊る。
彼らとの距離が五メートル、四メートル、三メートルと近づき、幅二メートル程の階段ですれ違うその時、四人の冒険者の中から女性の声がした。
「あれ? どんな奴かと思ったら、この子まだ子供じゃない。キミ、こんな場所に一人で何してんの?」
いきなり話しかけられるとは思ってなかったので驚いて上手く言葉が出てこず、「あっ、えぇっと……ちょっと休憩してただけです」とだけ答えると、先頭を進んでいた三〇歳ぐらいの男性がその女性をちらりと見てたしなめた。
「マーサ、冒険者相手に余計な詮索はするなといつも言っているだろう」
「だって、まだ子供じゃない」
「だっても何もない。……予定通り進む。行くぞ!」
先頭の男性はそう言うと階段から飛び出して一気に加速した。そして二人の冒険者がそれに続く。
「あぁ! もう……じゃぁね!」
最後に残された女性も、その一言だけ僕に残して彼らの後を追って飛び出していった。
「……はぁ」
走り去る彼らを見送り、ため息を吐く。
今回に関しては僕が一人で、僕の姿がまだ幼く見えたから、彼ら……いや、彼女の警戒が解かれて余計な問題が起きずに済んだ、という感じか。でも、あそこでテンパって不審な動きをしてしまってたら、最悪いきなり切られていた可能性も考えられるな……。
――それに、彼らの方が悪い事を考えていた可能性だってあったのだ。
そう考えてブルッと震える。
「もう少し、ダンジョンでの立ち回りは慎重にしないと、ね」
◆◆◆
静寂が支配する空間にコツコツコツと足音を響かせながら一九階を探索していく。
目の前には深い闇が無限に続き、後ろを振り返るとそこにも無限の闇が続いている。僕が作り出した光源の魔法が照らす範囲以外は全てが闇だ。これまでの階層なら他の冒険者が発した何かの音が聞こえたり、冒険者が持つランタンや魔法の光が遠くに見えたり横道から漏れてたりしたものだけど、この階にはそれが一切ない。
予想していた通り、この階層はまったく人気がないようだ。
その大きな理由は間違いなく、この階に出てくるゴーストの存在なのだろう。
暗闇を歩きながら何となく、さっきの冒険者達が走り去った事について考えた。
恐らく、彼らはこの階のモンスターを全て無視して一気に走り抜けるつもりなのだ。
魔法しか効かないモンスターはそれだけ厄介なのだろう。魔力が有限である以上、どんな冒険者でも魔法を連発しながら戦っていくわけにはいかない。実用性のある魔法を使える人だって少ないしね。
だからこのダンジョンでは、Dランクは一八階まででレベルを上げ、次のランク帯に上がる場合はこの一九階と二〇階はスルーして二一階から進むのがセオリーなんだろう。
「…………ア……」
「……ん?」
かすかに何かが聞こえた気がして後ろを振り返った。
でも、そこには何もなくて、ただ暗闇だけが広がっていた。
立ち止まり、周囲の音を拾おうと神経を集中させる。
僕の足音が消え、周囲から音が消えた。僕の呼吸音だけがスースーとかすかに聞こえてくる。
暫く待っても何も変化がない。気のせいか、と思い先へと進む。
「…………ア……ア……」
「……」
今度は確かに聞こえたはず。男とも女とも言えないナニカの音。
さっきより……近い気がする。
もう一度、立ち止まり、警戒しながら周囲を探る。
そこには静寂が支配する暗闇だけがあった。
聞こえてくるのは僕の呼吸音。そして、ドクンドクンと心臓が鼓動を刻む音。
やはり何も見えない。何も聞こえない。
何故か自分でも分かるほど額に汗が浮かぶ。
このままここに立ち止まっていても仕方がない。と、再び歩き出そうとしたその時。
「……ア、ア……ア゛ア゛ア゛ァァ」
真後ろからソレは聞こえた。
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