第59話 スタンピードの終わりと

 背負袋を下ろして中を探る。暫くガサゴソ探して、それを見付けた。

「あった……」

 シンプルな革製の鞘に収められたそれは、偶然露店で手に入れた麻痺ナイフだ。

 それを鞘から引き抜き、軽く魔力を流してみる。

「……ちゃんと発動するな」

 麻痺ナイフは僕の眼の前で薄く紫に輝いた。

 当然だろう。これはそういうアイテムなのだから。

「……」

 僕は何を確認したかったのだろうか? ……いや、自分で分かっている。確認してみて、もし麻痺ナイフが発動しなければ、こんな事をしなくてもよくなると一瞬考えてしまったからだ。


 これから、僕がやろうとしている事。

 それは単純。

 麻痺ナイフに魔力を流し、奴にぶっ刺す。ただそれだけだ。

 ギルダンさんは、弱い麻痺効果がある、と言っていた。

 それに賭けてみよう……というだけの作戦。

 この麻痺ナイフは、手に持って魔力を流すと発動する。その状態で斬りつければ相手が麻痺状態になるんだろうけど、それだけでは恐らく足りない。なんせこのナイフの効果は弱い麻痺にするだけなのだから。

 なのでこのナイフをグレートボアにぶっ刺し、そのまま魔力を流し続けながらしがみついて、継続的に効果を与え続ける。そうすればグレートボアにも何か変化があるかもしれない。……という、推測に推測を重ねた、ただの博打だ。

 このナイフを誰かに渡して、もっと強い人にやってもらう事も考えたけど、それも無理っぽい。何故なら魔力を操作して、物質に流せる人が少ないらしいからだ。

 今から、僕より強い人の中からこのナイフに魔力を流せる人を探し出して、その場でナイフの効果を説明し、相手に僕を信用してもらい、上手くやれても効果があるかどうか分からないイチかバチかの大勝負に命がけで挑んでもらう。

 ……どう考えても無理だ。この場面でそんな悠長な事をやっている余裕はない。


「結局、僕がやるっきゃないんだよね」


 そう呟きながら門の上まで歩いて行き、そして手すりに手をかける。

 そしてそこから下を見てみると、グレートボアの背中が見えた。

 扉が破られた時、グレートボアに助走をつけさせないように、すぐに冒険者で囲んで距離を詰めた。そのおかげでグレートボアは門のすぐ側にいる。つまり、この門の上の位置ならグレートボアの背中に飛び乗れる。

 右手に麻痺ナイフを逆手に持ち、そして目を閉じ、大きく深呼吸する。

 あぁ、何で僕はこんな事をしているのだろうか。なんていう様々な雑念を全て振り払い、目を開けた。

「よしっ!」

 そして気合を入れ、手すりを飛び越え、空中へと身を投げた。


「はぁぁぁぁぁあああ!」

 グレートボアの背中におりると同時に、その勢いで魔力を流した麻痺ナイフを突き立てる。

 麻痺ナイフはずぶりとグレートボアの背中に奥まで突き刺さった。

「プギィ!?」

 麻痺ナイフが刺さった事に異変を感じたのか。それとも僕が背中に乗った事に異変を感じたのか。グレートボアが暴れだす。

 グレートボアは体を左右に振り、ジャンプしたりして、僕を振り落とそうとしている。まるでロデオをやっているみたいだ。

 それに麻痺ナイフや刺さっている矢を掴んでなんとか振り落とされないように必死に抵抗した。

「おい! 何やってんだ! 早く離れろ!」

「何してんだ! 死にてぇのか!?」

 周囲から冒険者の叫び声が聞こえるけど、説明している余裕も時間もない。

 必死にしがみついて耐え続ける。 

「頼む……効いてくれ!」

 そう願いながら必死に麻痺ナイフに魔力を流し続けた。



◆◆◆



 あれからどれぐらいの時間が経っただろうか。

 僕には無限の時間のように感じて、正確には分からない。

 しかし少しずつ、グレートボアの動きが鈍くなっているような気がした。だがそれが麻痺ナイフの効果なのか、単純にグレートボアが疲れただけなのか、分からない。

 判断が付かず、色々と考えながらしがみついていると、いつまでも背中から落ちない僕に苛立ったのか、グレートボアが冒険者の牽制など無視して、体を傾けなが左の建物に背中をぶち当てようとした。

「なぁっ!?」

「あぶねぇ!」

「避けろ! 下がれ!」

 グレートボアが強引に建物に体をぶつけ、グシャッという破壊音と共に建物が一部崩れる。

 間一髪、グレートボアの右側に体を移動させて難を逃れるも、もう少し遅ければ全て終わっていた。

 背中にドッと冷や汗が流れる。

 ダメだ。せっかく状況を変えようとしているのに、これでは皆の邪魔になっているだけだ!

「ブヒッ!」

 そう考えている内に、グレートボアはさらに暴れ続ける。

 くそっ! 何とかしないと!

「こなっくそっ!! もういい加減! 落ちろ!」

 麻痺ナイフに両手を添え、あらん限りの全力で魔力を流した。

「効けぇぇぇぇ!!」

 その瞬間、麻痺ナイフが纏っていた淡い紫の輝きが増大し、グレートボアに刺さっている傷口から溢れ出す。

 その光に一瞬、驚くも、続けて全力で魔力を流し続けた。

「頼む!!」


 何秒そうしていたのだろうか。気が付くとグレートボアの動きが止まっていて、その前足が崩れる。そしてドシンと地面に横倒しになった。

 その勢いで僕は地面へと投げ出される。

 転がりながら受け身をとり、右手の麻痺ナイフを見てみると、根本から綺麗に割れていた。

「誰かトドメを! そいつは麻痺してるだけだ!」

 僕がそう叫ぶと、呆気にとられていた冒険者達が一斉に動き出す。

「よっしゃ! 何だかしらねぇがチャンスだぜ!」

「うぉぉぉぉお! 俺に任せろ!」

 皆それぞれの武器でグレートボアに斬りかかる。しかし致命傷が与えられない。

「ダメだ! 首を落とせ!」

「どけっ! 俺がやる!」

 そう言いながら出てきたのは、大きな斧を持ち、背は低いが筋肉隆々で髭を生やした冒険者だった。

「せいやっ!」

 彼がかけ声と共に斧をグレートボアの首筋へと叩きつける。

 斧がグレートボアの首に埋まり、血飛沫が上がり、グレートボアがピクリと動く。

「もう一丁!」

 もう一度、斧を振り上げて叩きつける。

「まだだ!」

 そしてもう一度。もう一度。もう一度。

 一〇回は続けただろうか。斧が一メートルはあるグレートボアの首の半分ぐらいまで進んだ頃、グレートボアがピクリとも動かなくなった。

 辺りを静寂が包む。


「やった……のか?」

 誰かが誰宛にでもなく聞いた。

「ああ、やったんだ」

 誰かが答えた。

 そして次の瞬間、皆の歓声が辺りに響き渡った。

 泣いている人もいる。笑っている人もいる。抱き合っている人もいる。

 全員がこの喜びを分かち合っていた。


 僕はその場に尻餅をつき、座り込み、安堵のため息を吐く。

 そして皆が喜びあっているのを眺めながら考える。

 本当に、どうなるのかと思った。最後の最後で麻痺ナイフに全力で魔力を注いだらグレートボアが動かなくなったのだ。それで何とかなったけど、全てが綱渡りだった。予定通りと言える事なんて何もなかった。

 自分の無力さも実感した。

 今の僕の力なんてこの程度でしかない。迷宮? 秘境? 伝説の遺跡? アーティファクト? Bランクのモンスターに何も出来ずに振り回されたこの僕が何を言っているんだ? この程度じゃ人類が到達出来ていない秘境や伝説なんて探しようがないじゃないか。

 今のままではダメなんだ。今のままでは……。

 

「やったぞ! 俺達が町を守ったんだ!」

 暫く考え込んでいた僕にダンが抱きついてきた。

 だけど今は気持ちが整理出来ず、「あぁ……」というおざなりな返事になってしまう。

「おい、大丈夫なのか? 怪我でもしたのか?」

 反応の悪い僕の事を不審に思ったのか、ダンが聞いてくる。

「いや、それは大丈夫。ちょっと疲れただけだから」と、適当に言い訳してしまった。

「おいおい、もっと喜んだらどうだ? 俺達の手で、俺達の町を守ったんだぜ!」

 ダンがいつもとは違い、興奮しながらそう言い、ラキもその横で「うんうん」と嬉しそうに頷いている。


 この瞬間。僕は気がついてしまった。

 今までずっと感じていた違和感の正体に。そしてギルダンさんの言葉の意味に。

 いや、もっと前から気が付いていたのかもしれない。

 気が付いていたけど、無意識に気が付かないふりをしていたんだ。

 あまりにここの居心地が良かったから。


「そうか……」

 そう呟き、僕は歓声湧き上がる空を眺めた。

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