第29話【閑話】とある酒場に消えるつぶやき

 トスントスン、と軽く叩きつけるような音が厨房に響いている。

 その男は肉を切っていた。

 肉を切り、野菜の下ごしらえをする。そして地下の保存庫から葡萄酒を出してくる。それが男の朝の仕事だった。

 男は手を止め、ふと思い返す。

 さっきの、えらく丁寧な言葉遣いをする坊主に対する自分の態度は少しそっけなかったのではないか、と。

 男は、いつも女将さんに、お客には愛想良くしろ、と言われていたのを思い出した。

 この村は初心者ダンジョンと呼ばれる珍しいダンジョンの手前に自然と出来上がった。ここにはダンジョンを目指して周辺の地域から若い冒険者が多く集まってくる。そしてすぐにダンジョンをクリアして去っていき、もう戻ってはこない。

 人はこの村の事を始まりの村と呼ぶ。

 つまり、必要以上に愛想良くしたところであまり意味はない。その客が出ていってしまえば大体は二度と会う事はないからだ。


 男は軽く首を振った。

 それでも、やはりさっきの態度はいかんな、と思う。


 男は、何故あんなそっけない態度を取ってしまったのかを考える。

 答えは簡単に出た。

 あの坊主が、マスター、などと呼ぶからだ、と。

 少し気恥ずかしかったのだ。

「……」

 軽く息を吐き、また手を動かし始める。

 トスントスン、と包丁の音が厨房に響く。






「わし、ただの下働きなんじゃがの……」


 酒場のマスター改め、酒場の下働きのつぶやきは、誰にも聞かれず厨房の中で小さく消えていくのであった。

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