色紙に一言書くとしたら

板本悟

色紙に一言書くとしたら

 にわかに騒がしくなった。今年の文化祭は大盛況のうちに幕を閉じつつあるようだ。時刻は午後五時三十分。陽は完全に落ち切って、夕方よりも夜という感じだ。

 一階端には特別教室が並んでいて、僕がいるこの教室もその中の一つだった。しかし、この教室は文化部の展示には使われておらず、僕は一人、この教室を占領していた。

 わざわざ一人でこの教室を占領しているその理由は僕の目の前にあるこの文字で埋められた紙にある。正方形の厚紙。縁が黄色く真ん中が白い。いわゆる色紙しきしというものである。

 今日は文化祭だった。コンクールの少ない文化系の部活動にとってのメインステージといってもいい行事である。僕もそのコンクールの少ない文化系の部活動である音楽部の一員である。音楽部というともしかしたら吹奏楽を連想する人もいるかもしれないが、そちらではなく軽音楽の方である。吹奏楽は吹奏楽部というものがある。

 自分たちのステージを終えて、見にきてくれた同級生と話をして盛り上がり、先輩たちのステージに合いの手を入れて僕の仕事は終了した。本当はPAとかもしなくてはならないのだけれど、それは後輩に教えこんで押し付けた。何か問題があればその場にいる同い年の奴らが手伝うだろう。というわけで、僕は三階の視聴覚室の喧騒から逃げるように一階に降り、静かな端の教室に流れ着いたのだった。

 この教室に着いた時点での時間は午後二時五十分くらいだった。それから四時のチャイムがなり、五時のチャイムがなり、現在午後五時四十分である。時間がただ消費されていくだけで、状態は何一つ変わっていない。しかし、状況は逼迫してきている。

 目の前に色紙があって、右手にはカラーボールペン、左手にはスマホが握られている。進化素材が着々と集まってきているこの状態はきっと現実逃避というものなのだろう。電源ボタン長押しからのフリックで電源を切って、向かい側の椅子においてあるカバンに投げ入れた。嫌な音はしなかったからたぶん画面は割れていない。

 この色紙は当然貰ったわけではなく、これから渡すのである。メインステージを終えて、今日で引退する三年生に一年間お世話になった僕ら二年生が色紙を渡すのが例年の慣習だった。今年は三年と二年が同数だったため、一人が一人の分を管轄することになった。今日の打ち上げまでに二年全員分のコメントを集めるはずだったのだが、自分の分をすっかり忘れていた。色紙のスペースを人数分に分割していたわけではないので、もはや一言くらいしかかけるスペースがなかった。


◆◆◆◆◆


 彼女の第一印象はどんなものだっただろうか。文言を考えるために僕は過去に目を向ける。


 確か、第一印象は「淡水色のストラトキャスター」だった。

 二年前の文化祭。僕は受験勉強の息抜きと学校見学を兼ねて、この学校の文化祭に行った。別にこの学校に行きたいわけでもなかったのだが、ちょうど疲れたなあという時期に文化祭があったのがこの学校だった。

 校舎内には色々な教室の広告が貼ってあって、もはや鬱陶しく感じられるほどだった。別に騒がしいところが苦手なわけではないのだけれど(よくライブにも行くし)、ただ、無秩序に歩く大量の人とか、やたらと自分のクラスに引き込もうとするプラカード持ちの年上の人々がどうにも苦手だった。来たのは失敗だったかなあと思うほどに疲れた頃、音楽部がライブをしている視聴覚室にたどり着いた。

 そこはまさしく安寧の地だった。知らない曲も多くあったが、曲を聴いているだけでも暇つぶしになった。それにここも一つの展示場のため、他のクラスや部活の宣伝がこないのも良かった。

 ここで見たのが最初だった。それまでは興味のない曲ばかりでぼんやりと何もないよりはマシと思って聴いていたのだが(実際に演奏する側となってみたら我ながらひどい客だと思うが)、彼女たちが演奏したのは久しぶりに知っている曲だった。いや、知っている曲どころか好きな曲だった。当然のことながら本物よりは数段落ちるがそれでも聞くに耐えないほどではなかったし、なによりも楽しそうだったのが良かった。とても羨ましかった。勉強で苦しんでいる今の状況から、どうにかあそこにたどり付き合いと思った。だから僕は、この学校を受験することにしたのだった。


 午後三時半に外部の客の滞在可能時間が終了し、僕は家に帰った。いや、家に帰る前にまだ少し夕飯までに時間があるからと学校近くのショッピングセンターに寄っていった。

 いつもなら真っ先に本屋に向かうのだが、その日はどうしてだか楽器屋に向かった。なんとなくぼーっとエレキギターを眺めていると、一つのギターが目に付いた。ソニックブルーのストラトキャスターだった。そのギターを見て思い起こされたのは彼女と彼女の演奏だった。

 僕はそのギターを見て、引き返した。そのまま目の前に止まってそのギターを閉店まで眺めていたい気持ちもあったが、その気持ちに準じるよりも先に足が動いた。いや、むしろその欲求に取り憑かれたからこその行動だったのかもしれない。四階の楽器屋からエスカレーターを使って一階まで降りて、ATMブースに駆け込んだ。何も考えずに全額引き出して(実際には土曜日だったために手数料が引かれたが)、エスカレーターを駆け上がった。

 売り場スタッフの人に所持金を見せて、ソニックブルーのストラトキャスターを指差し、「このお金であのギターとあのギターを弾くのに必要な機材を全てください」と言った。

 正直、店員は面喰らっただろう。僕が店員だったら絶対に止める。僕が引き出した全額というのは一年に数万円もらえるお年玉の全額と、ちょっとずつ使っていた月々のお小遣いの残り全てだった。ひと財産である。それを中学生が直に持っているのだ。訝しんで当然だと思う。けれど、その店員はなぜか売ってくれた。今になって考えるとその店員はバカなんじゃないかと思う。いや、売ってくれてひどい話だと思うけれど、それでも常識的に考えれば絶対に売らないだろう。

 その店員は優しかった。アンプとケーブルとギターケースとカポタストとピックとチューナーとその他諸々を見繕ってくれた。そして、ギターをギターケースに入れて背負い、他の小さいものはもともと持ってたカバンに突っ込んで、アンプは両手で持って帰った。めちゃくちゃ重かったことは覚えている。が、ひたすらギターに夢中でそこまで気にならなかったような気もする。


 家にたどり着いたらリビングに親がいて、とりあえず怒られた。アンプやギターを下ろす間も無く怒られた。アンプを落とさなかったことは褒められてもいいと思う。

 怒られても返品するわけにもいかないので、ギターは無事に手に入った。ソニックブルーのストラトキャスターをギターケースから取り出し、勉強机から見える位置に置く。一つの美術品のように大事にしながら、一つのモチベーションとしてそのギターは大いに役に立った。ギターを買って以降、以前にも増して勉強に集中するようになったのも親を納得させる一つの要因になっただろう。

 志望校を変えたこともしこたま怒られた。何より私立でお金がかかるし、しかも、その学校は一般の私立よりもさらにお金がかかる大学附属高校だったからである。一般家庭である我が家にそんな余裕はない、と言われた。ここから必死の説得が始まった。説得というよりも、マイナスのことを話し続けた。公立の高校に通ってもいい大学に行けるとは限らないとか、必死に頑張って高校に入学してその後も頑張り続けられるとは到底思えないとか、飽きっぽい自分がここまで勉強に集中している現状は奇跡だとか。

 その甲斐あってか、志望校を大学附属の高校に変えることを認めてもらえた。当然その学校だけでなく他の学校も滑り止めとして受験した。今通っている学校に合格したのは運命だと思った。勘違いだとしても別に構わない。

 私立の受験が終わって高校に通うまで二ヶ月あったので、その時間を全てギターに使った。どうせまだバイトもできないし、ちょうどいい暇つぶしだった。暇つぶしに使うには大きなお金だったことも飽きっぽい僕がギターを続けている理由の一つである。


 彼女に僕の存在が認識されたのはゴールデンウィークの少し前のあたりだった。彼女は相変わらず淡水色のストラトキャスターを弾いていて、やっぱりとても格好良かった。彼女と同じ色のギターを持っているという実感が湧いてとても嬉しかったのを覚えている。彼女はギターの色をペールブルーと言い張ったが、間違いなくそのギターの色は僕と同じソニックブルーだった。けれど、ペールブルーと言い張る彼女の気持ちはとてもよくわかったし、彼女と同じバンドが好きなことがわかってとても嬉しかった。ペールブルーは僕が好きなバンドのボーカルが使っていたギターの色だった。すでに亡くなってしまっていたが、それでも僕はそのバンドの曲をよく聴いていたし、彼女が学園祭のライブでやっていたのもそのバンドの曲だった。


 同じ部活といっても会う機会はそれほど多くなかった。学年は違うし、練習はバンドごとで学外のスタジオを借りたりしてやっていたので当たり前といえば当たり前だった。別にそれに不満はない。この時には単純にギターを思い通りに掻き鳴らすのが好きだったし、ペールブルーのストラトキャスターを見るだけでテンションが上がった。

 高一の文化祭は散々だった。練習を散々繰り返したものの、練習不足が浮き彫りになった。経験不足。仕方のないことだったが、仕方のないことで済ませられるような精神力は持ち合わせていなかった。何しろ飽きやすい性格なのだ。自分でこう言い張るのも如何なものかと思うが、事実そうなのだから仕方がない。モチベーションが保たれたのは先輩がいたからだった。ペールブルーのストラトキャスターがなんとかモチベーションを保たせた。

 三年の先輩がこの日に引退した。このとき初めて彼女との時間が有限であることを自覚した。だからといって僕は特に何もしなかった。愛の反対は無関心ともいうけれど、嫌われるよりかは無関心の方がよほど良かった。

 かくして、今日まであまり関わらない先輩後輩という関係は維持されてきたのだった。


◆◆◆◆◆


 こうしてみると、関わりなんてほとんどなかったなあ。ただ一方的に好きだっただけだった。なら、文言は「先輩のギターが大好きでした。これからも元気に頑張ってください」だろうか。ありきたりでもう既に誰か書いていそうだが、いいのではないのだろうか。関係性としてはこれくらいだ。

 いや、待てよ。渡す役は僕である。それならこれ以降、この色紙を見るのは僕と先輩だけだ。それなら思い切って普段言えないことも文字にできるんじゃないだろうか。別に告白をする必要はない。例えば、場所と日時を指定するだけとか、連絡先とかそれでもいいのではないだろうか。……流石に露骨すぎて気持ち悪いか。

 時刻はもうすぐ午後六時。六時半に学校の最寄駅に集合だからそろそろ準備をしなきゃいけない。

 もう素直に書こう。変な空気になってももういいだろう。嫌われても残り数ヶ月なら問題ない。変に凝らずに冷静に。


 色紙に書いたこの一言で先輩との関係がどう変わったか、あるいは変わらなかったかは今の僕には知る由もない。それでもきっと、何の関係もない今の状態よりは好転しただろう。


「今度一緒にライブに行きませんか?」


 こんな単純な面白みもない一言でも。

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