3-3


「抵抗心ではないか?」


 すべての説明を終え、一悶着の後、大崎はことも無げにそう答えた。時刻は二十一時を回っている。大崎を砂上の楼閣に招待するために一時間近く労していたというのに彼の回答はあまりに簡潔で、感激とはほど遠い、拍子抜けした納得ばかりがあった。

 同じ感想を抱いたのだろう、ナコは「抵抗心ー?」と投げ遣りにおうむ返しにする。ベッドにもたれかかりながら、気怠さを隠そうともしていなかった。


「大崎先輩、説明ー」

「……お前らの前提で言うなら、な。宇宙人の目的が支配からの解放であるのなら、その独裁者の打倒という結論になるのは極めて自然だ。ヴィカス・クマールはインド人だろう?  自分を選んだ意味を勘定に入れていたのかもしれない」

「なるほど、独立かあ」

「ああ」大崎は頷く。「それよりも、鈴木明英のメモは見ないのか?」

「大崎さん、俺の言うことを聞いてくれよ」

「どうした?」

「順番にいかない?」


 支配者の選出順に話を進める必要はなかったが、彼女の〈命令〉が示した道は既に見えていたため、俺は数字に従うよう促す。二代目はワン・シウヂエだ。


「でも、ケイちゃん」とナコは身体を起こし、眉を上げた。「ワン・シウヂエの行使した〈命令〉は正確には残ってないよ」

「内容は、って話だろ。でも、一つだけ誰にしたか、確実な〈命令〉がある。たぶん、ワン・シウヂエは宇宙人を救おうだなんて思ってなかっただろうけどな」

「中国政府か」


 大崎が先回りして答えたため、俺は顎を引いた。


「宇宙人は為政者を支配者には選ばない。なら、そいつらに〈命令〉するのが条件なんじゃないか、って思ったんだ。でも、ワン・シウヂエの〈命令〉がその選択肢を消してる。もし、対象が合ってるなら宇宙人たちは彼女をもっと褒めてるはずだからな」

「じゃあ、アメリア・スミスは?」ナコはパソコンを操作しながら気もそぞろに続けた。「アキくんは微妙って言ってたけど、彼女の〈命令〉はただのノイズでいいの?」

「それは……なんとも言えねえな」


 アキと同様に、俺もアメリア・スミスが発した〈命令〉には大きな意味を見出せていなかった。彼女の〈命令〉の多くは他愛のないもので、知名度の割には参考にすべき点はないように思えたのだ。宇宙人たちは「彼女の功罪」がどうとか言っていたけれど、それが何なのか、今の俺には予想もつかなかった。


「だから、ひとまずアメリア・スミスの話は飛ばそう。支配者全員が俺たちのヒントになるとも限らないしな。次はアキだ」

「順番はいいのか?」


 つい今し方自分の提案が蹴られたのが不満だったのだろうか、大崎が混ぜ返してくる。わざわざ足踏みする意義もなかったため、俺は軽快に前言撤回をした。


「俺が悪かったよ。大崎さんの言うとおり、アキの〈命令〉について話そう」


 大崎は釈然としないようではあったが、鞄からアキのスマートホンを取りだした。ロックはかけられておらず、すぐに日記のアプリケーションが開かれる。最初の日付は七月三十一日、テレビ局で下した帰宅禁止令の日だ。スマートホンを手渡され、俺は画面へと指を近づける。

 だが、踏ん切りがつかない。その項目をタップする前に、大崎へと訊ねた。


「あのさ……大崎さんはもう見たの?」

「いや、まだだが、どうかしたのか?」

「なんというか」


 口ごもる。ない交ぜとなった期待と不安が指の動きを止めている。


「ナコは知ってるだろ? 一緒にあちこち回ってたとき、アキは大した〈命令〉をしなかった。だから、もし、アキが本当に宇宙人を救おうとしてたならこの帰宅禁止令が大きな意味を持ってるってことになる」

「ああ、まあ、そうなるかもね」

「ならよ、俺、すげえ馬鹿だったなって思ったんだ」


 ずっとアキの提案には意味がないと切り捨てていた。発端となる理由はあっても、その先に影響を与える意味を生み出すものなどない、と。だから、前例を紐解き、自分なりに宇宙人を救う方法を考えているときもアキの〈命令〉については蔑ろにしていたようにも思えた。

 俺は唇を結ぶ。


 ――そりゃ、アキも苦しむよな。


 記憶のない期間、あるいはそれよりもずっと前から、きっと俺はそういう姿勢でアキとの関係を保っていたのだろう。

 罪悪感がじわりと浮かぶ。

 そして、俺は意を決し、画面を指で叩いた。〈命令〉報告書に沿った流れで状況の説明が書かれており、その部分を読み飛ばして所感の位置までスクロールした。

 書き出しは「たぶん」だった。読点のない文章が続いている。


        ◇


 たぶんいろんな人がこの〈命令〉で怒ると思う。実際ナコも上の人から怒られてたみたいだし。ただ僕はこの〈命令〉が宇宙人を救うものだって期待してる。この報告を読まれたときすごい馬鹿にされるかもしれないけど。


 重要なのは対象と内容だ。


 結論から言えば僕は対象を「不特定多数」の人だって思ってる。宇宙人が支配者から除外してる総理大臣とか大統領が対象じゃないかって考えたこともあるけどワン・シウヂエの例が否定してるからね。それに宇宙人たちはヴィカス・クマールとアメリア・スミスが甲乙つけがたいって言ってたし。アメリア・スミスの何が評価されてるのかはよくわからない。

 問題はどのくらいの人に〈命令〉をすべきなのかってことかな。十人や二十人じゃ聞かないだろうし勝手な思い込みだと百人とか千人っていう単位でもないと思う。その理由は簡単で宇宙人は自分たちだけが救われようとしているわけじゃないから。あいつらは同胞すべてを救おうとしてた。ならもっとたくさんの人に〈命令〉しなきゃいけないんだ。どれだけ世間話に見せかけてもそういう情報をくれなかったから正確な人数はわからない。でもまあ多くて困ることはないんじゃないかな。


 次は内容の話。

 これが本当に厄介でいつまでも踏ん切りがつかなかった。というのも道が二つあったから。あの宇宙人たちが派遣されてきたのか追いやられてきたのか。それでするべき〈命令〉の方針が百八十度変わる。

 僕の予想ではヴィカス・クマールは後者を選んだんだと思う。あいつらとその同胞たちは骨の髄まで支配されていてそこから抜け出すために必要な感情を手に入れようとした。「怒り」とか「反感」とかそういうものを欲しがったって判断かな。

 でもヴィカス・クマールは失敗した。

 だから僕は前者の線を中心にしていくことに決めた。そうなるとあいつらは体制側の人間ってことになる。その前提で僕が思いついたのは一つだった。


 ルールの遵守。


 あいつらがさりげなく口にした拒否権の話でぴんときたんだ。あいつらの故郷は〈命令〉を前提にした社会システムがあってでも何かの問題でそれが成立しなくなってるんじゃないかって。

 ただまあそれを直接的に言うのも風情がないし紛れ込ませることにしました。たいてい本命のルールは付則としてさりげなく出されるものだしね。だからいろんな人には申し訳ないけど帰宅禁止令はただのおふざけだ。ケイスケにもナコにももちろん政府の人たちにはここで謝っておくね。

 僕が本当にしたかったのは法律の遵守のほう。自画自賛だけどこの〈命令〉は結構いいと思ってます。対象が多ければ次の人にも〈命令〉を考えさせる機会にもなるし。

 これが正解だといいなあ。


        ◇


 俺の指は自然と画面の上を滑り、〈命令〉の内容を画面の中央に据えていた。帰宅禁止令とその付則が箇条書きで記されている。その最後に期間中の犯罪を禁止する文があった。時間的な制限を設けた理由は定かではないが、アキは確かに既存の法律をまっとうさせる〈命令〉を下している。

 なぜ、今まで気にも留めなかったのだろう。帰宅禁止令ばかりが目立つもののその重要性は高かったはずだ。なにせ今までの支配者の誰もが犯罪の禁止という単純な〈命令〉をしてこなかったのだ。その意義に俺は黙った。

 目を瞑り、顎を上げ、息を吐く。拳を握る。


 アキ、お前の「世直し」は単なる冗談じゃなかったんだな。


 だが、考えれば考えるほどに賞賛は消えていった。代わりに無念さが腹の底を炙る。期間限定ではあるが、アキは極めて単純明快な世直しを完遂したのだ。だというのに、宇宙人の救済には繋がらなかった。その事実に俺は奥歯を噛みしめた。


 そこで大崎が「しかし」と呟いた。「これでやっと鈴木明英の行動に合点がいったな」

「大崎先輩たちはてんやわんやでしたからね」

「……でも、アキは、アキの〈命令〉は失敗だった」

「まあ、そうではあるが」

「ねえ、ケイちゃん」ナコは姿勢を正して訊ねてくる。「ケイちゃんはどう思う?」

「どうって」


 アキの〈命令〉を評価しろ、と言っているのだろうか。俺はしばらくナコを見つめていたが、返ってきたのは沈黙と視線だけだった。先へと進む催促のようでもあった。

 観念し、俺は口を開く。


「……対象は合ってると思う。あいつらの目的は〈命令〉の拒否権を生み出す感情のフィルタの修復だ。それを仲間にも施そうとしてるならたくさんの人の感情を収集する必要がありそうだからな。そうなるとやっぱり、あいつらは反体制側の人間ってことになる」

「それはあたしも同意見。なら、〈命令〉の内容を変えればいいってことだよね」

「問題はどんな〈命令〉にするか、だ」大崎の低い声が俺たちの真ん中、机の上に落ちる。「横谷、お前は何か思いついたか?」

「うーん……拒否権ってことから考えると、大多数に拒否されるような、というか拒否されるべき〈命令〉をしろってことなんですかね」

「お」と俺は思わず感嘆する。「それは結構冴えて――」


 感嘆しかけて、愕然とした。

 突如として、積み上げてきたすべてが崩れるような感覚に襲われる。時間をかけて並べたドミノを指で突いたかのような感覚だ。それが後悔なのか感慨なのか、恐怖なのか快感なのかすら判然としない。開け放っていた窓から風が吹き込んできて、カーペットに置いてあったコピー用紙の束を飛ばした。

 ナコにとっては思いつきを口にしただけなのかもしれない。

 しかし、その言葉によって俺の頭に浮かんだのは最悪の〈命令〉だった。


 もっとも単純で、もっとも暴力的な〈命令〉。


 気付けば、俺は否定材料を探している。

 だというのに返ってきたのは肯定の手触りばかりだった。

 すべての人を服従させる〈命令〉、それが存在する社会システムとはどんなものだろうか。何もかもがこの地球とは違う世界だ。しかし、たった一人の暴君の出現によりすべてが水泡に帰すシステムなど成立するわけがない。ならば、安全装置が組み込まれていて然るべきだった。きっとその一つが感情のフィルタなのだろう。

 では、濾過されるべき〈命令〉とは何だ?


 あるいは――宇宙人たちはヴィカス・クマールと同じくらい、アメリア・スミスを評価していた。彼女には功罪があるとも。日常の中で他愛もない〈命令〉ばかりを口にしていた彼女がいったいどのような理由で褒められるというのだろうか。

 彼女と他の支配者との決定的な違いは一つしかない。


「ケイちゃん、どうしたの?」


 ナコが俺の名を呼ぶ。聞こえている。だが、返答ができない。ようやく否定材料となりそうなものが見つかったのだ。

 倫理観。

 宇宙人たちは支配者の選出基準としてそれを真っ先に上げた。人並みの倫理観を持っているのならできる〈命令〉ではない。

 しかし、やっと手にした否定も手の中ですぐさま変質していく。

 もし、そこに他の条件があったとしたらどうだろう。倫理観の基準がやけっぱちの〈命令〉を防ぐために設けられているものだとしたら、そんなものは明確な否定材料になりはしない。


 俺は頭を抱える。

 心臓の鼓動がうるさい。だが、重く沈んだ心音のリズムはその激しさとは裏腹に血液に粘性を持たせ、身体を循環する速度を遅々としたものにしていた。まともに座っていられることもできず、床に手を突く。めまいがした。


「ちょっと、ケイちゃん、大丈夫?」

「ナコ」


 どこに目を向ければいいのか、それすらも考えられない。めくれた紙が手の甲に当たる。窓からは夜の闇が吹き込んできている。


「いちばんされたくない〈命令〉って何だ……?」

「え」

「もっとも拒否されるべき〈命令〉だよ」


 自分の声が遠い。別の答えが欲しいのか追認されたいのか、自分ですら判断がつかない。

 ナコは何も言わなかった。どんな表情をしているのか確認する気力など尽きていて俺の視界にはばらばらになったコピー用紙だけが映っている。必死になって導き出した答えがこんなものだとは思いたくなかった。

 そして、大崎が、静かにその言葉を口にする。


「死、か」


 明言されたその単語に脳が締めつけられる。

 これが宇宙人たちが期待していた〈命令〉なのか?

 たくさんの人に「死ね」と言うことが?

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