1-3


 支配者はその死をもって交代する。

 一般的にはそう考えられている。


 支配者となった瞬間、死へと続くエスカレーターへ乗せられ、猛烈な速度で終着点へと導かれる。方向が上か下かはともかく、選ばれた時点で近い将来の死が確定するのではないか、と。

 だが、宇宙人と話した今、全くの誤解であると悟っていた。

 支配者の死はあくまで結果だ。なぜならあの球体たちは地球に住む人間の命運よりも自分たちの救いを重要視しているからである。選択の失敗を深刻にするルールなど排除して然るべきだ。その所業を許せなかったとしても彼らが死を交代の唯一条件と決めるのは余りに不合理だった。


 そして、アキが生きているならば支配者のケアを担う〈新聞同好会〉が捨て置くはずがなかった。ナコがそばにいたのだ、彼らには身寄りのないアキを助けられる状況にあり、また、助けるに足る十分な理由を持っていた。支配者に関する情報にはまだまだ収集の余地がある。元支配者を切り捨てるにはアキの重要性は大きく、早急な判断と言えた。

 だから、俺が支配者になったこととアキの生死には関連性がない。


「どうなんだ?」


 俺はアキに会わなければいけない、アキに会って、謝らなければいけないのだ。たとえ自己満足だったとしても、アキの罪悪感だけは消さなければならなかった。

 大崎はまばたきと言うには長い時間、目を瞑り、胸の内ポケットから何か取り出した。机の上に置かれる。棒状の機械だ。人差し指ほどの大きさで銀色の光沢に覆われている。


「なんだよ、これ」

「ボイスレコーダーだ」

「ボイスレコーダー?」

「お前の言うとおり、鈴木明英は私たちが保護している。メッセージを預かってきた」


 訝るが、既に大崎の手によって再生ボタンが押されている。かすかなノイズが流れたあと、アキの声が部屋に響いた。

 その第一声に俺の身体は硬直した。


『――ケイスケ、動かないで』


 支配者の〈命令〉ではないと頭ではわかっている。しかし、身体は言うことを聞かない。従属衝動に狂わされた俺の脳はアキの言葉を最優先すべき本能であるかのように神経に信号を送っていた。


「おい、大崎さん、なんだよこれ!」

「なるほど、効くらしいな」

『本当はこんなことしたくなかったんだ、言い訳になるけどね……聞いたよ。聞いたっていうか、知らされた、っていうか』


 宇宙人による信号の伝達は全人類に向けて発信された。元支配者だろうと関係なかったに違いない。

 アキは淡々と俺に向けて喋っている。


『ケイスケが支配者になったのは本当に驚いたよ。たぶん、初めから決められてたんだろうね。やっぱり本当に申し訳ないことしちゃったみたいだ。合わせる顔がない』


 その声色で俺はアキが何を命令するか、理解した。


「大崎さん、再生を止めてくれ! 違うんだよ、アキが俺を巻き込んだんじゃない、俺がアキを巻き込んだんだ!」


 俺は必死に大崎へと呼びかける。

 だが、彼が動く気配は微塵もなかった。


『ケイスケ、ごめん、「探してみなよ」って格好つけて申し訳ないんだけど大崎さんたちに僕の居場所を訊いちゃだめだからね。出てくるような〈命令〉も』


 視界に白い靄がかかる。大崎が遠くなる。幻の霧を掻き分けてボイスレコーダーを止めようにも腕は動かなかった。意志よりも強い呪いで縛られた筋肉はちっとも俺の言うことを聞かない。


『それと』


 どんな言葉が続くのか、怖くて堪らない。

 まだらになる思考を必死に抑え、俺は叫んだ。


「大崎さん、再生を止めてくれ!」


 初めて下した〈命令〉に大崎はボイスレコーダーの停止ボタンを押した。周囲を包んでいた霧が晴れる。やはり大崎は無表情のままで俺を見つめていた。


「どうした?」

「何のつもりだよ!」喉が破けそうにも感じる。「俺が支配者になってから録ったってことは、アキには支配者の力はないんだろ? あんたがアキに従う理由なんてないだろうが!」

「頼みくらいなら聞く」

「……ふざけんなよ」

「しかし、いいのか? このレコーダーの最後の部分にはお前への命令を解除する言葉が入っている。それを聞かずにいたらずっとそのままだ」

「ならそこまで飛ばせばいいだけじゃねえか!」


 そう言った瞬間、俺はその〈命令〉が不可能命令であると理解した。一瞬混乱し、大崎の顔を窺う。彼はふっと息を吐き、頷いた。


「そうだ、俺は命令の解除以外は何を吹き込まれているか、知らない。それと気をつけろ。どんな〈命令〉がお前を追い込むか、わからないからな」

「……追い込む?」

「おそらく、次にお前がする〈命令〉は『聞いて確かめろ』だった。裏に『自身に聞こえないように』という付則が付け加えられる可能性もある。しかし、このボイスレコーダーは音量の調節が壊れていてな、最大の音量のまま固定されているからこの場では聞けない。お前がイヤホンなどの機器を持っていないことは調べがついている。するとお前は一人、動けないままこの部屋に取り残される」

「……なら、なんだよ」

「たとえばお前が座布団を出している間にタイマー機能のついたもう一つのボイスレコーダーを仕掛けていたかもしれない。すると、お前は止める手段を失ったまま聞くしかなくなるだろう」


「……は?」


「たとえば私は複数でここに来ているかもしれない。私がここを出て行くと同時に同僚たちが音響機器を用いて大音量で鈴木明英の言葉を流すだろう。いいか、私たちはプロだ。お前が宇宙人と話している間からずっと鈴木明英のメッセージを聞かせるための作戦を練っていた。付け焼き刃の支配者が太刀打ちできるはずがない」

「なんで、そんなことを……なんで、そこまでして俺にあいつの言葉を聞かせたいんだよ。どうせろくな言葉が吹き込まれてるわけねえじゃねえか」

「内容はわからない。だが、上が必要だと判断した。理由はいくつかある。一つは前支配者の生死が不明の状態を保っておくことの優位性だ。現状、この情報は数えるほどの人間しか認識していない」

「国とか、そういう話かよ」

「さあな」と大崎は白を切り、続ける。「二つ目は私たちの組織的な理由だ。私たちは彼のケアを任されている。彼の望むすべてを叶えるわけではないが、この依頼は完遂すべきだと判断された。もし鈴木明英の言葉に誤りがあるなら後で訂正をすればいいだろう」

「もし、アキが『忘れろ』って言ってたらどうすんだよ! 今の俺はそんな命令すら聞いちまうんだぞ!」

「それはない」


 大崎の断言は明瞭とした輪郭を持っていた。射竦めるような視線に俺は顔を逸らす。逸らすことができた。首から上だけは自由があり、俺はぐっと奥歯を噛みしめる。

 信じられるわけがない。

 だが、「今すぐ出て行け」と命じることもできなかった。身体の問題ではない。その言葉が大崎だけではなく、アキすらも否定する言葉となり得たからだ。不都合な事態に直面したとき、お前はすぐに他人の記憶をねじ曲げる。俺の行動が筒抜けである以上、結果を聞かされたアキがそう解釈したとしてもなんら不思議な点はなかった。

 大崎は続ける。


「そして、これが三つ目の理由だ。私はこのボイスレコーダーを渡された際、鈴木明英に『アドバイスが入っている』と教えられた」


 きっと大崎は「アキを信じるか否か」を訊いている。

 おかしな話だ。記憶の改竄を知った今、俺とアキとの確実な関係性は二ヶ月の思い出だけだ。他のどんなエピソードも俺の脳が生み出した夢想という可能性がある。そんなものを信用できるはずがなかった。

 俺は俯き、ゆっくりと息を吸い込む。

 逡巡が全身に吹きだまり、やがて消えていく。


「……もう、どうでもいいよ」

「何?」

「どうだっていい」

「それは」と大崎はわずかに語気を荒げる。「それは鈴木明英はどうでもいい、ということか?」

「違えよ」


 俺は顔を上げ、大崎を睨みつける。


「どっちがどっちを巻き込んだなんてどうだっていい、そう言ったんだ。キリがねえ。大事なのはあいつらが、宇宙人とかいうふざけたやつらがいなくなることなんだ。あいつらさえいなくなれば全部が元どおりになる。俺のイカれた脳はそのままになるかもしれねえけど、アキに聞けば記憶だって埋められる。どうせ逃げ場はなくて、後ろを懐かしんでも何も見つからないんだ」


 そして、俺は言った。


「……大崎さん、聞かせてくれよ」

「……流すぞ」

「頼むよ」


 銀色の突起が押される。アキが「それと」の続きを話し始める。


『宇宙人たちのことだけど、結局、僕にはあいつらを救う方法は思いつかなかった。でも、きっと不可能な依頼はされてないと思うんだ。ケイスケも聞いたでしょ? あいつらの基準を信じるなら僕たちでさえも可能な道が隠されてる。だから、もし、ケイスケが宇宙人たちを元の星に返したいと思っているのなら――』


 アキはそこで言葉を句切った。きっとその続きが命令になるのではないかと危惧しているのだろう。苦笑が聞こえ、結びがうやむやになる。アキはごまかすように『もう動いていいよ』と言い、俺の身体は見えない鎖から解放された。『じゃあ、またね』とアキが締めくくると同時にボイスレコーダーから無機質な音が響いた。きっとこれで終わりなのだろう。俺は強張った身体をほぐし、大きく嘆息した。


「無茶だって思うよなあ。ノーヒントで宇宙人を救え、なんてさ」


 自分の発した強い言葉に負けて弱気になった、なんてことはない。支配者の苦しみなんて知らない誰かが言いそうな言葉を真似てみただけだ。大崎も俺の下手な演技に勘づいているらしく、殊更に態度の矛盾を指摘してくることはなかった。


「……お前がどう思うかは知らんが、一つだけ言っておこう。私は協力する姿勢を取るつもりだ。そのためにここにいる」

「へえ、〈新聞同好会〉ってケアだけじゃなく、そういうことまで請け負うんだな。青少年が何たらってのもまた嘘なんじゃねえの」

「嘘は吐いていない。俺はちゃんと『など』と言ったはずだ」

「え」

「横谷の職域は確かにケアだが、私にはもっと直接的な対策に関する役割があてがわれている」

「市役所のほうから来ました、的なやつかよ」


 俺は大崎の言い分に呆れ、胡座を掻いたまま思い切り仰け反った。この後に及んで翻弄されていた事実に気がつき、俺はものも言えなくなった。

 天井を見つめる。あるいはその先にいるかもしれない宇宙人たちを。

 結局、俺の役割はアキの不可能な提案に振り回されていたあの頃と変わらない。相手が変わっただけだ。しかし、だからこそ、こんな無茶ぶりには慣れている。そう考えるとあながち宇宙人が俺を選んだことも完全な不正解とも思えなかった。

 支配者だってのになあ。

 心の中でそう嘆くと同時に河川敷での記憶が甦る。アキの返答が脳裏を過る。


「支配者ってさ、それほど自由ではないんだよ。むしろ逆なのかもしれない。支配者こそが誰よりも縛られちゃうんじゃないかなあ」


「どうした?」

「なんでもないよ」


 俺は身体を起こし、首を横に振った。大崎の提案を承諾し、母さんも交えての三者会談へと移ることにする。

 ――支配者としての生活が始まる。

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