第2部 この世の支配者、鈴木
1 球形の宇宙人
1-1
四代目の支配者である鈴木明英はまだ高校生の少年だった。それまでで最年少であったためか、思いつきのような〈命令〉が多く、一つの国を巻き込む「帰宅禁止令」はその最たる例と言えるだろう。
帰宅禁止令は賛否両論と呼ぶには否が圧倒的な論調をもって受け入れられたが、彼を心の底から憎んでいた人間は少ない。それは彼が受けたインタビューに起因するかもしれない。彼はそれまで他の支配者が明かさなかったさまざまな事実を明かした。人懐こさと老成が入り交じった口調で煙に巻くような言い分もあったが、多くの人がその言葉を真実として捉えた。
たとえば、鈴木明英は以下のように語った。
――宇宙人ですか? ああ、会いましたよ。夜通し語り明かしたし、っていうか、まあ、喋っていたのはほとんど僕だけなんですけど。
そうだ、宇宙人ってどんな感じだと思います? 僕はグレイ型、あの頭と目が大きくて、手足が細いやつを思い浮かべてたんですけど、違ったんですよね。あ、タコ型でもないですよ。それだったら愛嬌あるし、みんなに顔見せてもよかったかもしれませんね。でも、違う。
バスケ、やったことあります? あ、別に話変えてないですからね。あのボールを想像するのがいちばん早いと思います。あの人たち、真っ黒なボール型なんです。それで、宇宙って無重力だからぷかぷか浮いてるんですよ。上下前後左右にちょっとした穴が空いてて、あれは目と口っていうか、カメラとスピーカーって考えたほうがいいかもしれませんけど。
え? そうだなあ、印象って言われても、ちょっと口にするのは気が進まないけど……まあ、言いますか、こんな機会だし。
正直、僕はあんまり好きじゃないですよ。だからって、嫌いってわけでもないです。自分のこと、話してくれないからその段階までいかないんですよね。一つ言うなら、あいつら、つまんないんですよ。
宇宙人に関してはそんな感じです……。
◇
今、俺の前で、アキの言う黒い球体が三体、漂っていた。金属を思わせる光沢と模様めいた溝には人工物らしき無機質さがあり、生命力をいくらも感じさせなかった。
『綺麗でしょう』
合成音声の感嘆に促され、窓の外に目をやる。眼下には地球が佇んでおり、その青く輝く色彩は画像などで見るよりもいっそう美しかった。圧倒され、感想すらまともに述べられない。
ただ、状況が状況だけに、素直に感動はできなかった。
『あなたが支配者となる惑星です』
どの球体がそう言ったか、判別も難しい。三つの球体は声も模様も同じであるため、個体の識別は方向だけが頼りだった。いっそのこと群体として割り切ったほうがいいのかもしれない。
俺は地球から向き直り、球体たちに目をやる。反応をしなかったせいか、彼らは再び通達を突きつけてきた。
『鈴木ケイスケ、あなたが五代目の支配者です』
「……宇宙人はすごいな、うちの両親の離婚まで知ってるなんて」
『我々が皆さんに対して情報の送信が可能であるのと同様、情報を受信することもまた可能です』
「皮肉だよ、もしくはジョークだ。アキの言ってたとおり、お前ら、本当にユーモアセンスがないんだな」
『お言葉ですが、理解されないジョークを発したのはあなたです。それに我々の間にもジョークは存在します。しかし、理解されるとは思えないために自粛しているのです』
「なんでもいいけどよ、こんな殺風景な場所で話すのかよ」
『気に入らないなら内装を変えましょう。あなたはどんな場所が落ち着きますか?』
その言葉で俺が咄嗟に連想したせいなのか、壁が形を変え始める。計器類すらない、窓だけが浮いた真っ黒な部屋はやおら変質していき、俺の部屋が再現された。窓の外だけがいつもと違う。街灯がぽつぽつと点在する道はなく、地球と、星々が漂う茫洋たる宇宙空間がどこまでも覆っていた。
その現実離れした光景が、逆説的に不思議な実感を与える。
――いつの間にか、俺は宇宙にいた。
言葉にするとなんて間の抜けた響きなんだろう。
八月、夏休みも終盤に入っており、俺の憂鬱は一向に増していくばかりだった。「夏休みがいつまでも続けばいいのに」だなんて今までずっと抱いていたようなくだらない願望ではなく、アキのいなくなった世界で、仲良くしていたはずのクラスメイトたちとどんな顔をして話せばいいのか、不安で仕方がなかったのだ。もしかしたらアキが敬遠されていただけで、俺だけになったら以前と同じようにはしゃぐことができるのかもしれない。あるいは変わらず壁が生じたままかもしれない。周囲と合わせるにも反応を予測できず、ほとんど毎日を無為に過ごしていた。
だから、俺は宇宙人から招待を受けた事実に戸惑いと驚きと悲しみの中に一匙の喜びを感じた。もちろん、本当に微々たるものだけれど、感情に嘘は吐けない。
『しかし、ずいぶん落ち着いた態度ですね』
宇宙人の指摘を鼻で笑ってみる。
「驚くのに疲れたんだ。不服かよ」
『いえ、あなたの肉体はそれなりの反応をしていますから』
俺は手のひらを見つめる。別段変わった印象はないが、ここに肉体は存在していないという。あるのは精神だけで、身体はベッドで横になっているそうだ。ここまで技術力に差があると感心もない。ほとんどファンタジーの領域だった。
現在、肉体と精神の繋がりがどうなっているのか、俺には想像もできなかった。だが、考えても栓のないことなのだろう。どっちにしたって身体感覚は今まさにここにあるのだ。再現されたベッドに腰掛けると、あるはずのない柔らかな感触が尻に当たった。
『では、改めてお伝えします。鈴木ケイスケ、あなたが五代目の支配者です。この事実は日本標準時で日付が変わる〇時に我々の手によって全人類に流布され、その時点ですべての地球人類はあなたのための被支配者へと変わります。我々はあなたの行動に一切制約を設けません。ただ、一つお願いがあります』
「お前らを救え、だろ?」
何度も聞いた言葉だ。穏やかな気分でそう返すと、俺とアキの関係性を認識しているらしく、宇宙人たちは即座に肯定の意を示した。
『わずかばかり認識の齟齬を感じますが、おおむねそのとおりです。もし可能であるならば我々と同胞たちを救っていただきたい』
「あのよ、それ、どういう意味なんだ?」
俺の質問に宇宙人たちは沈黙を返した。表情が読めないため断言できないが、言葉を選ぶような間でないのは確かだった。
「具体的に教えてくれねえと救えるもんも救えねえだろ。いったい、お前たちはどういう行動を期待してるんだ? まずそれを聞かせろよ」
『お答えできません』
「あ?」苛立ちが澱のように浮かんだ。「なんだって?」
『お答えできません』
「それで本当に救われたいとか言ってんのかよ」
『本気です。ですが、その質問にはお答えできません』
要領を得ないやりとりに俺はアキの言葉を思い出した。
宇宙人は身の上話を語らない。そして、その理由はどちらかだという。つまり、納得済みの統制か、不本意な強制。
俺は息を吐き、膝の上で指を組む。肉体的な感触に自分がどこに立っているのか、わずかながら意識が揺らいだ。
「……アキはお前らのこと、『囚人じゃないか』って言ってたよ」
その一言に宇宙人は一瞬黙り、それから、呟いた。
『驚きました。まさかそんな発想をされるとは』
「へえ、お前らにも驚くなんて感情があるんだな」
『当然です。我々にも感情は残されてますから』
「それで、どうなんだよ、当たってるのか?」
宙に三角形を形作っている球体たちはそれぞれ横方向に回転し、なんらかの角度を合わせた。まるで互いに相談するかのようでもある。音のない会議はしばらく続き、やがて俺へと向き直るみたいに動いた。
『二つの意味で非常に難しい質問です。まず、我々にも罪と罰の概念はありますが、刑に対する態度の説明があなたに理解されるか、甚だ疑問ではあります。そして、もう一点、その発想への全面的な肯定は不可能であるということです』
「つまり、否定はしないんだな」
『全面的な否定もまた不可能です』
玉虫色の回答に今度は怒りすら湧かない。おそらくどうあがいても改善されない部分なのだろう。アキが彼らの態度から「囚人」を連想した理由もこの部分が原因だと得心がいった。無感情な音声のため、機微を掴むことは難しいが、規律への積極的遵守よりも脱法行為を思わせる必死さを感じた。
俺は目の前にいる宇宙人たちがどんな存在か、頭の中で想像を膨らませる。手材料が不足しているため、正確さはいくらも担保されないだろうが、自分を納得させられる程度に彼らの置かれている状況が形作られていく。
だが、やはり、それを伝えたところで肯定も否定もされないと予想がついた。俺は大きな溜息を吐き、窓の外に目をやる。宇宙空間に浮かぶ星々は静かに光を反射している。発光しろ、と命じたところで惑星が光を生じないのと同様、彼らから明確な回答を得るには条件が必要なのだろう。
「まあいいや。そんなことより何個か質問したいんだけど」
『お答えできることならば』
俺はゆっくりと息を吸い、拳を握る。聞かなければいけないことはたくさんある。だが、最初に聞いておかなければいけない疑問は一つだった。
「どうして、俺が支配者に選ばれたんだ?」
今まで俺以外の四人が支配者として選出された。ヴィカス・クマール、ワン・シウヂエ、アメリア・スミス、そして、鈴木明英。七十六億分の四という数字はサンプルとしては頼りないが、それでも全員の社会属性には大きな幅がある。
だが、今回だけは別だ。
この際、「俺という個人」に白羽の矢が立った理由はどうでもいい。だが、日本の高校生、しかも――たぶん――友人という関係性があった俺たちが連続した明確な理由があって然るべきだった。
宇宙人たちも織り込み済みの質問だったに違いない。彼らは言外にある俺の言葉を読み取り、答える。
『我々も国家という地理的条件、文化や言語による区分は知識にあり、地球に住む人々にとってある程度の重要さを持っていると知っています。ですから、最終的にアトランダムな選出を行ったとはいえ、候補の選別にはさまざまな基準を設けていました』
宇宙人はその選別基準を語る。
まず一つはある程度の倫理観を有していること。宇宙人たちは暴君の誕生を忌避したという。当然だ、即物的な願いを叶えるだけでは宇宙人を救えるはずもない。
二点目に挙げられたのは知能や文化面だった。彼らは状況を把握し、要望に応えられるだけの最低限の能力を求めていたらしい。とはいえ、高校生の俺たちが選ばれるくらいなのだからそれほど高いハードルではないのは確かだった。
ただ、そこで疑問が湧き、俺は口を挟んだ。
「なら、どうしてどこかの総理とか大統領を選ばなかったんだ? そっちのほうが組織的に動けるから効率がいいだろ」
『為政者である、あるいは為政者だった人物は除外されなければなりません』
「なんでだよ?」
『詳しくはお答えできません……ただ』
初めて彼らの口から耳にした付加の逆接に身体がぴくりと震える。
宇宙人は続けた。
『我々はその条件を必要だと考えました。少数なら問題ありませんが、直接的に大規模な組織編成が可能な人物では我々の望む救いは得られないと判断したためです。また、改めて説明はしませんが、他にも子細の条件はいくつも存在します。そして、あなたが知りたいのは「なぜ日本という国家に在住する少年が連続したか」でしょう。これについてはおそらく誤解が生じています』
「誤解? 俺もアキも日本人で、高二だろ? 何が違うんだよ」
『実際に四代目の支配者に選ばれていたのは鈴木ケイスケ、あなたです』
思考が止まった。
言葉の体積に脳が飽和する。うまく意味を噛み砕くことができない。
無意味になると知りながら、俺は情報を整理する時間を欲する。だが、俺の動揺をよそに宇宙人の平坦な声が響いた。
『三度の実験が失敗し、我々はなんらかの変化が必要だと考えました。そこで着目したのが検体に対する事前介入でした。あなたの交友関係の中でもっとも影響を与えそうな人物を探し、まずはその人物を支配者として立てることにしたのです。それが鈴木明英でした。予想外だったのは――』
「……おい、待てよ」
『予想外だったのは彼が我々にとって非常に好ましい結果を残したという点です』
「待てって言ってるだろ!」
叫び声が遅れて俺の意識に入ってくる。自分の感情を、霧を通して見ているようだ。その正体が怒りなのか悲しみなのか、それともまったく別種のものなのか、名前をつけることすらできなかった。
宇宙人の説明はつまり――
「――つまり、俺がアキを巻き込んだってことか……?」
もし――もし、俺が支配者の候補に挙げられていなかったなら。
その先を想像しただけで黒く、重い液体が胸の中を満たした気がした。力が抜ける。頭に浮かび上がるのは謝罪の言葉だけだ。確かに俺にできたことなど何一つなかった、その理屈は正しいのかもしれないが、それでも罪悪感だけが色濃く全身を渦巻いた。
「俺が支配者に選ばれてなかったら……」
『あなたが気に病む必要はありません。恨まれるならば我々が恨まれるべきです』
「慰めなんていらねえよ」
『慰めではありません。付け加えるならばあなたが巻き込まれたという点も語弊があります。もし、鈴木明英が我々が求めていた基準を満たさなかったのならばあなたが支配者になることもありませんでした。それを踏まえれば――』
「そうじゃねえだろ!」
俺は立ち上がり、拳を振り上げた。だが、殴ったところで意味があるのかさえわからない。金属質の黒い球体はあまりに無機質に目の前を漂っていた。
「おばさんは、アキの母親は死んだんだぞ!」
『ですから、それについて恨まれるべきであるのは我々だと言っています。もちろんさまざまな要因によって引き起こされた事故ではありますが、大元の原因を作ったのは我々と考えられてもなんらおかしくはありません。ただ、初めからお察しのとおり、我々はどんな犠牲を払っても同胞たちを救いたいのです』
「……生け贄の間違いだろ」
自らに痛みのない犠牲を身勝手に他者へと押しつけてのうのうと救われようだなんて――。感情があるかどうかさえおぼろげなこんな球体たちが、俺に関わる人の命を握っていることそのものが許しがたい事実だった。
何が「救ってくれ」だ。
早く俺を元に戻せ、そして、どこか遠くへと消えろ。
激情に任せてそう叫ぼうとする。だが、その言葉すらうまく出てこないほど怒りが溢れかえっていて、俺はただただ球体たちを睨むことしかできなかった。
素知らぬ素振りで、球体は音声を発する。
『すべてを地球の方々に頼むのは我々としても本当に心苦しいのです。ですが、今の我々にはこの方法しかない。そして、誤解しないで欲しいのは我々とあなた方は同じだということです』
「何が、何が同じだってんだよ!」
『時間がなくなってきました。簡潔にあなたに約束をしたいと思います。もし、我々を救っていただけたのなら我々はすぐにでもこの星から去ると誓いましょう。今後、再び姿を現すこともない』
俺は舌打ちをする。
「……お前らはどうあったって自分たちが救われることしか考えてないんだな」
『そのために我々はここにいるのです』
「お前らは――」
だが、俺の中にいる限りなく小さい冷静な自分は「それしかない」と納得している。こいつらを嫌えば嫌うほど、俺はこいつらを救うしかないのだ、と。
『では、また機会を見てお話しましょう。最後に何か質問はありますか?』
唇を噛みしめる。多くの疑問が残されているが、今、聞かなければいけない質問は一つしかない。
俺はゆっくりと息を吐き、訊ねた。
「アキは、俺が支配者に選ばれるって知ってたのか?」
だから、アキは横谷ナコと一緒に俺を連れ回した。それが俺の考えるもっとも合理的な理由だった。〈命令〉に慣れる、それは次の支配者である俺への配慮だったのではないか?
だが、宇宙人たちは明確に否定した。
『先ほど言ったとおり、鈴木明英が暫定的な支配者となったとき、まだあなたが支配者になるとは確定していませんでした。ですので我々が彼に伝えたのはもっと曖昧とした事実です。すなわち、次の支配者は日本人である、それだけです』
ああ。
次第に意識が薄れていく。おそらくは精神が肉体へと戻されているのだ。重力に引かれるような感覚が背中を這い上がってくる。目を開けていられなくなる。
同時に俺は確信を抱いていた。これがきっとアキの隠し事だ。アキは次の支配者が日本人であると知っていたからこそ、あんな〈命令〉をしたのだ。次の誰かにバトンを引き継ぐために日本を巻き込んだ。
――アキ。
俺は宇宙から声なき声で呼びかける。
アキ、お前はどうしてそんな状況で笑えたんだ?
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