第86話 アマゾン探索2日目 夕方

 集落のいたるところから、悲鳴がこだまする。その声を無視し、健人とエリーゼは身体能力を強化して走っていた。時折、集落に残った女性を見かける。


 その中には、案内人のヴォルネもいたが、誰も逃げようとしない。すでに生き残ることを諦めているのだ。前に進むも、後ろに進むも地獄。体を動かす原動力、燃料となる生きるための希望が残っていなかった。


 健人はそんな彼女らを横目に、歯を食いしばって通り抜ける。立ち止まりたい。助けてあげたい。そういった純粋な気持ちを必死に押し殺し、今はただ、エリーゼともに逃げ出すことしかできない。その無力感に、何度も自らを責めていた。


「順調なのも、ここまでのようね」


 ようやく集落の端へとたどり着くが、幸運なのもここまでだった。先頭を走っていたエリーゼが立ち止まり、目の前の魔物を睨みつけている。


 全身が黒光りし、足は細い。高さは1メートルほどある。頭についた長く鋭い顎が、その魔物ーーアリの攻撃性を象徴していた。それが数十匹も目の前に立ちふさがり、ギチギチと不快な音を奏でている。


「どうする?」


 幸いにも目の前にある木製の棒には、数日前に塗られた虫除けの効果残っていた。アリの魔物は集落の中に入れず、一箇所に固まったまま動かない。


「時間は、かけられないわ。吹き飛ばして駆け抜けるわよ!」


 エリーゼが腰につけたポーチから取り出したのは、ヴィルヘルムが作った魔石爆弾だ。手に取った2つの魔石爆弾に、魔力を通すと赤く光りだす。


「伏せて!」


 立ちふさがっているアリに向かって全力で投げる。と同時に、投げた先を確認せず、すばやく地面に伏せる。数瞬遅れて健人も地面に横たわると、爆発音がした。


 宙に舞った土がパラパラと、健人の顔にかかる。手で目をかばいながら立ち上がると、魔物が立っていた所には、小さなクレーターが2つできていた。健人は左右を見ると、原型をとどめていない数匹のアリ。足や体の地位部が損傷したアリが数十匹いるのが分かった。


 目の前に魔物はいない。奥には、ジャングルが見える。


「道ができたわ! 走るわよ!」


 2人が全速力で走りだす。道を塞ごうとアリが動きだすが、破損した体では思うように動けず、間に合わない。


 クレーターはジャンプで飛び越え、運悪く進路方向の近くにいるアリには、エリーゼが走りながら魔法の矢を放ち、沈黙させる。


 速度を落とさず、すべてを忘れ、健人はただ前だけを向いて走る。


「抜け出せたわね!」


 捕食しようと迫り来るアリの集団を駆け抜け、無事に包囲網を突破した。


「これを受け取りなさい!」


 振り返ったエリーゼはトドメとばかりに、魔石爆弾を追跡してくるアリに投げた。

 爆発音が鳴り響き、再びアリが宙に舞う。2回に及ぶ爆発によって、ほぼ壊滅状態だ。


 2人を追跡できる魔物は存在しない。一時的に周囲を見渡す余裕ができた健人は、振り返り、遠くから集落の様子を観察する。


 集落の人々は逃げ惑うことも、立ち向かうこともせず、ただ魔物に捕食されるだけだ。唯一、ヤグがいる場所だけ戦闘が発生している。しかし魔物の数が圧倒的に多く、もうすぐ体力が尽きて倒れてしまうのは、誰が見ても明白だ。


「…………どうして、お前だったんだ」


 ダンジョンに対する備えをすることなく、欲望のままにハーレムを作り、数年ほど王様と君臨してきた。ここでヤグが死ぬのは、自業自得だ。


「もっと、いや少しでもいい。まともなヤツだったら、彼女たちは救われたはずなのに! どうして、お前だったんだ!」


 破滅の道へと付き合わされる、集落の女性たち。彼女らを見殺しにする自らの無力さを、ヤグを地球に招いたダンジョンを呪うように叫ぶ。


 死んでも構わない。今からでも集落に戻って助けに行きたい。その気持ちを寸前のところで制御できたのは、隣にいるエリーゼのおかげだった。


「健人……」


 集落の方をじっと見つめ、歯をくいしばる健人。

 その様子から、心情を察したエリーゼが、肩に手を置いた。


「分かっている……自分たちの命すら危ういのに、彼女たちを助ける余裕はない」


 集落から目を離し、自らの決意を語る健人。


「うん。そうよ。先ずは自分の命。それを最優先に考えましょ」


 エリーゼがジャングルへと向かう。

 健人は集落の様子を目に焼き付けようと、最後にもう一度見る。すると様子が大きく変わっていた。


「エリーゼ!」


 健人の切迫した声で、エリーゼが立ち止まり振り返る。


 虫除けの効果が切れたのか、昆虫型の魔物が集落の四方から侵入している。さらにそれを追うように、サラマンダーなどの爬虫類型の魔物も侵入していた。


 集落に残っていた人間はすぐに捕食され、跡形もなくなり、それに気づくと今度は、魔物同士で捕食し合っている。魔物は次から次へと集落に集まる。捕食し合っているのに、数は増える一方だ。


「「…………」」


 地獄のような絵図に、言葉を失う2人。


 いくら魔物でも、ここまで見境なく他の生物を襲いはしない。魔物が増えすぎたことによるストレスと空腹、さらに血の匂いのよって狂乱。もう誰にも止められない。


「氾濫が始まるわ……」


 これからテリトリーが広がり、魔物の腹を満たすだけの動物が捕食される。つまり、エリーゼが言っていた氾濫が始まるのだ。


「これからは休むことなく歩いて、迎えが来る場所まで戻るわよ。夜になるまで、少しでも距離を稼がなきゃ」


 この周辺に生きている人間は、健人とエリーゼしかいない。その事実を噛み締めながら、ジャングルの奥へと歩き出した。



「氾濫の初期だというのに、この数はないでしょ……一体どういうことよ! 他にも何かあるって言うの!?」


 エリーゼは立ち止まって、悪態をついていた。それも無理はない。目の前に数え切れないほどの魔物が道をふさいでいるからだ。


「クソッ! お前たちの責で!」


 健人がロングソードを振り下ろし、30センチはあろう蚊を叩き切る。その隣ではエリーゼが、弓で仲間の蚊を撃ち落していた。


 今までどこに隠れていたのかと疑問に思うほど、2人を襲う魔物の数は増加する一方だ。戦いながらも前に進んでいるが、そのスピードは遅く、もうすぐ日が落ちてしまう。しかし最初の集落までの道のりは遠かった。


「私の知っている氾濫より、魔物の数が多すぎるわ! 早く全滅させないと、逃げられなくなるわ!」

「全滅!? いいね! 皆殺しだ!!」

「ありったけの魔石爆弾を使うわ! 健人は、周囲を囲む強力な氷壁を創って!」


 エリーゼは背負っていたリュックを降ろし、魔石爆弾を数個取り出す。その間に健人は魔法を発動させ、2人をぐるりと囲む高さ数メートルの氷でできた壁を作り出していた。


「私が持っている分は、ここで使い切るわ。爆風が収まったら、すぐに解除して逃げるわよ!」


 そう言うと、魔石に魔力を込めて外に投げる。すると氷壁の外から断続的に、爆発音が聞こえ、空気が振動する。氷壁には土や魔物の破片が当たり、揺れてヒビが入るが、健人が魔力を送って補修、強化することで、2人は怪我を負うことはなかった。


「使い切ったわ! 私についてきなさい!」


 氷壁を解除すると、周囲は土煙に覆われていた。視界が悪く、どこに魔物がいるかわからない。だが、そんなことは関係ないとばかりに、エリーゼが歩き出した。


 エリーゼは、音、匂い、土煙の動き、さらには魔物から漏れ出す魔力を注意深く察知し、蛇行しながらも目的地に向かって歩く。


 いくつかの幸運にも支えられ、無事に集落に到着したが、そこは前日のような、宿泊できるような場所ではなかった。


「サラマンダーに、あれはシルフね……」


 集落の中には、赤い鱗のトカゲとワンピースを着た半透明の少女――シルフが徘徊している。

 氾濫の影響で、この周辺も魔物のテリトリーに入っていたのだ。


「もう一度、ここに泊まりたかったけど……無理そうね。少し離れたところで夜を明かしましょ」


 すでに日は、半分落ちている。魔物に見つかる危険があるため、明かりは点けられない。暗闇の中探索するのは自殺行為だ。2人に残された選択肢は、息を潜めて隠れるしかなかった。


 ゆっくりと後ずさり、夜が過ごせる場所を探すために歩き出す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る