第70話 健人と梅澤
コテージの外に出た健人は、小さな畑の前で星を眺めていた。街灯のないゴーレム島には、満天の星が夜空に浮かんでいる。
話し声が聞こえない、静かな時間。ときおり弱い風が吹き、葉のざわめきとともに、懐かしい草の匂いを運んでくる。
(エリーゼが懸念することもわかる。礼子さんや明峰さんの切羽詰まった気持ちもわかる。だからこそ、結論を出すのを引き延ばしたかった)
どちらにせよ、反対を押し切って、判断を下さなければいけない。その事実に、健人は押しつぶされそうになっていた。
突然、頭を振って健人が立ち上がる。
「このままじゃダメだ。気分を切り替えよう」
入り口に置いてある懐中電灯を持ち出し、自らの考えを整理するために歩き出す。だが様々な思いが浮かんでは沈むだけ。歩いても、一向に考えはまとまらない。
そんな無駄な時間を過ごしているうちに、小さい木造の小屋が視界に入る。
(ここは梅澤さんの家か……久々に見たけど、随分と小さい……それにすぐに倒れそうなほど頼りない。今、そんなことに気づくなんて、俺は何も見ていなかったなんだな)
健人が自虐的な思考に陥り始めると、突然「ギィ」と音を立ててドアが開く。思いがけない出来事に、健人は思わず後ろに飛ぶ。身構えていると、ドアから梅澤が出てきた。
「玄関の前に立っていたようですか、何かありましたか?」
まさか面と向かって「あなたの家がボロいと考えていました」と言えるはずもない。返事に困り言葉に詰まる。
「とりあえず、外で話すのもなんですから、中に入りませんか? 狭い家ですけど、なかなか快適ですよ」
ドアを開けたまま部屋に戻る梅澤。健人は入るか戸惑ったが、最後は提案に乗ると決める。後を追い、靴を脱いで中に入る。
外観で予想した通り狭かった。1Rの家には赤い絨毯が敷かれており、奥には布団が敷かれている。クローゼッットがなく、近くの壁に服が数着かけられていた。
部屋の中心には木製のローテーブルがあり、携帯ガスコンロが置いてある。この部屋にキッチンがない。ここで、料理をしているのだろうと、健人は推測した。
「驚いていますね」
梅澤が笑顔で話しかけた。
先ほどまでなかった日本酒とグラスが、ローテーブルに置かれている。
「一人で晩酌するのも飽きてきたところです。一杯どうです?」
「いただきます」
梅澤の正面に座り、グラスに注がれた日本酒をゆっくりと飲む。果実の華やかな香りが鼻腔をくすぐり、甘く爽やかな味わいが、口の中全体に広がる。
「……美味しい。甘くて、でもさっぱりしている」
疲れた頭と体に、甘い日本酒が体に染み渡る。全身の力が抜けた健人は、思わずつぶやいてしまった。
「考えはまとまりましたか?」
しばらく日本酒を堪能した2人。ほろ酔い気分になったところで、梅澤が本題を切り出した。
「じずは、答えは出ているんです。あの依頼は、受けようと思っています」
「あれだけ反対さているのに?」
「会社を存続させるのが、社長の仕事ですから」
同意するように無言でうなずいてから、簡潔な理由を述べた。
エリーゼのためにと始めたダンジョン運営を目的とした会社。立ち上げ当初は3人しかいなかったが、時間が経つについれて増えていった。
それは礼子や明峰といった、いつものメンバーだけではない。定期船に関わる人やダンジョン探索士。名波議員など、大勢が関わっている。そして、彼らの生活を支えているのがゴーレムダンジョンだ。閉鎖されれば多くの人が路頭に迷う可能性がある。
死んでまで助ける必要はない。だが、挑戦することなく諦めてしまうのは、不義理ではないか。健人はそのように考え「安全最優先で探索する」という条件で、依頼を受けても良いと決めていた。
「では、何に悩んでいるんですか?」
「……どうしたらエリーゼが説得できるかな……と……」
「なるほど。彼女にしては不自然なほど、頑なに拒否していましたからね」
「そうなんですよ!」
わずかに残っていた日本酒を、一気に飲み干す。その勢いのまま、ドンっとグラスを置いた。
「自分たちのことばかりで、断ったら多くの人がどうなるか分かってないんです!」
「それだけ、健人さんのことが心配なのでは?」
「心配されるのは嬉しいです! ですが、子どもじゃないんですよ。引き際ぐらい分かります!」
その引き際を見極めるのが、エリーゼでも難しいから反対している。梅澤はそう思いながら、ただ相槌を打つだけだ。
「依頼が達成できるかどうかは分かりませんが、俺とエリーゼなら、生き残れる可能性は高い。なのに、怖いってだけで断って、代わりに派遣された人が死んでしまいました、会社つぶれちゃいました。それじゃ、誰も納得できないんですよ!」
先ほどの話し合いで押し込めていた気持ちを、一気に吐き出す。
己の選択で多くの人が迷惑を被る。そんな選択ができるほど、健人は精神的にタフではない。先ほど礼子や明峰の話を聞いてしまっているなら、なおさらだ。
「いや……一番納得できないのは俺ですね。こんなことことで、邪魔されるわけには、いかない」
しかも、それだけではない。なにより、健人自身が強く、依頼を受けたいと思っているのだ。
先ほどの勢いが嘘のように、落ち着いた声で話し出す。
「邪魔ですか?」
「ええ。突然現れたエリーゼの立場が微妙だったの、梅澤さんは知っていますよね?」
「まぁ、あの人と一緒に来ましたからねぇ……」
自分の欲望に忠実で、自然と他者を見下す。そんな烏山議員を梅澤は思い浮かべた。結局、彼はエリーゼを手に入れようと健人を襲い、返り討ちになった。その後は、行方をくらませている。
長い間捕まっていないのだ。国外逃亡しているのだろうと、健人とは考えていた。
「今でこそ国籍をもっていますが、だからと言って、彼女の身が安全なわけではないんですよ」
「知っていますよ。健人さんに、変な動きがあれば教えて欲しいと、言われましたからね」
長寿の秘密、異世界の知識、彼女の持つ美貌。そのどれかを狙おうとする人間が出てきても、不思議ではない。そう予想した健人は、秘書の経験が長く、広い人脈を持つ梅澤に依頼していた。
ちなみに、現在、その情報網に引っかかる人間は現れていない。
「ええ。烏山みたいなのは、必ず出てきます。だからこそ、それを跳ね返すだけの力を蓄えておきたいのです」
「そのために、まずは資金を貯めるということですか」
「それだけじゃありません。順調にいけば、人脈だって間違いなく広がります」
「ですねぇ……」
魔道具が順調に広まれば、魔石の産出場所を押さえている健人は、非常に有利な立場になる。そうなれば、健人の存在を無視することは難しい。
擦り寄るか、敵対するか……立場がある人間ほど、何らかの関係を築くことになるはずだ。
「そこまで考えているのでしたら、ここでのんびりしてて良いのですか?」
「え?」
予想外の質問に、間抜けな表情を晒す健人。
「返答の期限は明日ですよね? 明日の会議を無事に終わらすためにも、先にエリーゼさんを説得したほうが良いのでは?」
溜まっていた気持ちを吐き出して、すっきりとしていた健人は「明日でいいや」と後回しにしようと考えていた。
だがエリーゼが納得しなければ、明日の会議でも結論が出ない。そんなことは、容易に予想できる。時間がないからこそ、会議が始まる前に根回しをしておく必要があるのだ。
「……いまから、エリーゼの部屋に行ってきます!」
梅澤のアドバイスに従い、勢いよく立ち上がると、コテージに向かって走りだした。
「いってらしゃい」
送り出された健人は、暗い道を全速力で走り出した。
「早く、仲直りしてくださいね」
優しさに包まれた言葉は、誰も聞くことはない。だが、梅澤はそれでよかった。。いつも一歩引いて、影から2人の歩む道を舗装する。それが自身の役割だと、確信していた。
それは、秘書の道を選んだ時に持ち、いつの間にか忘れていた想いだ。未熟ながらも全力で生きる。そんな2人に、いつの間にか感化されていたのだ。
「決して捨て、駒にはさせませんから」
2人が仲良く話している姿を想像し、残った日本酒を飲む。
時間は深夜近く。普通であれば非常識だと言われ、来訪を拒否されるだろう。だが相手が健人であれば、むしろ歓迎される。そんなほんのちょっと先の未来を想像しながら、今日もまた、梅澤の充実した1日が終わろうとしていた。
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