第71話 酔っ払い
酔った勢いで走り出した健人は、2階にあるエリーゼのドアの前に立っていた。呼吸を整えてから、ゆっくりと3回、ノックをする。
薄暗く静まり返った廊下にトントントンと音が響き渡る。しばらくするとギイッと音を立てて、ドアが開いた。
「あら、夜遅くにどうしたのかしら?」
隙間から顔をのぞかせたのはエリーゼだ。だが、お世辞にも機嫌が良い表情とはいえなかった。会議が終わった後すぐ、部屋に来ると思っていたからだ。
エリーゼは、ずっと部屋に待機していたが、いくら待ってもこない。自分勝手だとは分かりながらも、感情は抑えきれず、機嫌が悪くなっていた。また健人から酒の匂いがするのも、機嫌を悪くさせる要因になっている。
「実は話したいことがあるんだ! 時間もらえないかな?」
エリーゼの肩をつかむと、密着と言って良い距離で要件を伝えた。
非常に残念だが、酔っ払いは、相手の感情を考えることは出来ないのだ。
「ちょ、ちょっとって、もぅ……」
女性に会うときは、一歩引いて接することが多い健人。だが今は、そんなことを忘れたかのように、積極的に近づいてくる。
そこまで酔っている人間に怒っているのもバカバカしくなってしまい、エリーゼは文句を言う気分ではなくなっていた。
「ここだと話しにくいから中に入りましょ?」
そう言うと、ドア大きく開き健人を部屋に招きれた。
エリーゼと出会ってから数年経過したが、健人が部屋に訪れるのは初めてだった。
部屋に漂う甘く爽やかな香りが匂、左にある窓にかけられた淡いピンクのカーテンやベッド奥にある同色のクマのぬいぐるみ、さらにテーブルに置かれた2人が映った写真立て。素面であれば、部屋に入った瞬間に、気付いただろう。
もしかしたら「可愛いものが好きなんだね」といった会話から、エリーゼのことをまた一つ知るキッカケになったかもしれない。だが、残念なことに酔っ払いには、そのよう繊細な会話はできない。
フワフワした足取りで前に進み、誘導されるままベッドの上に腰掛けた。
健人を座らせるとエリーゼは、窓際にある、この部屋唯一のイスに座る。
「話があるのよね? 手入れが途中だったから、作業しながらでいいかしら?」
テーブルには写真立ての他に、弓と手入れ用の布が置いてあった。返事が来るのを期待していなかったエリーゼは、言い終わるとすぐに布で弓を拭き始める。
「会議の続きをしたいんだ」
しばらく弓を拭くエリーゼを眺めていた健人だったが、意を決して話を切り出す。
「そうだと思ったわ。一応、聞くだけ聞いてあげる」
ゆっくりと弓を置き、健人の方に振り返る。「さぁ。話しなさい」とでも言いたそうな、人を試すような表情をしていた。
「やっぱりさ、依頼を受けようと思っているんだよね」
「私の意見は変わってないわ。反対よ」
「依頼を受けたら、俺とエリーゼが行くことになるからだよね。エリーゼ1人だったら依頼は受ける?」
戦えるメンバーは健人、エリーゼ、礼子、明峰の4人。ダンジョンの入り口を警備する礼子と明峰は外せない。消去法で、健人とエリーゼが行くしかなかった。
「……即答はできないけど、検討する価値はあるわ。もしかして、私だけを行かせるつもり?」
「行くなら必ず2人だ。でも、その返事で大体わかった。やっぱり、俺を行かせたくないから、反対しているんだね。もしかして、俺が意見を譲らなければ、一人で行くと考えてなかった?」
その根拠はいくつかるが決め手は、会議の場でエリーゼが結論を下さなかったことだ。
探索や魔物に関する話し合いでは、エリーゼが話をまとめることが多かった。だが今回に限り、興奮し、反対はしていたが、それだけだ。自ら結論を出して、話をまとめようとはしなかったのだ。
「はぁ……そうよ。最悪、私1人で行こうと思っていたわ」
少し前までは健人がいれば、他を犠牲にしてもよいと考えていた。だが、ダンジョンを運営し、人との関係が、つながりが、強くなるについれて、そんな思いは薄れていった。
それは、エリーゼがこの世界に来て、仲間と呼べる人間が増えたことに他ならない。健人が願っているとおりに、着実とこの世界で安定して生きる基盤を作りつつあった。
「でも、1人で行くと言っても反対するでしょ? だから言わなかったのよ」
そのまま「1人で行く」と言ってしまえば、間違いなく反対される。健人と周囲を守るための妥協案は、半ば決めていた。
「それにね。忘れていたことを、思い出したのよ」
「やっぱり他にも何かあるんだ。あんなに人の意見を受けいれないエリーゼは初めてだったから、おかしいなとは思っていたんだよね」
常に一緒に行動していた2人は、危険に対する考え方も似ている。今回に限って危険に対する意見が食い違っているのは、健人は知らず、エリーゼが知っている情報があるからだと考えていた。
「本当に危険だってのもあるわよ。でも、探索だけであれば、なんとかなると思っているのも事実ね。でも最悪の事態が起こっていたら、生き残れるか半々ね」
「最悪の事態?」
ダンジョンから魔物が出る以上の「最悪」があるのかと思った健人は、反射的に言葉をそのまま返してしまった。
「例えばそうねぇ……森といった場所に魔物が生息していると、数はどんどん増えるわ。なんせ、天敵なんていないのだから。そして、森の大きさに対して魔物が多くなりすぎると……外に向かっていっきに溢れ出すのよ」
「溢れ出す……」
死を恐れず、生物を殺すために街に向かう魔物。銃器が有効だとはいえ、数と勢いに押されてしまえば、人間が敗北する可能性もありえる。
魔物が溢れ出し人々を襲うシーンを思い浮かべて、健人は思わず身震いした。
「それこそ、出会った頃に健人が心配していた、ダンジョンから魔物が氾濫するイメージに近いわ。この世界に魔物は居なかったわ。だからダンジョンが適切に管理されていれば、そんな問題は起こらないと思って、いつの間にか忘れてたのよ」
「運が悪いことに、人里離れた場所で新しく発見された……」
「そうね。いつ現れたかわからないけど、管理されていないダンジョン。外に出て自然界に溶け込んでしまった魔物。いつ起こるかわからない、魔物が溢れ出す現象……ジャングルの状況が詳しくわかっているのであれば、まだ考えようがあるんだけど、情報が少なすぎるわ」
「最悪の事態を想定して反対していたわけか……」
「そうよ。私だって、礼子さんたちの言い分はわかるし、なんとかしてあげたいとも思うのよ」
エリーゼの言葉を聞き終わると、勢いよく立ち上がり抱きつく。健人の口がエリーゼの長い耳に当たる。
「それならさ、依頼の内容を少し変えてもらおう。俺は絶対にエリーゼを1人にしない」
それは、ささやくような声だった。抱きしめられて、エリーゼは頬を赤く染めている。
「……ど、どう、か、変えるのよ」
「ダンジョンの発見ではなく、ジャングル内にいる魔物の実態を調査するなんてどうかな?」
健人の提案に、今の状況を忘れて考え込む。
ジャングル内がどんな状況か調べるだけであれば、最悪、入り口付近で撤退することは可能だ。魔物が多すぎて中に入れなかったと、報告するだけでも達成できるのだから。
「そうねぇ……どちらにしろ、情報は集めないといけないし、悪くないと思うわ」
「だよね!」
提案が受け入れられると、密着した体を離す。
エリーゼは思わず「あっ」と名残惜しそうに声を出してしまうが、酒に酔っている健人は、そのような細かい変化に気づくことはなかった。
「魔物が少ないようだったら、偶然ダンジョンを見つけてもいいんだしね!」
「あのねぇ……安全第一よ?」
呆れた声で、調子の良いことを言う健人にクギをさす。
「わかっているって!」
「あー。方針が決まったら安心したー」
そういうと勢いよくうつ伏せになって、ベッドに倒れこむ。
「しばらくいてもいいけど、弓の手入れが終わったら帰るのよ?」
「わかってる! わかってるって!」
話を聞いているのか分からないような返事をしてから、健人は勢いよく息を吸う。
「いい匂いだ……」
ベッドの匂いを嗅いだ健人のつぶやきは、幸いにもエリーゼには届かなかった。
「さて、そろそろ帰っ……寝てるわね」
痴態から数分後、エリーゼが弓の手入れが終わりベッドの方を見ると、健人は寝息をたてていた。
さすがに一緒に寝るのは恥ずかしい。そう思ったエリーゼは、お姫様抱っこして、健人の部屋にまで運んだのであった。
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