第61話 エピローグ
犠牲を出しながらも、シェイプシフターの討伐に成功した。数多くの魔石を回収した健人達が、ゴーレムダンジョンの出口へと歩き出したころには、時刻は夜となっていた。
「まだっすかねぇ」
ゴーレムダンジョンの入り口をふさぐ壁とドア。監視のため立っていた明峰は、眠気を抑えるように大きなあくびをしながら待っていた。最大4日はかかると予定している討伐。
その初日に返ってくるとは思ってはいない。それでも1日でも早く無事な姿を見たいと、明峰は思っている。
「はぁ、待つぐらいなら討伐に参加したかったっす」
ミーナとヴィルヘルムの2人は、魔法は使えるが戦うのは苦手だ。魔法を使えない梅澤は論外。ゴーレムダンジョンの入り口を監視する役は、消去法で明峰が担当することになっていた。
誰もいないことで気の緩んでいた明峰が、夜空を見上げていると、カチッとドアのロックが解除される音が鳴る。音に反応して、警戒態勢に入った明峰がドアを注視していると、ゆっくりと開く。
暗闇の中かから、嗅ぎなれた血の匂いが漂ってくる。さらに警戒度を上げた明峰がドアの隙間を監視していると、擦り切れ、血まみれになった服装をした健人とエリーゼが、ゆっくりと姿を現した。
予定より早い帰還。さらに、血まみれの姿を見て最悪の想像をした明峰は、持ち場を離れて勢いよく駆け寄る。
「大丈夫っすか!!」
と、健人とエリーゼの後ろにいた礼子に声をかける。
「まぁ。そうなるか」
一瞬、自分の事を心配して駆けつけてくれたと勘違いした健人は、ほほを赤く染める。
「お前の仕事はなんだ? 勝手に持ち場を離れていいものなのか?」
言葉が荒くなり切れ気味の礼子と、必死に言い訳をする明峰。2人の微笑ましい行動を見て、ようやく日常に戻ってきたと、健人は実感することができた。
明峰と礼子を置いて、重い体を引きずるようにゴーレム事務所に戻る。細かい手続きは、事務所で仮眠していた梅澤に任せることで、討伐隊は解散となった。
翌日の昼過ぎに起きた健人は、シェイプシフターの討伐が簡単だったと思われないように、名波議員への報告を後回しにする。
その代わりに、我妻の死亡手続き、ゴーレムダンジョン運営の再開手続きを優先していた。慣れない仕事が続いたせいもあり、結局、名波議員への報告は、期日ギリギリの討伐開始4日目になった。
ゴーレム島から電話で報告し、それをもって、シェイプシフターにまつわる一連の騒動が終わることとなった。
事件が終わって、数日後。ようやく日常を取り戻した健人とエリーゼは、現在はゴーレム島ではなく、東京の渋谷にいた。
スクランブル交差点の人ごみに驚いているエリーゼは、紺色のカーディガンを羽織り、珍しくひざ丈の白いスカートをはいている。長く伸びる耳には、ここに来る前に健人が作った、小さい魔石に矢が刺さったように見えるイヤリングがぶら下がっている。彼女の美貌と相まって、人目を集めていた。
「こんなに人が歩いているのに、ぶつからないのが不思議ね! あんなに急いで、みんなどこに行くのかしら?」
スクランブル交差点の信号が青に変わり、一斉に人が動き出す。隙間を縫うように歩く姿を見て、エリーゼは目を丸くして驚いていた。
「さぁ? 平日だから、仕事でもしているんじゃない?」
「それは遅れたら大変ね! みんな、取り残されないように必死なのね!」
「ほら、歩かないと信号が赤になるよ?」
もう少ししたら信号が点滅するタイミングになり、エリーゼはようやく周囲の観察を中断する。
「そうね! 私達も急ぎましょうか!」
「ああ。急ごう」
エリーゼが健人の手を手を取り、引っ張るようにしてスクランブル交差点を歩く。観光に夢中になり空腹を忘れていた2人は、これから遅い昼食を取るために、ファミリーレストランの中へと入っていった。
店内に入ると、エルフ耳に釘付けになった店員に案内され、窓際のソファー席に座っていた。
「藤二さんは、昨日退院したの?」
先ほど、梅澤から健人の携帯電話にメッセージが届き、検査入院をしていた藤二が退院したと連絡をもらっていた。
周囲は、注文を頼み終わったエリーゼの姿をチラチラと見るが、幸いなことに会話を邪魔する人間はいない。
「うん。無事に退院できたみたいだよ。精密検査の結果も問題なかったようで、安心したよ」
ポーションを使った影響を念入りに調べられていたようで、予定よりも長い期間、病院に拘束されていた。同じポーションを使っていた健人は「異常なし」という結果に、他人事とは思えず安堵していた。
「とっておきのポーション使ったんだもん。無事に退院してもらわないとね!」
「ああ。エリーゼが的確な判断をしてくれたおかげで、俺も死なずにすんだよ」
健人は、過去の記憶を思い出すようにして一瞬だけ目を閉じる。
「間接的に私が命を救ったってことね。お礼は、期待していいのかしら?」
「え、いや、それは……」
初めての東京観光ということもあり、今日はそれなりにお金を使っていた。そこからさらに、おねだりされるとは思っていなかった健人は、頬を引きつっている。
「ふふふ。冗談よ。このイヤリングで十分すぎるわよ」
エリーゼの一言で冗談だとわかり、大きく息を吐く。
「もう少し、分かりやすい冗談にしてくれ……」
からかわれたことを忘れるために、健人は話題を変えることにする。
「やっと落ち着けたし、さっき買った雑誌を一緒に見ない?」
健人がリュックから取り出した雑誌は、月刊ダンジョンライフだった。表紙には、スーツを着たエリーゼが正面を見つめるボトムアップの写真が使われている。エルフとスーツの組み合わせは、思わず手に取ってしまう、不思議な魅力があった。
「いいけど、少し恥ずかしいわね」
「気にしない。気にしない。表紙の写真はきれいに撮れていると思うよ」
「そう? 健人にそう言ってもらえるのであれば嬉しいわ」
雑誌をテーブルの上に置き、向き合いながら2人で雑誌をめくる。見出しに大きく「今噂の美人エルフ特集!」の文字が目にはいった。
「美人エルフだって!」
からかうように、文字を指差し、エリーゼの顔を見る。
「あら? 健人は、美人だって思ってくれないの?」
健人の声に反応したエリーゼの表情には、憂の色が表れていた。
「いや、その、美人……だと思います……」
思ってもみなかった反応に、仕返ししてやろうと思っていた子どもっぽい感情が吹き飛ぶ。恥ずかしながらも、素直に思っていたことを口にした。
「うん。うん。知っているわ! ありがとう!」
「やられた……」
ここでようやく、また、からかわれたことに気付く。健人は、思わず天井を見上げていた。
「ふふふ。私をからかうには、少し早かったようね」
「そうだったみたいだ……」
2人で笑いあってから、健人が雑誌を持ち、エリーゼのインタビュー記事までページをめくる。記事を読むためにお互いの顔が急接近し、エリーゼの体に染みついた、木々のさわやかな香りが、健人の鼻孔をくすぐる。
「記事の写真も綺麗に撮れているね。インタビューが終わった後に、ささっと撮ったとは思えないレベルだ」
インタビュー記事には、ろくろを回したようなポーズをしたエリーゼの写真があった。
「この写真も似合ってる?」
「できる社会人って感じがして良いよ」
本人たちは意識していないが、顔を近づけながら会話する2人は、どこから見ても恋人同士に見える。
「あのー。もしかして、エリーゼさんですか?」
そんな甘い空気を作り出している2人に、勇敢にも声をかけた女性がいた。制服を着ており、見た目から女子高生のように見える。
「? そうよ」
見ず知らずの他人に声をかけられ、エリーゼは顔を上げる。健人との会話を中断されても、機嫌を損ねていない。普段と変わらない声で返事をしていた。
「やっぱり! ファンなんです!」
不安げだった女子高生の顔にパッと花が咲く。
「一緒に写真を撮りたいんですけど良いですか?」
肩にかけていたバッグからスマートフォンを取り出すと、カメラアプリを立ち上げる。エリーゼに画面を見せて、この場で撮影したいことをアピールしていた。
「うーん。私でいいの?」
「はい!」
「なら1枚だけね」
笑顔で返事する。今までのエリーゼなら、確実に断っていたお願いを了承したことに、健人は驚きを隠せないでいた。
女子高生はエリーゼにピッタリと肩をくっつけ、スマートフォンを持った手を前に出す。画面を見ながら位置を調整して、撮影ボタンを数回押した。満足な写真が撮れたのだろう。画面を見ていた女子高生の顔は、笑顔のままだった。
「ありがとうございました! この写真をSNSに投稿しても良いですか?」
恐る恐るといった表情で、エリーゼを見つめる。
「良いわよ。でも、あまり変なこと書かないでね?」
「はい!」
スマートフォンを胸に抱え、頭を下げてから元気よく返事をする。
「さっそっく自慢しよっと!」
ギリギリ聞き取れるレベルの声でつぶやいてから立ち去ると、少しは離れた場所にいた、中高年の夫婦が座っている席に戻る。すぐにスマートフォンの画面を2人に見せびらかして自慢していた。
「よかったの?」
先ほどまで傍観していた健人が、硬い表情をしたまま質問をする。
「写真のこと? 最近、少し考えを変えたのよ。この世界にただ一人のエルフが目の前に居たら、珍しがるのも不思議じゃないわ。他人が私の見た目を話題にしても、気にしないことにしたのよ」
ほほを赤く染めて、健人から視線を外す。良く見れば口元が小さくとがっていて、照れているようにも、すねているようにも見える。
「そっか。それは、いいことだと思うよ」
「あ、ありがとう」
ストレートに返事されたことで、さらに顔を赤くする。これ以上は耐えられない。そう思った時に、ウェイトレスが食事を運んできた。お盆にはハンバーグとライスが2つのっている。健人とエリーゼは、偶然にも同じメニューを注文していた。
「食事にしましょ!」
「そうしようか」
エリーゼが強引に話を終わらせると、フォークとナイフを持って、慣れた手つきで食事を始める。
「ここの食事はどう?」
「美味しいわよ。でも、健人と初めて食事したときほどの驚きはないわね」
前に住んでいた世界より、豊かな食生活を送っているのは間違いない。だが、人間は慣れる生き物だ。健人が作った料理より美味しい目の前のハンバーグを、普通だと思えるほどには、エリーゼはこの世界に順応していた。そして健人は、そんな事実に寂しさを覚えていた。
「次に行きたい場所はある?」
そんな無意味な感情を押し殺し、質問をする。
「そうねぇ……次は、ボウリングというのにチャレンジしてみたいわ! 他にもカラオケやダーツもやってみたい! もう、時間がいくらあっても足りない……早く食べて移動しましょ!」
東京に来てからエリーゼの要望を叶えるだけの機械になっていた健人。だが、そのことを嫌だと感じたことはなく、むしろ楽しんでいた。1秒でも長く楽しむために、いつもより早く食事を進め、ファミリーレストランから足早に出て行った。
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