第20話 変わる世界1
九州の東シナ海に面している無人島は、夏真っ盛りとなる8月を迎えていた。
「うん。全部揃ったし、準備は万全だ」
異世界からきたエルフのエリーゼに無人島の夏を楽しんでもらえるように、密かに道具を買い揃え、シュノーケル、フィン、パラソルなどが部屋の主人を追い出すように鎮座していた。
買い揃えた道具を眺めながらうなずいた健人は、自室を出て階段を降りると、エリーゼは読書を1人静かに楽しんでいるところだった。
「上で何かやってたみたいだけど、終わったの?」
ダイニングのイスに腰掛けていたエリーゼは、タブレットをテーブルに置いて声をかける。
「これから説明するけど……今日は何も予定が入ってなかったよね?」
無人島に住んでいる無職に予定があるわけもない。答えがわかりきっている質問をする。
「そうね。特にすることがないから本を読んでいたわ。そろそろ探索を再開する?」
「いや、それはまた今度にしよう」
近所に出かけるような感覚でダンジョン探索に誘われる。
いつもであれば同意する健人も今回ばかりは違った。
「それより今は夏だ! 夏と言えば海だ! ということで、海で遊んでみない? 道具は全て揃えたし、見たこともない景色が見られるよ。どうかな?」
エリーゼの世界では、魔物が海を支配していたため海で遊ぶことはできなかった。そのことを覚えていた健人は、海の楽しさを伝えたいと、夏になる前からずっと考えていた。
「それは嬉しいけど……どうやって遊ぶのかわからないわよ?」
健人の提案に興味を持つが、当然ながら海の遊び方など知らず、迷惑をかけてしまうのではないかと不安を抱いていた。
「もうプランは考えてあるから俺に任せて!」
「そこまで言われたら……遊ぶしかないわね」
自信ありげな表情を浮かべた健人を見て、冷静を装いながらも海で遊ぶことに心躍らせていた。
「よしっ! まずは水着に着替えようか」
エリーゼの手をとると健人の部屋に向かうと、数日前に購入した水着がベッドの上に置いてあった。1度も着ることなく大量に余った下着からサイズを推測したため、今回はすべてのサイズを買うという暴挙にはでていない。
気になるデザインだが、下心があると思われたくなかったためか、上部がタンクトップ、下はパンツタイプになっているスポーティな水着だった。
「水着の存在は知っていたけど、これまたスゴイわね……」
水着を手に取り、体に合わせるようにして着替えた姿を想像する。ビキニに比べれば露出は少ないが、それでもエリーゼにとっては下着のように感じられ、戸惑いを隠せないでいた。
いまだに元の世界の常識に縛られているエリーゼは、肌を晒すことに抵抗があり、見ず知らずの他人に見られる可能性があれば、水着を着ることを拒否していただろう。だが、幸いにもここには2人しかいない。自分を納得させる正当な理由があった。
「……見る人は健人だけだし、いっか」
覚悟を決め、小さく呟くと水着を持ったまま、隣の自室に戻る。
荷物をまとめるのに忙しかった健人は、エリーゼのつぶやきを聞き逃したことに気づかず、意気揚々と荷物をまとめて1階のダイニングへと向かった。
数分後、足音が階段から聞こえエリーゼが降りてくる。白地に紺と水色のボーダーが入った水着を肌にぴったりと密着させ、引き締まった肉体、健康的な足にマッチした水着姿に、健人は目を奪われる。
「……似合うね」
気の利いた感想が思い浮かばず、思ったことをそのまま口にする。
「え? あ、ありがとう。褒められるとは……思わなかったわ……」
人から褒められることに慣れていないエリーゼには、ストレート誉め言葉は予想以上に効果があり、長い耳の先まで一気に赤くなる。
「そ、そんなことより、荷物を持ってビーチに行けばいいの?」
「う、うん。そろそろビーチに行こうか」
エリーゼの羞恥心が移った健人は、ぎこちない動作で荷物を持ち上げると、クルーザーを係留しているビーチにまで向かう。魔力で強化した身体能力のおかげで、荷物を抱えているのにもかかわらず、その足取りは軽かった。
「準備するから、エリーゼは少し待っていてね」
「手伝えることがあったら教えて」
ビーチに到着すると青と白のパラソルを組み立て、白い砂浜に突き刺す。その周囲にレジャーシートを敷いてから荷物を置き、木製のイスを2脚組み立てた。
「はい。日焼け止め。今日は日差しが強いから、ちゃんと塗ったほうがいいよ」
一通り準備が終わると、健人は作業を見守っていたエリーゼに日焼け止めを手渡す。。
「分かったわ。健人も塗るのよ?」
「エリーゼが塗り終わったらね」
日焼け止めを受け取ったエリーゼは、顔、首、腕と肌が露出している部分を丁寧に塗る。残念なことに、背中は水着で隠れているため塗る必要はなかった。
健人は塗り終わるのを待っている間に、フィンやシュノーケル、マスク、フローティングベストをクルーザーに積み込み、さらに荷物を積み込もうとビーチの戻ったところで、背中から怒ったような声をかけられた。
「1人で働かないの! はい。そこに座って」
「え? え?」
1人だけ働き休もうとしない健人を見かねたエリーゼが、大股で歩いて近づき手をとる。勢いに押されて、なすがまま引っ張られて先ほど設置したレジャーシートのところまで移動すると、両肩をガッシリと掴まれて座らされた。
「動かないでね……私も手伝うから、一緒に楽しみましょ」
「気を使わせてしまったみたいだね。悪かった」
これから小言を言われるのかと言葉通りに動かずに座っていると、不意に日差しで暖かくなった背中に心地よい冷たさを感じ、健人は思わず声を出してしまった。
「ふゃ!」
「あはは、変な声――動かないの!」
間抜けな声を聞かれてしまい、慌てて振り返ろうとした健人だったが、片手で頭を掴まれて動きを止められてしまった。
「日焼け止めを塗るだけだから。ふふふ、今度こそ変な声は出さないでね」
健人は、再び背中の中心からひんやりとした感触を感じたかと思うと、彼女の細い指先が上へ、下へと動き、背中全体をなでるように移動する。
今度こそ笑われないようにと、くすぐったい気持ちを我慢して時が流れるとを待っていると「ペチッ」と背中を軽く叩かれ、背中から指が離れた。
「はい、終わり! 顔や腕は自分で塗ってね」
「あ、ありがとう……」
顔が赤みがかった健人は、すでに立ち上がっていたエリーゼから日焼け止めを受け取り、残った部分を塗り始める。
「それで、これからどうするの?」
日焼け止めを塗っている健人を見下ろしながら、楽しみにしている遊びの予定を質問する。
「この島には、海につながっている洞窟があるんだ。クルーザーでそこまで行って、シュノーケリングをしようと思ってる。一通り楽しんだら、お昼ご飯はビーチで食べよう」
「洞窟いいわね! 早く行きましょう!」
テレビで見かけたシューノーケリングが体験できると知ったエリーゼは、まるで小さい子どものようにはしゃいでいた。
シュノーケリングを選んで正解だったと安心した健人は、日焼け止めが塗り終わると一緒にクルーザーへ向かい、エリーゼのために道具の説明を始める。
「シュノーケリングに必要な道具は、水中で目と鼻に水が入らないようにするマスク。呼吸用のシュノーケル。浮き輪みたいに浮力のあるフローティングベスト。そして最後は、水中で移動するためのフィン。それじゃ早速、一緒に道具を身に着けてみようか」
フローティングベストを上半身に着けてから、床に座ってフィンを足に取り付ける。さらに、目と鼻をガードするマスクにパイプ状のシュノーケルを取り付けてから、水が入らないように顔にマスクをしっかり密着させる。
健人が実演してから丁寧に教えると、10分もかからずにシュノーケリングに必要な道具を身に着けることができた。
「最後に、シュノーケルをくわえてから海に入れば完璧だ」
「わかったわ。それにしても、フィンを付けると歩きにくいのね」
「その代わり、ゆっくりと足を動かすだけで水の中を魚のように移動できるようになるから便利だよ」
「へぇ。それは楽しみね!」
テレビで見た魚のように、水中を優雅に移動する姿を想像し、一人静かに興奮していた。
「準備も終わったし、そろそろ行こう!」
マスクとフィンを取り外すと運転席まで移動し、クルーザーのエンジンをかけ、波による侵食で作られた洞窟――海食洞(かいしょくどう)へと向かった。
シュノーケリングの人気スポットといえば青の洞窟。太陽の光が洞窟内で反射して神秘的な光を創り出す場所を青の洞窟と呼び、日本でもいくつか該当する場所はあり、常に大勢の観光客を魅了している。残念なことに常に人がいるため、発見された当初のような神秘的な雰囲気は薄れてしまっていることが多かった。
一般人が、青の洞窟「本来の雰囲気」を楽しむのは難しいが、健人達は違った。
洞窟の入り口から少し離れた場所にクルーザーを停める。
「マスクをしっかり押さえて、足から落ちるよ」
見本を見せるかのように手でマスクをしっかりと抑えた健人が、クルーザーから飛び降りる。続くエリーゼもマスクを押さえて飛び降りた。
「俺の後についてきて」
シュノーケルをくわえてからフィンを付けた足を動かして青の洞窟へと向かった。
「これは……すごいわね。それ以外の言葉が浮かんでこないわ。私が住んでいた世界にもこんな場所があったのかしら?」
真夏の光を反射して一段と青く輝く洞窟内で、息を呑むほどの驚きを体験していた。
フローティングベストの浮力に任せて、脱力したまま仰向けになったエリーゼが、ぼんやりと呟いた。隣にいる健人も同じ体勢で天井を見つめている。
「ううん。あったとしても魔物のせいで、見ることはできないわね」
「それは残念だね……」
「だから、この世界では色んなことを体験してみたいわ」
「それは楽しそうだ」
「健人も一緒だからね」
波はなく、静かな空間。
2人は言葉を発することなく、誰にも邪魔されずにゆっくりとした時間を堪能していた。
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