第19話 いつか訪れる未来

 アイアンドールの戦いから1週間が経ち、地下1階に到達した健人達は、ダンジョン探索を一時中断してノンビリとした日常生活を堪能していた。


 朝早く目覚めた健人が外に出ると、ジリジリと音が聞こえてきそうなほど強い真夏の陽射しが、肌を容赦なく痛めつける。日に焼けることを気にせず、Tシャツにハーフパンツというラフな格好のまま家庭菜園で育てている野菜のところまでゆっくりと歩き出した。


「お、これも収穫できそうだな」


 健人の手には、網目状に編まれた竹製の野菜カゴがあり、ズッキーニ、トマトといった夏野菜が山になるほど入っている。

 みずみずしい野菜を必要な分だけ取り収穫が終わると、朝食を作るためにコテージへと向かった。


「美味しそうな野菜ね。これから朝食を作るの?」


 窓越に立つエリーゼから声がかけられた。


「ああ。作るのに時間がかかるから、テレビを見ながら待っててもらえる?」

「ちょうどよかった。朝食は、私に作らせてもらえないかな」

「料理できるようになったの!?」

「何気に失礼なこと言うわね……」


 あきれたような声を出してエリーゼは頬を膨らませるが、その表情は柔らかい。

 だが、自ら発した失言にばかり意識がとられ彼女の表情を見ていない健人は、野菜を落としそうなほど慌ててフォローの言葉を口にする。


「いやいや! 変な意味じゃないからね! この世界の道具を使って料理ができるのかなって心配しただけなんだ。決して、エリーゼが料理できないとは思ってないよ!」

「へぇー」


 窓から身を乗り出し目を細めて、健人をじっと見つめる。


 慌てている姿を見て満足したエリーゼは、ふっと微笑んでから手を差し出す。


「そういうことにしておいてあげる。手に持っている野菜を渡してもらえる?」

「あ、ああ……」


 急に態度が変わったことに理解が追いつかない健人だが、言われた通りに野菜カゴごと渡すと、エリーゼは鼻歌を口ずさみ奥にある台所に向かった。


「なんだったんだ……」


 最後まで、からかわれたことに気づけなかった健人は、野菜カゴを渡した体勢のまま呆然と立ち尽くしていた。


「さて、頑張りますか!」


 健人の前では自信たっぷりだったが、現代人ほど機械の操作に慣れていないため、不安を覚えていた。台所の前に立って気持ちを切り替えたエリーゼは、真剣な表情に切り替わり料理にとりかかる。


 野菜カゴをシンクに入れると井戸からくみ上げた水で洗う。水を軽く切ってからトマトはヘタを取り、ズッキーニと冷蔵庫から取り出したニンジン、玉ねぎを薄切りにする。

 鍋にオリーブオイルを入れてから野菜を入れて炒め、トマトを押しつぶしてから塩と赤ワインと鳥ガラの素を入れて、一度沸騰させてからじっくりと煮込む。灰汁をとって少量の砂糖と数種類の香草を入れて味を調えると、野菜入りトマトスープが出来上がった。


「うーん。なんとなく似てるかな? ダシの味が違うから違和感は残るわね……」


 朝食として作ったのは、エリーゼが住んでいた世界の料理だ。

 まったく同じ食材は少ないが似ているものは多く、かろうじて故郷を思い出せる程度には味を似せることに成功していた。


 野菜トマトスープが入ったこげ茶色のスープ皿と食パンを乗せた平皿をお盆にのせると、健人が待つダイニングへとゆっくりと歩き出す。


「お、完成したみたいだね。何を作ったの?」

「異世界風野菜トマトスープよ。完全に再現できなかったからちょっと不満かな。世界中にある食材を使って完全に再現してみたいわね」

「異世界風! それは楽しみだ!」


 また一つ、新しい目標ができたと内心で喜びながらテーブルに皿を並べ、台所に戻って鍋を持ってくると、向かい合うように座っている2人の間に置く。


「「いただきます!」」


 息の合った2人の掛け声で、少し遅めの朝食が始まった。


「では早速、エリーゼが作ったスープをいただくよ」

「口に合うと嬉しいわ」


 健人は勢いよくスープを口に入れる。

 香草が脳を刺激し、後からトマトの酸味と甘みが口の中に広がる。1つ1つは知っている味だが、組み合わせを工夫するだけで、新鮮な味付けになることに驚く。


「美味しい!」


 この少し変わった味付は、健人の好みだった。


「気に入ってもらえてよかった」


 軽い緊張感に包まれていたエリーゼは、口に出して褒めてもらえたことでほっと一息ついた。


「それにしても、不思議な味だね。この味付けが異世界風か……」

「私はここにきてから、毎日の食事がそんな風に驚いていたわ」


 多様な調味料、魔物のせいで食べることが難しい魚、見た目も美しいお菓子。エリーゼにとって、毎日が驚きの連続であり、健人が作った料理はどれも美味しいと感じていた。


「でもたまに、故郷の料理が食べたくなる時はあったわ」


 だが、子供のころに慣れ親しんだ味には勝てない。

 海外旅行をしていると日本食が恋しくなるように、エリーゼは元の世界の味を求める気持ちが日に日に強くなっていた。


 お金がないころに好んで食べていた野菜トマトスープを見つめて、もう戻ることのない故郷に思いをはせていた。


「また異世界料理をごちそうしてもらえないか?」


 いつの間にか食べる手が止まっていたエリーゼは、健人の声で意識が現実に引き戻される。


「研究用に食材を使わせてくれるのならいいわよ」

「もちろん! 今度、色んな食材や調味料を買ってくるよ!」


 異世界の料理をもっと堪能したい健人と、自分が住んでいた世界を知ってもらいたいと思っていたエリーゼの双方とって、異世界の料理を再現することは魅力的だった。


 その後も異世界風の食事と会話を楽しんだ2人は、食後のコーヒーを飲みながらダイニングでテレビを見ていた。


「先日未明、東京の23区が震源地だった地震の影響ですが——」


 立ち入り禁止と書かれた黄色いテープを背景にして、ニュースキャスターが原稿を読み上げている。地震の規模は大きくないが震源地が都内だったため、テレビが大々的に取り上げていた。


「東京で地震があったんだ。大した震度じゃなかったのに一部地域立ち入り禁止? なにかあったのかな……」

「気になる?」


 健人の実家は東京にあり、両親、友達といった関わりが深かった人間が多く住んでいる。そのことを知っていたエリーゼは何気なく質問をした。


「いや……俺にはもう関係ない、かな」


 人間関係をリセットした健人には関係ない人たちだが、その表情は寂しそうだった。


「ごめんなさい……」


 エリーゼは、金銭がトラブルで絶縁していたことを思い出し強い後悔に襲われる。


「もう終わったことだから気にしなくていいよ。昔のことより、これからのことを考えていきたいな」


 健人の優しい気づかいを感じ取ったエリーゼは、新しい話題を提供するべくテレビのリモコンを手にした。


「それなら、ちょうど話したいことがあったわ。テレビを消してもいい?」

「もちろん」


 原稿を読み上げていたニュースキャスターの姿が消える。


「あまり大したことじゃないんだけど、いい加減、戦利品をどうするか考えたいと思の」


 探索で手に入れたものは魔石、剣の2種類があり、どれも邪魔になるからといってゴーレムダンジョン前のテントに押し込んでいた。まだスペースに余裕はあるが、探索を再開したら小さなテントでは入りきらなくなる。中断している今だからこそ、考えておく必要があった。


「まずは剣だけど、あれは健人が使ってね。寝室に置いて、朝起きたら毎日素振りをするように」

「エリーゼは使わないの?」

「私は遠距離がメインだから、アイアンドールの一撃にも耐えるような良質な剣は不要よ。それこそ、ホームセンターで買った鉈で十分」


 アイアンドールと打ち合った剣は非常に丈夫で、普通の金属なら折れ曲がってしまうほどの衝撃を受けても傷はつかず、手に入れた時と変わらない姿を保っていた。

 最初の持ち主であったウッドドールと同時に消えていたら、最後の戦いで生き残ることはできなかっただろう。


 まともな武器が少なく補充のきかない状況において、健人に使わせる以外の選択肢は存在しなかった。


「わかった。ありがたくいただくよ」


 エリーゼの意見に素直に従ってうなずくと、次は健人が質問をする。


「残り問題は魔石だね。アイアンドールの魔石はダイニングに飾りたいと思うんだけどいいかな?」

「それは賛成。でも、私にはどうすればいいかわからないから、任せても大丈夫?」

「ああ。台座を買って、玄関に飾ることにするよ」


 武器問題が片付いたら次は魔石だが、ウッドドールが残した「質の悪い魔石」とアイアンドールが残した「質の良い魔石」の2種類あり、そのうちの「質の良い魔石」は事前の約束通り置物として使うことに決まった。


 問題は、数が多くこれから増える可能性が高い「質の悪い魔石」だ。だが、これについては健人から提案があった。


「それと、ウッドドールから手に入れた魔石は、何かに使えないか研究したいんだけどいいかな?」

「どうせ今のままだと死蔵しているだけだしいいけど……どうして?」


 ためらうように一呼吸おいてから、理由を説明した。


「銀行に預けている資金は3億円弱あるんだけど、今この生活を維持していると50年後には無くなってしまうかも」


 大金を手に入れて人間関係が壊れた健人にとって、資産を伝えるのには抵抗があり、出会った頃のままであれば絶対に教えることはなかっただろう。だが、今は違う。

 一緒に困難を乗り越えたエリーゼであれば、大金が目の前にあったとしても健人の親族のように醜い争いを繰り広げることはないだろう。健人はそう確信していたため、少しためらいながらも金額を告げたのだった。


「街中で暮らせない俺たちにとって、贅沢かもしれないけど、この生活を維持しなければいけない。無人島をは絶対に手放したくないから、今のうちからお金を稼ぐ方法を模索しないとね」


 健人は宝くじで10億円を手に入れていたが、無人島を購入して住みやすいように手を加えている。さらに、クルーザーも購入したため残高が3億円を切っていた。一般的な生活であれば3億円でも十分だが、今の生活を維持しようとするとそうはいかない。

 税金の支払い、クルーザーや無人島にある各設備のメンテナンス。残金を気にすることなく消耗品などを買う生活を続けるのであれば、足りなくなる可能性もでてくる。


 さらに、エルフであるエリーゼは間違いなく、健人より長生きする。

 彼女がいつまでここに残るかわからないが、ここを第二の故郷だと思って暮らしてくれるのであれば、自分が死んだ後も安心して生活できる基盤を作り上げたいと、健人はそこまで考えた上で、エリーゼの世界では当たり前だった魔石をエネルギーとして使う方法を研究したいと望んでいた。


「そうだったんだ。50年先かぁ……健人は、おじいちゃんね」


 種族差による寿命の違い。50年後も今の美貌を維持しているエリーゼと、年を重ねてしわくちゃになった健人。2人の姿を想像したエリーゼは、笑顔を作りながらも悲しい気持ちを抱いていた。


「だからこそ、身体が動くうちにもう一稼ぎしようかと思ってね」


 遠い未来かもしれない。だが、必ず来る別れが少しでも明るくなるようにと願いながら、エリーゼは健人の提案に同意したのだった。

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