第3話 身体能力強化
翌日、健人が目覚めて2階の部屋からダイニングにまで降りると、テーブルにもたれかかるようにして、イスに座っているエリーゼが目に入った。
ファンタジーの住人であるエルフが、ベロア素材の大きめな男性用ルームウェアを身につけてテレビを見ている。世界広しといえども、この異様な光景を目にできるのはここだけだろう。
「おはよう。ちゃんと寝れた?」
「うん。フワフワなベッドに寝たのが初めて緊張したけど、ぐっすり眠れたよ」
「それはよかった」
「あ、さっき井戸から水を汲んで樽に入れておいたよ。ポンプ? って便利ね。井戸の水汲みを楽しめる日が来るとは思わなかったわ」
エリーゼの世界では、桶(おけ)を落として水を汲むつるべ井戸しかなく、水を汲む作業は時間がかかり苦痛でしかなかった。そのため、手押しポンプで簡単に水が組み上げられるのが楽しくなり、子どものようにはしゃいだ結果、朝から疲れてしまい先ほどからぐったりしていた。
「それじゃ、朝食を作ってくるよ」
「ありがとう。いつか異世界料理をご馳走するね」
「期待してる」
健人は、異世界料理が「ゲテモノじゃなければいいな」と失礼なことをつぶやきながら、キッチンにまで移動をした。
朝は軽く食べて済ますことが多い。
今回もそのつもりで、買いだめしていたコーンフレークと牛乳をお皿に入れ、さらに冷蔵庫からソーゼージを取り出してフライパンで軽く焦げ目がつくまで温めてから大皿入れる。そこにレタスを数枚入れて完成した。
「もっと時間がかかると思っていたけど、早いのね?」
「朝は簡単にすませるタイプなんだ。悪いけど付き合ってもらうよ」
「私も軽いほうが好きだから気にしないで」
料理をテーブルに置きイスに座ってから、健人は思い出したかのように口を開いた。
「水瓶にいっぱいまで入ってたけど、重くなかった? 男の俺でも持てるか怪しい重さだと思うよ」
「あれね。実は体内の魔力で身体能力を強化すれば、簡単に持ち上がる重さよ?」
エリーゼにとっては珍しくもなく当たり前のことをそのまま伝えただけだったが、健人は大きな衝撃を受けた。
「魔力で身体能力を強化できるんだ! 使えるようになれば色々と便利になる……」
無人島生活は水汲みだけではなく、薪割り、本島からの物資の運搬、コテージの前にある畑など力仕事は山のようにある。実は、現代社会の生活に慣れきった健人の体は悲鳴をあげていて、体を動かすのが苦痛になるほどの筋肉痛になっていた。
体が慣れるまで我慢するしかないと諦めていたところに、魔力による肉体強化の話が出たのだ。
「ずいぶんと身体能力の強化にご執心のようね……。魔法を使うのであれば、必ず覚えなければいけないことだし、朝食を食べ終わったら検査をして、魔法が使えるようだったら肉体強化の練習をしましょうか」
「ありがとう! よろしく!」
「昨日より、テンション高くない!?」
昨日は精神的に疲れていたところにエルフとの出会いがあいまって、健人のキャパシティを完全に超え、目の前の出来事を処理するのに力を割きすぎて、本来出てくるはずの感情を無意識に押し殺していた。
一晩寝て回復した健人は、やっと本来の性格に戻ることができた。
「憧れの魔法が使えるかもしれないんだろ? しかも、物語の中にしかいないエルフに教えてもらえるなんて夢のようだよ!」
「夢のようって……。昨日、この世界にエルフはいないと言ったけど、物語には存在しているの? 過去にはエルフが存在してた?」
エリーゼは、健人から「この世界には人間しかいない」と聞いていたが、エルフの自分を見ても驚くこともなく、あたかも存在を知っているかのように接していたことに、違和感を覚えていた。
だが、過去に存在していたのであれば納得できる。そう考えて質問をしていた。
「事実をベースにした物語じゃないよ。誰かが想像したことをまとめた小説のことをいっているんだ。そここに出てくるエルフの特徴がエリーゼと一緒だったものだから、なんだか過去にあったことがある種族のように感じていたんだ」
「なるほど……実際にいたわけではなく架空の存在として知っていたのね。面白い偶然。ちょっとその小説読んでみたくなったわ」
「このあと本島に行くから、その時に買ってくるよ」
「ありがとう。期待してる」
その後もお互いの世界について情報を交換しながら食事は進み、食後の紅茶を飲み始めたタイミングで、エリーゼが魔力診断をするために健人に近寄る。
「人間は大気中にある魔力を吸収して蓄積はできるんだけど、魔力を作ることはできないの。これは重要だから覚えておいてね」
生物は空気中に混ざった魔力を呼吸とともに吸収し、蓄積することしかできない。
魔力を吸収できないこの世界に来たエリーゼは、当初、魔法を使うことできずに焦っていた。
「魔力は呼吸で吸収できるんだけど、体内に蓄積するためには、私たちの世界では見えない器が必要と言われていたわ」
過去に人体を解剖しても見つけることができなかった魔力を貯蔵する臓器。エリーゼの世界では「見えない器」と呼ばれていた。
「見えない器に魔力が溜まっているか確かめる方法が魔力診断。とは言っても、やることは他人の魔力を流し込んで、見えない器にたまっている魔力が反発するかどうか確かめるだけなんだけどね」
「反発すると、器に魔力が溜まっていることになる?」
「そういうこと。私たちの世界では大きさに違いはあるものの、器はみんな持っていたから、多分、健人にもあると思うんだけど……とりあえず、魔力を流してみるね」
エリーゼは健人の後ろにまで移動して右手を背中に当てる。心臓近くにうごめいている魔力の一部を右手に持って行き、そのまま健人の背中に流していくと、ゴムのような抵抗を感じることできた。
この抵抗を無視して魔力を流し込むと、魔力が混ざり合い、流された人物が不調をきたすことになるので、エリーゼは反発に対抗せずに魔力を体内に戻した。
「安心して。あなたには器があった」
その言葉を聞いた瞬間、健人は勢いよく立ち上がり拳を握って両腕をあげた。
「これで魔法使いになれる!」
エリーゼは、あまりにも子どもじみた行動をする健人に思わず苦笑いをしてしまった。
「身体能力の強化方法を教えるから、座ってもらえる?」
「あ……ごめん」
「落ち着いた人だと思ってたけど、意外と子どもっぽいのね」
「この世界の人間は、一度は魔法を使いたいと思って諦めちゃうからね。夢が叶う瞬間ってこんなもんだよ」
「ふーん。そういうことにしておいてあげる」
「それ、信じてないでしょ……」
健人はガクッと肩を落としたものの、エリーゼの次の言葉でまた目を輝かせることになった。
「反発の強さから器に十分な魔力が溜まっていることがわかったし、身体能力の強化はすぐにできると思うから、さっさとやっちゃいましょ」
「すぐにできるの!?」
「ええ。臓にあると考えられている見えない器を他人の魔力で刺激すると、見えない器から魔力があふれ出すの。そうすれば、自分でも魔力を感じるようになるわ。あとはその魔力を身体中にめぐらせるだけ。簡単でしょ?」
「多分? とりあえずやってみようよ」
エリーゼの右手が健人の左胸――心臓の上に軽く当て魔力を流す。先ほど同じように抵抗を感じるが、今度は強めにして魔力を流し続ける。時間にして数分。健人は今までに感じたことのない、心臓の中でうごめく何かを感じ取ることができるようになった。
「心臓の周りにウネウネと動いているものがあって気持ち悪いんだけど……」
「それが魔力よ。そのうち慣れるから気にしない。で、そのウネウネしているものを動かそうと意識して。そうね、血管を通って身体中に魔力が行き渡るようなイメージかしら。慣れれば手足を動かす時みたいに無意識に身体中にめぐらせるようになるわ」
「わかった。とりあえずやってみる」
口で説明されるより、経験したほうが習得が早いだろうと考えた健人は、すぐさま目を閉じると、言われるがまま心臓にうごめく何かを右手に移動させようと意識してみる。最初は動いているのか分からないぐらいの小さな変化だったが、何回も何回も続けること次第に動きがわかるようになる。そして、一度大きく動いたかと思うと一気に身を駆け巡った。
エリーゼがアドバイスした通りにイメージした結果、魔力が体全体に行き渡る。
一度動いてしまえばあとは意識するだけで、器に戻したり、体内に流し続けたりできるが、右腕だけに魔力を回すといった繊細な魔力操作は難しく、本格的な魔法を使おうとしたら魔力を扱う修練が必要だった。
「ちょっと離れてもらえる? 思いっきりジャンプしてみる」
エリーゼが離れるのを待ってから立ち上がり、膝を折って思いっきり上に向かって垂直跳びをした。すると、勢いよく飛び上がりそのまま高さ3mはある天上に頭をぶつけてしまった。その結果、体勢を崩してそのままのたうちまわるという醜態をさらすことになる。
「だ、大丈夫?」
「うぅ……。まさか天井にぶつかるほどのジャンプ力になるとは思わなかった……」
成人男性の垂直跳びの平均は、55cm〜65cmと言われている。健人の身長は175cm。3mの天井に頭をぶつけたところから、少なくとも平均の倍近くジャンプ力に向上したことがわかった。
まだ痛みが取れず涙目になりながらも、ヨロヨロと立ち上がりエリーゼの方を向いてお礼を言った。
「エリーゼのおかげで魔力が扱えるようになったよ。ありがとう」
「お礼なんて後でいいからイスに座って休んで。約束を守る前に倒れてしまったら、私だって困るわ」
エリーゼに促されるままダイニングのイスに座ると、そのままテーブルに突っ伏してしまった。
「その状態でいいから、魔力を扱う注意点だけ聞いて」
「うん」
「生き物は体内で魔力を生成することができないの。だから、周囲から魔力を吸収しなければならない。私の世界だったら魔力がない場所が存在しなかったから問題なかったけど、ここは違う。コテージ周辺以外では魔力は存在しない。体内の魔力を使い切ってしまうと、補給するまで器は空のままになるの」
「空になるって、要するに身体能力の強化といった魔法が使えなくなるってこと?」
「ええ。その通りよ」
エリーゼが海岸で魔法が使えなかったように、心臓にある魔力の器が空になってしまうと外から補給しない限り、魔力の扱いに長けている人でも魔法が使えなくなってしまう。車とガソリンのような関係だ。
エリーゼの矢を作成した魔法のように体外に出さなくても、身体能力強化のように器から動かしてしまうと、魔力が徐々に体外に漏れ出してしまう。
「魔力供給無しで、俺の身体能力強化はどのぐらいもつと思う?」
「うーん。器の大きさを調べてみないとわからないけど、さっきのジャンプ力を見る限り、健人の器は大きそうだから1時間はもちそう」
「1時間もてば十分だ。ビーチからコテージまで歩いて20分程度だし、荷物運びに使う程度であれば十分実用的な魔法だ」
魔力の補給なしで1時間程度しか使えない地味な魔法だが、汎用性が高い魔法を覚えることができたため、健人は非常に満足していた。
「それじゃ次は、俺が約束守る番だね。これから買い出しに行ってくるから、欲しいものを教えて」
「うーん。この世界に何があるかイマイチわからないけど、この世界の歴史がわかる本と健人が言ってた科学? ってのがわかるものが欲しいかな。あとはエルフが出てくる小説も読んでみたい」
「うん。それならなんとかなりそうだ。あとは着替えの服も買ってくるね」
「どんな服があるかわからないし、任せるね。それと、魔力も回復しことだし、今日は無人島に他の仲間が来ていないか探索してみたいんだけど……いい?」
「問題ないよ。無事だといいね」
その後、昼食に作ったカレーを食べてからビーチに作った木製のさん橋に止めてあるクルーザーに一人で向かう。
健人は、カタマランと呼ばれる船体が2つある40フィート超えの大型クルーザーに乗っている。2階建てで、なかにはベッドやシャワールームなどが完備されている高級に部類するクルーザーだ。一般人が、1億円以上するこのクルーザーに乗る機会すらほとんどないだろう。
そんな購入したばかりでまだ乗り慣れていないクルーザーのエンジンをつけて、本島に向かって移動を始めた。
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