第2話 お互いを知る

「私たちの世界には、いくつもダンジョンがあって、その最下層には異世界に通じる道があると言われていたわ。その真相を確かめるために、私を含めた5人がパーティを組んでダンジョンを攻略していたの」


 魔法まで実演してもらった健人は、すでに目の前に座っているエリーゼを異世界の住人だと確信していたため、当然のように異世界といった単語が飛び出すが、違和感なく受け止めていた。


「本当に別の場所に移動するとは思わなかったけど」


 最後にそう付け加えると、食後に用意されたオレンジジュースに口をつけると、目を見開き驚いた表情をし、すぐに満足そうな笑みを浮かべていた。


 知らないところに飛ばされて動けず、切り札の魔法が使えないところで、見慣れない服を着た男性に声をかけられたのであれば、普通は慌てたり取り乱したり怯えたりする。だが、異世界に来たと知っていたのであれば、見慣れない格好も、異様な形をした船が近くにあっても「異世界」だからと理解したうえで行動ができる。


 現状を正しく認識できているからこそ、落ち着いて健人と会話ができていた。


「なるほど。もともと異世界に行けると分かっていたんだね」

「ええ。私たちは5人で攻略してなんとか最下層にまで到着したんだけど、そこには水晶のようなものだけがあった。好奇心に負けて触って見たら……この通り。異世界に飛ばされたってわけよ」


 話に一区切りついたと言わんばかりに、オレンジジュースを一気に飲み干した。


「他のメンバーは?」

「水晶に触ったのは私が最初だし、向こうに残っているかもしれない。探そうとは思ったけど、ここは海に囲まれて出られないし、魔力が補充できずに魔法が使えない。身につけていたものは弓だけ。食料と水は持っていなかったから他の仲間を探す余裕なんてなかった。だから正直、他の人がどうなったか分からない……」


 そう言い終わるとエリーゼは、窓の方に顔を向けて遠くを眺めた。

 ダンジョン探索で疲れているところで見知らぬ場所に飛ばされ、拠り所としている魔法が一切使えない。さらに水や食料がなければ、他人を探す余裕はなのは当たり前だ。


「ごめん。失礼なことを聞いた……」

「別に問題ないわ。あまり気にしていないし」


 生きていれば必ず会える。そう考えて行動するのは、ハンターの判断として間違ってはいない。さらにパーティーメンバーと言ってもエリーゼにとっては、仕方なくパーティを組んでいただけであり、冷たいようだが、あまり心配していなかった。


「そう言ってもらえると助かる。これが最後の質問だけど、ここにきてから何日目?」

「1日もたってないわよ。食料と水がなかったうえに飛ばされたときは、ダンジョン攻略の疲れが残っていたから動き回る余裕はなかったの。あなたに助けてもらえて、本当に感謝しているんだから」


 気だるそうな態度から一転して、背筋を伸ばし正面を見つめてから頭を下げる。

 命の恩人へのお礼。この表現がピッタリと当てはまる状況だった。



「こっちの世界……いや、この国では、困っている人を助けるのは当たり前だよ。そこまで気にしないでほしいかな。そこまでされると、逆に申し訳ない気持ちになるよ」

「困った人を助けるのが当たり前……ここは、豊かな国なのね」


 目の前に倒れている人がいたら、ひとまず声をかけてみる。日本で住んでいれば多くの人が同じことをするだろう。だがそれは物質的、精神的に余裕があるからこそできることだ。

 貧すれば鈍する。貧しくなれば心までも貧しくなってしまう。そんな国に住んでいたら他人を助ける余裕などないだろう。だからこそエリーゼは、日本を豊か国と判断した。


「私からも質問してもいい? この島にはあなた以外の人はいないの?」

「この島は俺の所有物で、この場にいる人以外は存在しない。俗世から離れて一人でゆっくりと余生を過ごすつもりだったんだ」

「そんな時にお邪魔してごめんね」

「異世界人と出会う貴重な体験をしているから気にしないでいいよ。ちなみにここからクルーザーで移動して15分の距離に本島があって、そこに行けば人は沢山いるよ。でも、今すぐ行くことはオススメしないかな」

「なんで……って、聞いても大丈夫?」


 健人は問題ないと、頷いてから説明を続けた。


「まず、この世界は肌の色に違いはあるものの、俺みたいな見た目の人間しかいない。エリーゼのように耳が長く尖った種族はいないんだ。本島に行けば異世界人だとすぐにばれて、拘束される可能性が高いよ」

「私みたいなエルフやドワーフといった種族がいないのなら……健人の懸念は正しいと思う。まだこの世界の常識もわからないし、人がいる場所に移動するにしても、もう少し情報が欲しい」


 政府に拘束されてしまえば自由がなくなる。

 エリーゼは異世界にきてしまうほどの好奇心と行動力を兼ね備えた女性だ。自由を奪われるのは苦痛でしかない。さらに人間以外の人種がいないのであれば、人体実験される可能性もある。


 実際、エリーゼの国では過去に人間より寿命の長いエルフの秘密を探ろうとして、人体実験が行われたことがある。健人が想像している以上に人間以外の人種が存在しないことに危機感を覚えていた。


 また現実問題として、基本的人権で保護されている「人間の範囲にエルフが含まれるのか」といった問題もある。クローン技術で生まれた人間と同じく、人権の有無については議論する余地があるだろう。


「話は変わるけど、俺でも魔法は使えるかな?」

「え? うん。多分、問題ないと思う」


 急な話題転換にとまどいつつも、エリーゼは質問に答えた。


「なら、しばらく生活の面倒を見るのとこの世界の常識を教えるかわりに、魔法の使い方を教えてもらえない?」


 健人は目の前のエルフ、魔法といったものを見逃すほど好奇心は死んでいない。魔法を見たときから、どうやって教えてもらうか考え、その手段として、先ほどの交換条件を提示した。


 提供するものと得るものがある関係……表現は古いがWIN-WINの関係であれば、初対面の人間でも、お互いが利益がある状況が続けば、ある程度は安心して接することができ、対等な関係が維持できる。


 もちろん、完全に信用するわけにはいかないが、お互いの事を理解するために時間が必要な今、この取引は2人にとって重要なものだった。


「それは構わないけど、万が一魔法が使えなかったらどうするの?」


 エリーゼもそのことを理解しているため、魔法が使えなかった場合の対応を確認するのも忘れなかった。


「ダメだったら魔力の発生源の調査を手伝ってもらうよ」

「私も知りたいし問題ないわ。なら契約成立ね」


 そう言い終わると、エリーゼが右手を差し出す。

 健人は一瞬何を求められているのか分からずに硬直していたが、握手を求められていることに気づいて右手を差し出して握手を交わした。


「異世界にも握手があるんだ」

「つい癖で手を出してしまったのだけど、意味が通じて安心したわ」


 この瞬間、2人が無人島で共同生活をすることが決まった。


◆◆◆


 普通であればこのまま魔法を教えてもらったり、もしくはこの世界の常識を教えようとしたりするだろう。だが健人は、お金を稼ぐために働く必要もなければ、世界を変えてやるといった野望も持っていない。ただ、無人島でのゆっくりと生活がしたいだけだ。そのため、魔法を覚えることについては急ぐ必要はないと考えている。


「今日はやることが残っているし、明日から行動を始めようか。2階に客室があるから、エリーゼはそこを使ってね」

「遠慮なく使わせてもらうね」

「っとその前に、お風呂に入って汚れている体と服をきれいにしよう。使い方は説明するから安心していいけど、着替えは申し訳ないけど俺のものしかないから我慢して使って欲しい。明日、クルーザーに乗って女性物の服を買ってくるよ」


 エリーゼは、ダンジョン攻略からの無人島探索によって服や顔に泥が付いていた。さらに、長めの髪は洗えていなかったようで、脂や汗でしっとりとしている。


 そのような姿を見ていた健人は、まずはゆっくりと休んでから話を進めるべきだと考えていた。


「何から何まで……助かるけど……」

「この世界の人間は魔法は使えない。魔法使い第1号になれるのであれば、この程度、なんの問題もないよ」


 少し浮かれ気味な健人は、返事を待つのを忘れて外に出て入り口に置いてあった薪の束を片手に持ち、コテージの裏側に移動する。


 裏側には薪を入れる薪風呂釜があった。無人島までガスは通っていない。プロパンガスも用意していないため、お風呂は薪で炊く方法を採用していた。

 もちろん水道も通っていないので、お風呂には井戸から汲み上げた水を使っている。


「たしか、ここに薪を入れて火をつければよかったんだよな」


 健人は取扱説明書を読みながら薪をいれ、着火用の丸めた新聞紙をなかに置いてから火をつける。しばらくすると新聞紙から薪に燃え移り、一気に火が大きくなる。


 火が安定したのを確認してからダイニングに戻ると、エリーゼはテレビを見ていた。


「このテレビってのは面白いね。見てて飽きないわ」

「お風呂の準備が終わった。後でいくらでも見せてあげるから、先にお風呂に入ってもらえないかな」

「お風呂ってお湯に浸かること?」

「そうだけど、そっちの世界にはなかった?」


 パンや握手といったものが通じたので、お風呂も共通だと思っていた健人は、驚いて質問を質問で返した。


「ううん。お湯に浸かるお風呂は手間がかかるから、お金持ちしか使えないけどあったわ。無人島でお風呂に入れるなんて……ここの設備は、地味にすごいのね」

「この国では、ほとんどの家にお風呂がついている。もちろん湯に浸かるタイプだ。だから驚くほどではないよ」

「それはまた、私の常識とはかけ離れている……」


 そんな会話を続けていると風呂場に到着した。ドアを開けると脱衣所が目に入る。床は吸水性の良いベージュのクッションフロアで、銭湯のように壁に棚と衣服を入れるカゴがある。奥には鏡台があり、櫛やドライヤーが置いてあった。


「ここで服を脱いで棚にあるカゴに入れて。着替のパジャマは、棚の横にある引き出しに置いてあるから、好きなものを選んでいいよ」

「一人で住むにしては立派な場所……」

「金だけは腐るほどあったから」

「へぇ。やっぱりお金持ちなんだ」


 日本の生活に比べれば不便な点が多いコテージだが、エリーゼにとっては最新の設備が整った家だと感じていたため、お金があるといわれても「やっぱり」という感想しかかなかった。


 また彼女は、長寿の種族らしく必要最低限のお金しか欲しいとは思わない。お金を持っているからといって、健人の親族みたいにお金をくれと言うことはない。


 だが、そんなことを知るすべもない彼は、失言をフォローするために言葉を重ねた。


「ここを手に入れるために、ほとんど使い切ったけどね。お金なんて残っていないよ」

「確かに島を買って、こんな家を建てたらお金なんてすぐに無くなってしまいそう……」


 実際には3億円近いお金が残っているが、お金の無心をされたくないために嘘をつく健人と、異世界の基準で出費を計算したエリーゼの考えが妙なところで一致してしまい、特に問題なく会話が続く。


「風呂場のお湯を身体にかけてから石鹸で洗ってね」

 脱衣所から風呂場へと移動したエリーゼは、健人の説明を聞きながらも近くに置いてあったシャンプーの容器を手にする。

「エリーゼが手に取ったのは髪を洗う洗剤で、シャンプーと書いてあるのが、って文字は読める?」

「今、私も驚いているんだけど、文字読めるね……」

「なら問題がないかな? シャンプーが髪を洗う石鹸でボディソープが身体を洗う石鹸。身体を洗うときは、そこにかけてあるタオルを使ってね」

「へー。髪と身体で別のものを使うのね。贅沢なこと……」

「まぁ、これもこっちの世界じゃ普通のことだよ。俺は外で火の番をしているから、ぬるかったり熱かったりしたら声をかけて。できる限り調整するから」

「気を使ってくれてありがとう」

「これも、魔法使いになるためだからね」


 健人は、何度もお礼を言われて気恥ずかしくなり、返事を待たずに外に出て、再び薪風呂釜の場所まで戻る。


 火が消えていないかチェックをしていると、風呂場から歌声が聞こえてきた。ポップでもロックでもない、今までに聞いたことがないメロディで、それはエリーゼの故郷に伝わる歌だった。


 しばらく目をつぶって歌を聴いていると、エリーゼから突然声をかけられる。


「このシャンプーはどのぐらい使えばいいの?」

「出っ張りを1回か2回押して出てきた量で十分なはずだよ。ボディソープも同じ」

「ありがとう」


 短い会話が終わると歌が再開された。

 歌を聴きながら火の番をするのんびりとした生活。健人が夢見ていたスローライフな生活が、今このとき実現されていた。


「魔法かぁ……宝くじで運を使い切ったと思っていたけど、俺の運はまだ残っていたみたいだ」


 そう呟いた健人の表情は、1年ぶりともなる心からの笑顔を浮かべていた。


 エリーゼの長風呂が終わったあとは、井戸まで移動して歯磨きや洗濯の方法を伝えてから部屋に案内をすることにした。


「ここがエリーゼの部屋だよ」


 健人が案内した部屋はベッドとテーブルにイスが2脚と洋服ダンスだけがあるシンプルな部屋だった。それでも新築特有の清潔感があり、エリーゼはこの部屋に満足していた。


「綺麗で清潔な部屋」

「自分の部屋だと思って使ってね。ドアノブの上についている出っ張りの部分を回転させれば、ドアが開かなくなるよ。外からは開けられないようになっているから、寝ている間に俺が入ってくる心配はしなくても大丈夫」


 エリーゼは、これまで健人と会話で大体の性格は理解していたつもりでいたので、襲われる心配はしていなかった。それを伝えるため、健人のほうを向いて笑いかけながら、からかうようなトーンで返事をする。


「紳士的な対応で安心した」


 健人はその笑顔に照れてしまい、手を頭の後ろに当てて髪を触りながら話を続ける。


「俺は荷物の整理をしているけど、この後はどうする?」

「せっかくだから休ませてもらうかな。ご飯を食べてお風呂に入ったら眠くなってきちゃった」

「わかった。朝目が覚めたらダイニングに集合しよう。朝ご飯は俺が作るよ」

「ありがとう。これからお世話になるね」

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