リコの活躍

 見るからに真新しいブーツが、雪と氷に塗れた歩道から元気よく離れる。だが、見方を変えれば、少し不貞腐れ気味の足取りに見えないこともない。

 見るからに大仰な歩調が、見る者に「滑るんじゃないか」と在らぬ心配を抱かせる。しかし、そんな心配を他所に、ブーツはざっくざっくと歩みを進めていく。

「……あーあ、つまんないなぁ。折角、かーちゃんとクリスマスできるかと思ったのにぃ」

 クリスマス向けの赤と緑に彩られた紙袋をふりまわしながら、ぶつくさとゴチたのは、リコである。

 ジャッキーの前では格好付けて、「大丈夫!」などと言ってはみたが、本当は残念で仕方がなかった。

 デパートのエントランスを出るまではクール、かつしとやかに歩いていたものの、そこから一歩踏み出した途端にこんな歩き方になるのだから、猫被りも甚だしい。まぁ、これはジャッキーに対するリコの精一杯の気遣いの表れではあるのだが。

 母親の仕事による『ドタキャン』は今に始まったことではない。事在る毎に親子のイベントは中止になっている。親一人子一人――二人きりの親子であるから、生活して行くにはジャッキーが働かなければいけない。リコもそのことについては十分理解も納得もしている。それどころか、母親が『特対班捜査官』ということを誇りに思っているくらいなのだ。

 ただ――

「つまんない、つまんない、つまんなーい!」

 その場で両手を夜空に突き上げたリコ。

 直後、ここが往来のど真ん中であったことに気付いたときには、時既に遅し。周りの通行人が目を丸くしてこちらを見ていた。

 顔が急に火照るのを感じて、リコはそそくさとその場を立ち去った。

「あー、恥ずかしい。……らしくないか」

 自分でも珍しいと思ったのか、自嘲気味にリコは頬を指で掻きながら苦笑した。

 いつでも落ち着いていて、大人びた頼りになる女の子――

 学校でのリコはどんなときでも慌てずに、落ち着き払ってテキパキと与えられたことをほぼ完璧にこなす。リコにしてみれば、学校での自分も家での自分の延長だった。ジャッキーが仕事で家を空けることが多い所為で、ニルヴァーン家の家事一切はリコが取り仕切っている。何から何まで自分でやらなければ立ち行かなくなるからだ。

 だから、リコにとってはそれが当然でごく普通のことであっても、クラスメートや先生たちは目をみはってそれを褒め称える。

 学校では一片の隙も見せないリコでも、母親のジャッキーの前ではやっぱり『子供』であった。母親と共に楽しいひとときを送りたいし、甘えたりもしたい。だから当然、それができなくなれば面白くもないし、不貞腐れたくもなる。

「……わたしにもとーちゃんが居ればなぁ」

 ほんの少し前に通り過ぎた父子連れらしき二人を見て、リコがぽつりと呟いた。

 物心付いた頃には、既に父親は居なかった。ジャッキーからは、自分が三歳の頃に事故で死んだ、と聞いている。

 リコ自身にとっても、父親の記憶と呼べるものは皆無で、顔すらも思い出せない。

 ――とーちゃんって、どんななんだろうな?

 自分ではどう頑張っても答えの得られない疑問であった。

 ぼんやりと父子連れを目で追いかけていたリコは、ふと我に返る。

 少し首を竦めて、溜息混じりに笑うリコ。その笑顔にはちょっぴり寂しさの欠片が隠れていた。

 気を取り直すようにゆっくりと歩き出し、柔らかな光の路をリコは独り往く。行き交う人々の顔はどれも幸せそうであった。

 いかにもクリスマスプレゼントといった紙袋を持った中年の男とすれ違い、仲睦まじく腕を組んで歩くカップルを横目に見ていると、リコの中に隠れていた寂しさの欠片が次第に大きくなっていく。

 本来であれば、自分も母親との楽しい時間を過ごしている筈なのに、今は独りぼっち。

 どうしてこんなことになったのか。

 リコが悪い訳ではない。ジャッキーが悪い訳でもない。だからと言って、母親を呼び出した特対班が悪い訳でもない。

 いつものこと――それに慣れているはずのリコであったが、無性に誰かと一緒に居たくなってきていた。

「……途中からだけど、混ぜてもらおうかなぁ」

 事情を知っている友人が、毎年リコをクリスマスパーティに誘ってくれるのだが、今回はジャッキーが居るから、ということで丁重にお断りしていた。

 ――今ならまだ間にあうから、行こうよ!

 茶目っ気たっぷりに笑う自分が誘う。

 ――途中から行くなんて迷惑だよ。ダメダメ!

 渋い顔をして腕を組んでいる大人びた自分が睨む。

 移ろいがちな乙女の心は、足元で雪が鳴る度に手に持った紙袋と一緒に揺れていた。

「邪魔だ!」

 突如、怒号と共にリコの身体が突き飛ばされた。

「きゃっ!」

 持っていた紙袋が宙を舞い、街路樹の根本に転がった。それでもリコ自身は片膝を付いただけで、何とか転ばずに済んだ。

「んもー、危ないじゃない!」

 抗議を受けた男はリコを一瞥すると、鼻で笑って走り続ける。その手には、彼には全く不似合いなハンドバックが握られていた。

「待てー! 泥棒ー!」

 遙か後ろから聞こえてきた声に、リコは全てを察知した。

「んもー! ……アンタみたいな人がいるからぁっ!」

 何とも半分私怨がこもっていそうな物言いではあるが、立ち上がったリコは着込んでいたダッフルコートのあわせを勢いよく開く。

 白のシェトランドセーターと赤と黒のタータンチェックのスカートが露わになる。女子中学生に相応しく、かわいらしい格好だ。

 ただし、腰に巻かれたものを除けば。

 リコの両手がその腰に動き、一瞬見えなくなった。

 刹那、何かの空気が漏れたような音がしたかと思うと、呻きとも取れる声が逃げたひったくりの方から聞こえてくる。ほぼ同時に、そいつが手にしていたハンドバッグがどさっと落ちた。

 ひったくりは左手で右手を押さえていた。「ちっ!」と一つ舌打を残すと、落としたバッグをそのままに逃げていく。

「ちっ!」

 またも舌打が聞こえた。だが、今度はリコの方である。ひったくりを取り逃がしたのが悔しかったに違いない。

 ハンドバッグは歩道に転がっていた。それにゆっくりと近づくリコの両手に握られていたのは拳銃であった。

 リコはこれでハンドバッグを掴んでいたひったくりの右手を撃ったのだ。

 大した距離ではないとは言え、瞬速の抜き撃ちで標的ターゲットに命中させるところは、流石はジャッキーの娘である。

 しかし、リコの手に収まる拳銃は、よくよく見ると一般の拳銃とは異なっていた。

 護身銃ガード・ガンである。

 札幌市が市内の一部の中高生に支給している、文字通り護身用の拳銃で、事件や事故に巻き込まれた場合の「いざ」というときに使われる。

 銃刀法の改正により、.22口径以下の銃であれば許可証無く一般市民も携行可能になったが、未成年への適用は当然為されることはなかった。

 しかし、激増する誘拐事件等の未成年を巻き込んだ凶悪犯罪への懸念から、『自己防衛』の手段がどうしても必要であった。

 そんな事情を背景に開発されたのが護身銃ガード・ガンである。

 安全性を考慮し、火薬を使用するタイプの拳銃とは異なり、圧搾空気を用いるエアガンを改良したものであった。

 ワルサーPPKをモデルとした強化FRP製の小さな銃身ボディは、中高生にも無理なく扱える大きさと重さを実現した。そこから発射される弾丸は直径5.56ミリの特殊ゴム弾で、「殺傷能力は無い」と言われてはいるものの、当たりどころが悪ければ大怪我もしかねないし、至近距離からでは死亡の可能性もある、との指摘もある。

 また、護身銃ガード・ガンを使った中高生による事件・事故も後を絶たないが、一方では彼らを狙う誘拐事件等の抑止力になっているのも紛れもない事実で、功罪に関しては賛否両論であった。

 そんな護身銃ガード・ガンをリコは二挺携行している。

 母親同様、両手を自在に使えるということが大きな理由であるが、ジャッキーと同じにしたかった、というのが本音かもしれない。

 腰に巻かれたフロントブレイク・ホルスターに護身銃ガード・ガンを収めると、リコは落ちていたハンドバッグを拾った。

「はい、どうぞ。……大変でしたね。でも大丈夫! ちゃんと取り返せましたよ」

 にっこり微笑んでバッグを渡した相手は初老の女性だった。

 大仰に両手を取って感謝され、涙を流してまでお礼の言葉を並べ立てる女性に、リコはちょっと気が引けた。

 お礼をする、といってきかないその女性を何とか押し留めて、リコは大きくぺこりとお辞儀をする。

「失礼しますっ!」

 半ば逃げるように、リコはその場から立ち去った。

 別に褒められたくてやったことじゃない。ましてやお礼が欲しくてやった訳でもない。単にひったくりが許せなかっただけだ。それどころか、ちょっとした憂さ晴らしと言うか、八つ当たりと言うか、ムシャクシャした気持ちの捌け口にしてしまったことには、今更ながらに自己嫌悪さえ感じてしまっている。

「んもー、まいっちゃう!」

 ハの字になった眉毛と漏れた困惑色の吐息が、リコを足早にするのだった。

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