第101話 陰と陽

「改めて。私の名は白亜。ここの頭領をやっている」


 屋敷に通し、客間に招いた葵たちに向かって、太陰三山の頭領・白亜は静かに告げた。


 広間は外庭に面していたから、屋敷の中にいても外の様子をよく見ることができた。外庭には相変わらず、季節を無視した実に多様な種類の花が咲き乱れている。花々の間には白い蝶がヒラヒラと舞っては、甘い花の蜜をすすっていた。


「あなたがたの事は、御山の長殿から詳しく紹介を受けているから、自己紹介は不要だ。とにかく私は前置きはなしにして、早速本題に入りたいんだ」


 白亜の白く濁った目は焦点が合わず、どこを向いているのかがわかりづらい。おそらく目が不自由なのだろう。だが、ここに来るまでまるで目が見えているかのように動いていたことを考えると、目の不自由さなどは彼にとってはほとんど気に止まらぬことなのかもしれなかった。


 白亜は葵たちに口を挟む機会も与えずに、一方的に言葉を続ける。


「率直に言って、私個人としては、紫紺を野放しにするつもりは毛頭ない。彼はことわりを乱す敵だ」


 屹然と言い放ったその言葉に、葵は息を飲んだ。彼ははっきり紫紺を敵と言い切った。これは、明らかに紫紺を倒す意志があることを示す発言だ。太陰三山の頭領は、打倒紫紺の意思を表明しているわけではないという楓の話とはまるで正反対だった。楓は別に嘘はついていなかったのだろう。単に知らされていなかっただけ。その証拠に、白亜の発言に誰よりも驚いていた。


「私は陰守かげのもりとして、彼を裁く責務がある」


 『陰守』、聞きなれぬ言葉だった。葵のその意を汲んでか、白亜は陰守について説明を加える。一方的に喋っているようだが、こちらの疑問に思うことを想定しているかのような話しぶりだった。


「陰守とは陰の調停者。この世の均衡を保つ片割れである陰が存在し、陽と均衡を保っているかを監視すると共に、最も陰の気を強く持つものを守るのが役目。太陰三山天狗一派の長となるものは、自ずとこの役目を背負わされる」


 動揺したように身じろぎする楓を手で制し、白亜は「分かっている」と告げた。


「陰守の役目については、今初めて話したこと。お前が知らないのは当然だ」


 白亜は不意に京介へ顔を向けた。


「君、対をなす陽守ひのもりのことは知っているだろう」


 初めて明確に他者へ向けられた問いだった。白亜は話し続けるのをやめて、京

介の答えを待つ。葵にはその「ヒノモリ」がなんなのかさっぱりだったが、京介は「はい」と硬い口調で頷いた。


「陽守は帝の担う役目です」


 白亜は満足げに口元をわずかに緩める。


「そうだ。そしてその対をなすのが私。帝は陽が侵されれば、陽を排そうとするものを取り除き、私は陰が侵されれば、陰を排そうとするものを取り除く。だから私は紫紺を取り除かなければならない。だから君たちに協力する。だが、協力するのはあくまで私個人。この山の天狗全てが兵力となるわけではない。もちろん、その気になれば天狗を兵として動員させることはできる。しかし、それをやれば、あやかしと人間の全面戦争になってしまう」


白亜は悲痛な声で語る。


「そうなってしまえば、結局は陰と陽の潰し合いになってしまう。それではいけない。だから、できるだけ少数で、相手の首魁とその一味を討つつもりだ。それを実行するために、君たちに私の兵となってもらう」





「言ってること無茶苦茶だぞあの白髪頭」


 ここにいる間、寝泊まりするようにと与えられた部屋に到着するなり、「兵になれ」と言われた後の白亜の発言を思い返しながら、葵は愚痴を吐いた。


「兵になれとか言っておきながら、お前たちは弱い弱すぎる。そんなのでは私の兵にふさわしくない。もっと強くなれ。私が認める強さになるまで山から出るな……。一生ここにいるのが嫌なら強くなってみろ……て。なんなんだあいつ。陰守だかなんだか知らねえが、俺たちの意見まったく聞かずに一人で勝手に決めやがって。何様だよ」


 葵は力任せに拳で床を叩く。


「だいたい、先に着いているはずの頭領たちはどこにいるんだよ。聞いても全然答えてくれないし。あの白髪野郎。耳ついてんのか」


「葵、言葉遣いがどんどん汚くなってるよ」


 わざとらしく咳をして京介にたしなめられ、葵はフンとそっぽを向く。京介は

子供っぽいなあと呆れたように眉尻を下げた。


「とにかくさ、腹を立てても仕方がないよ。ここは白亜さんの言う通りにしよう。ここで修行して強くなるんだ」


「……沙羅と九尾もそれでいいのか?」


 葵が二人を横目で見やると、沙羅は「ええ」と頷いた。沙羅が良いというのなら、九尾もそれで良いことは言うまでもない。


「私が言うのもおこがましいけれど、白亜さんの言うとおり、私たちはもっと強くならないといけないと思うわ。紫紺の部下相手でも大苦戦だったし、それに……」


 葵の顔をちらと見てから目を伏せ、沙羅は続ける。


「無月って人に関しては、手も足も出なかった。このままじゃ、紫紺を討つなんて無理よ」


 悔しいが、沙羅の言うことは最もだった。葵は思いつめた表情で畳のヘリを凝視した。先ほどの広間での白亜の言葉が、再び脳裏に去来する。



「私が欲するのは、紫紺と太刀打ちできる強い兵だ。私が兵を動かしても兵が弱ければ意味がない。並の相手が敵ならば、策如何でどうこうできるが、残念ながら紫紺は並の敵ではない。そして君たちが紫紺と太刀打ちできるほど強い兵かといえば、答えは否だ。君たちは弱い。あまりにも。このままでただの足手まといだ」



「弱すぎる……か」


 紫紺を倒すほどの力が自分にないことは、葵も痛感している。だからと言って、強い者に打倒紫紺を手放しで任せられるような気持ちには到底なれない。なれないほど、もう後戻りできないところまで来てしまっている。


「でも、なんで俺たちがあいつの兵にならなきゃいけないんだ。なんであいつの

部下扱いなんだ。俺らがいつお前の部下にしてくださいっつったよ。紫紺を倒す同志じゃダメなのか」


「その辺は僕もちょっと承服しかねるね。陰陽師って立ち位置的に、主人があやかしってのはちょっと」


 憤激する葵と頰をかく京介の横で、九尾がせせら笑う。


「嫌がらせじゃねえのか。あいつ人間嫌いなんだろう」


「そんなことするような人には見えないけど」


 沙羅がそう反論した時、不意に部屋の戸が前触れもなしに開いた。一同がそちらに目を向けてみると、なんとも言えない複雑そうな顔をした楓が戸に手をかけて突っ立ていた。楓はまだ白亜の元に残っていたはずなのだが。


「白亜さんとの用事は済んだんですか」


 沙羅の問いに、楓は「うん、まあ」と歯切れの悪い返事を返す。それから深く長い溜息をつくと、「ごめん!!」と叫んで床にうずくまった。何をしているのかと思えば土下座である。


「頭領の失礼はあたしが全身全霊を込めて謝るから、どうか、どうか頭領の言う

通りに……」


 してください……と最後は絞り出すような声で言った。


「そんな、土下座しないでください」 


 沙羅に肩を揺すられ、楓は渋々上半身を起こして床に座りなおした。それでもなお言葉を続ける。


「あの人の勝手な性格は小さい頃からみたいで、もはや癖で……」


 本当に申し分けなさそうな楓の姿が気の毒で、葵は見ていられなくなってつい口を挟む。


「別に楓が謝ることじゃないだろ。……それに、心配しなくても、ここで強くなってやるよ。さっきみんなでそう話してたんだ。白髪野郎の言いなりになっているのは、癪に触るけどな」


 葵の言葉に、楓は「良かった」とホッとした表情を見せた。


「あおちゃんが変な気起こして、脱走したらどうしようかと思ってた。頭領、怒ると凄く怖いから。本当に、凄く怖いから」 


 わざわざ二回言ったことと、楓の青ざめた表情から察するに、怒った白亜は相当怖いらしかった。それで葵の白亜に対する反抗心が、収まるわけでもなかったが。


「でも、強くなるって言葉で言うだけなら単純だけど、凄く難しいことだよね。時間もかかるし、その間に紫紺に色々動かれたら困る。僕らはこの山に縛られて身動きが取れないんだから」


 京介がもっともな心配点を述べると、楓が「それについては大丈夫」となぜか自信ありげに言った。


「頭領は目が見えない代わりに、対面した人のいんようの割合を見極めることができるんだ」


「割合?」


 葵は首をかしげる。それの何が大丈夫なのか。とりあえず辛抱してきくことにする。


「陰と陽、どちらも備わってるのか?」


「うん。生き物はみんなそう」


 楓は自分の胸に手を当てた。


「人は陽、あやかしは陰、という風に大別されてはいるけれど、それとはまた別に、人にも陰の、あやかしにも陽の気は備わってる。その二つが備わっているから、生き物の体はうまく機能することができるんだ。そして、その二つの性質を上手く使うことで、生き物はより強くなる」


 楓は、葵たちの顔を順番に見つめた。


「でも、大抵の生き物はどちらか一方の気質の方が強いんだ。つまり偏っているということ。その偏りをなくすことで、身体の陰陽の調和がとれ、さらに強い力を引き出すことができるんだ。つまりこれが、強くなる秘訣ってこと。だから大丈夫。ちゃんと強くなれるよ」

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