第85話 推測

「どうかしましたか」


 葵の気持ちをわかっているのかいないのか、紫紺は涼しげな口調で、自らが蹴飛ばした鈴に見入る葵へ声をかけた。


 葵は「なんでもない」と呟いて、そのまま床へ座る。


 葵がおとなしく座ったのを見て、紫紺は満足気に口元を緩ませた。肘はつけたまま、脇息に乗せていた手をゆっくりと顎元へと当てがい、色素の薄い灰色がかった瞳で葵を見つめる。


「……で、結局何の用なんだ」


 しばらく経っても紫紺が何も言ってこないので、しびれを切らした葵は自分から口を開いた。


「わざわざ攫わせておいて、何も用がないなんてことはないだろう」


「……ええ、もちろん」


 紫紺は、長い睫毛に縁取られた目をゆっくりと瞬かせる。


 葵は紫紺の表情から彼が何を考えているのか読み取ろうとしたが、全く無駄だった。無表情ではないのに、女のように美しいけれどひどく冷たい印象を与える顔からは、何も読み取れない。


 紫紺はゆっくりとした穏やかな口調で言葉を続けた。


「私はですね、あなたに興味があって、ここへ呼んだのですよ」


「興味?」


 そりゃ興味がない人間と会いたいなどとは思わないだろう。ろくな答えにもなっていない返答に、葵は少しばかり苛立ちを覚える。それでも辛抱強く彼の言葉の先を待った。


「そう、興味。興味です。私の周りを嗅ぎ回っている方々の中で、あなたに一番興味を惹かれたのです。途中から加わったらしい少女と狐の物の怪というのもかなり気になりましたけどね」


「……」


 葵は黙したまま紫紺の顔を睨むように見つめた。


 少女と狐の物の怪とは、おそらく沙羅と九尾のことだろう。やはり紫紺には気付かれていたのだ。口振りからして、沙羅と九尾が仲間になるよりも前、おそらく、紫紺の式神・黒鳥に襲撃された段階で。


「私は不思議に思ったのです。見たところ、あなたは普通の人間のようですね。陰陽師でもあやかしでもない。陰陽師ならば、私が陰陽寮の実権を握っていることが気に食わないものもいるでしょうし、あやかしならば尚のこと、私が憎いでしょう。しかし、あなたはそのどちらでもない。私と敵対しようとする理由が思い当たらないのです。そこで私は、幾つかの事実から少しばかり想像を巡らせてみました。その答え合わせを、ぜひしたいと思いましてね。良いですか?」


「ああ」


「では、私が想像を巡らす際に起点とした事実を先に話しておきましょう。一つ目は、あなたが山伏の装束を着ていること。二つ目は、山伏の装束は天狗の正式な衣装ということ。三つ目は、あなたのことを確認した前日に、天狗の住処を襲撃したこと、です」


 紫紺の口から出てくる言葉に、葵は嫌な予感を感じた。しかし、それを表情には出さずに紫紺の話を黙って聞く。


「最初は、あまりこれらの事実関係を気に留めていませんでした。いえ、そもそもろくに考えようともしませんでした。しかし、鬼の国での出来事を聞いてから、私は考え直しました。はて、あの少年——あなたのことです——は何者かと。そして私は、先に述べた三つの事実から推測しました。それは、あなたが何らかの形で、私が襲撃した山の天狗たちと深い関わりを持っていたのではないかということ。ひょっとしたら、天狗と生活を共にしていたのではないかということ。ひょっとしたら、私が襲撃した時、あなたもその場にいたのではないかということ……」


 紫紺の口から次々と出てくる推測。そのどれもが当たっていることに、葵の嫌な予感はますます強くなってきた。きっと話はこれで終わりではないはずだ。そして葵の予想通り、紫紺はさらに自分の考えを話し続ける。


「しかし、ここで私は難題にぶつかりました。あなたが、あの夜天狗たちの住む山にいたと仮定して、ではなぜこうして生きているのか。私は確かにあの夜、完璧に天狗たちを滅ぼしました。一匹残らず、すべてです。逃げ出せないように周囲に結界を張った上で、山全域に五芒星の陣を発動させました。あの状況で生き残りがいたとは到底思えない……。しかし、あなたは今こうしてここにいる。そこでこう考えました。私は、天狗たちを根絶やしにできていなかったのではないかと」


 葵の心臓がぞくりと跳ね上がった。おそろしい怪物のざらついた舌先で、心臓を直接舐め上げられたような気分だ。そして葵は、桜の君が話していたことを思い出す。


『山神様は、山を襲った者の力を抑え込もうとしました。しかしそれでも皆を守るのには足りないと判断して、その者に幻を見せたのです。その者が山を蹂躙し全てを滅ぼす幻を』


 やはりこの話は本当だったのだ。紫紺は、御山の天狗たちを完全に滅ぼしたものだと幻によって思い込まされていた。しかし、今、紫紺は真実に気づきかけている。このままだとまずい。しかし、どうすればいい。葵はかつてないほど自分の心臓が高鳴るのを感じた。もし、紫紺が御山の天狗たちが生き残っていることに確信を持ったらどうなるか。答えは簡単だ。きっとまた、襲撃を仕掛けてくる。今度こそ根絶しにするつもりで。


「振り返ってみれば、山を襲撃した時、あの場に何か妙な力が働いているのを感じました。術が思うように発動できないこともあった……」


 紫紺は「うーん」と唸って、考え込む素振りを見せた。それから、不意に葵の方を見て微笑ましげに尋ねた。


「さあ、それでは答え合わせの時間と行きましょうか。私の結論をまとめるとこんな感じです。あなたは天狗の仲間で、仲間と住処を傷つけた私への復讐のために山から下りてきた。そして、天狗たちにはまだ生き残りがいる。判定するのはもちろんあなたです。私の推測、当たっていますか?それとも、ハズレですか?」


 そう言う紫紺の口調からは確信めいたものを感じた。葵に正解か不正解か尋ねているが、その実すでに自分の推測が当たっていることに感づいているのではないか。しかし、だからと言って正解だと言うわけにもいかない。葵がその通りだと認めてしまえば、確実に御山が危ない。御山を守るためにはどうにかして紫紺にこの考えを改めさせるしかない。しかし、どうすればいい。葵は自分がお世辞にも口が上手いとは言えない方だということは自覚している。せめて口の上手そうな京介か九尾がいれば……。しかし、今ここに頼りになる仲間はいない。自分がしっかりするしかないのだ。


 葵は、できるだけ落ち着いた態度を装いながら、紫紺を見据えた。


「……残念ながら、不正解だ。お前の推測は間違ってる」


 紫紺は、葵の目をまっすぐに見つめてきた。何もかも見透かすような紫紺の瞳と、葵の瞳の視線が空中で交錯する。そして、紫紺が何も言わないので、二人の間に奇妙な静寂が生まれた。


 その時だった。葵のはるか後方から、何か大きなものが壁を突き破るような轟音が、鼓膜を震わせんばかりに二人の元へ轟いたのは。

 

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