第69話 戦いの終わり

 そうして一同が再び目を開けてみると、五芒星の陣は跡形もなく消え去り、赤い炎の円を描きながら、美しい火の鳥がどこかへ飛んでゆく光景が目に映った。


「助かった……?」


 息も絶え絶えといった様子の風神丸が、拍子抜けしたような声をあげる。


「ええ。火の神さまが、救ってくださった……」


 沙羅もうわ言のようにつぶやいた。

 しばらくの静寂の後、皆はわっと声を上げて互いに肩を抱き合った。柄にもなく京介が葵の肩を抱き、沙羅は九尾の首元に腕を回し、風神丸が葵と京介の元へ駆け寄ってくる。これでもう大丈夫だと、誰もが安心し、喜びを分かち合っていた。ただ一人を除いて。

 


 万策尽き果てた菖蒲は、手を地面に着きうなだれていた。先ほどの術に体力を使い果たしてしまい、もう一度五芒星の陣を張れるほどの余力は残っていない。このままここにいても、あやかしたちに捕らえられ八つ裂きにされるだろう。そう考えた彼女は、懐に隠し持っていた小刀を取り出した。小刀には、対象物につき刺せば燃え上がる術式を仕込んだ呪符を巻いてある。あとはこれを自分の喉元につき刺せばいいだけ。


 龍神の牙も奪えず、鬼の国も滅せなかった自分がどの面下げて紫紺様の元へ帰れというのだろうか。そもそも帰れやしないのだ。あやかしに殺されるくらいなら、自分で自分の命を絶った方が、今の彼女にとっては何倍もマシだった。


 喜び合う葵たちを尻目に、彼女は小刀の切っ先を自分の喉にあてがおうと腕を上げる。しかし、横からいきなり飛んできた刀に小刀を弾き飛ばされた。


「なっ」


 驚いて顔を上げた菖蒲へ、冷たい声が投げかけられた。


「死なせはせぬよ。人間」


 その声に、喜び合っていた葵たちもはたと動きを止めた。皆の視線が集まる先には、蓬に肩を支えられ、背後に屈強な部下を引き連れた鬼の国の頭領・鬼姫の姿があった。鬼姫は、何かを投擲した直後のように右手を掲げている。菖蒲の握っていた小刀を、刀を投げて弾き飛ばしたのが彼女であることは明白だった。


「お前…は?」


「妾は鬼姫。鬼の国を仕切らせてもらっておるものよ」


 鬼姫は蓬に支えられたまま、ゆっくりと菖

蒲に歩み寄る。


「今回の一件、全てはお主が引き起こしたことじゃな」


「……そうだ」


 鬼姫は地面に座り込む菖蒲を見下ろした。鬼姫の漆黒の瞳はどこまで冷え切っていた。幼い外見には似つかわしくない、憎しみと怒りの炎が静かに瞳の奥で燻っている。だが、色白の顔はどこまでも無表情で、一切の感情を覆い隠している。


「お主のしたこと、到底許されることではない。本来ならばここで妾自ら八つ裂きにするところじゃ。……だが、殺すわけにはいかぬのよ。お主には聞きたいことが五万とあるでな」


 鬼姫は、背後に控えていた部下の者に視線で合図を送った。すると、部下たちはさっと菖蒲へ近づいた。それから彼女の腕を縄で拘束し、無理やり立たせる。

 背中を鬼姫の部下に押され、菖蒲は「どこへ連れて行くつもりだ」と、鬼姫を睨みつけた。鬼姫は菖蒲の顔を見ることもなく答える。


「もちろん牢獄じゃ。心配せんでも、食べ物はちゃんと運ばせる。死なすわけにはいかぬからな」


 暴れようともがく菖蒲だったが、さすがに力尽きた今では鬼姫の屈強な部下には抗えない。そのまま菖蒲は、鬼の国のどこかにあるであろう牢獄へと引っ立てられていった。 


「さて、これで一件落着かの」


 それまでの冷たい雰囲気が鬼姫の目や表情から消え失せ、いつもの彼女に戻る。それから鬼姫は、満身創痍といった出で立ちの葵たちの方を見遣った。


 九尾が鼻を鳴らして鬼姫へ話しかける。


「ババア、生きてたか」


 九尾にババアと呼ばれ、いつもならやかましく反論するはずの鬼姫だったが、彼女はそれには何も言わず、いきなり腰を下ろすと頭を下げた。

 葵たちは驚いて鬼姫を見つめた。

 続いて、ずっと鬼姫を支えていた蓬や、残っていた鬼姫の部下たちが揃って膝をつき頭を下げる。


「鬼姫…?」


 困惑して声を上げる風神丸をよそに、鬼姫は言葉を述べた。


「鬼の国の代表として、そなたらには感謝の意を述べさせてもらう」


 頭を下げたまま、鬼姫は続けた。


「お主らがおらねば、鬼の国は龍神の牙に蹂躙され、今頃は滅ぼされておったじゃろう。妾たちだけでは決して成しえなかったことを、お主たちはしてくれたのじゃ。あの女を相手どり、龍神の牙に真っ向から挑み、火の神を呼び出し、そして決して諦めず、最後には龍の宝珠を打ち砕いた。お主らの並外れた勇気のおかげじゃ。誠に感謝する。これから先、お主たちにどんな災難が降りかかっても、妾は必ずお主たちの味方であり続けよう」


「鬼姫様。私はただ……」


「おっと、謙遜の言葉はいらぬよ。沙羅殿」


 鬼姫に見つめられ、沙羅は「はい」となぜだか縮こまる。


「今はただただ、妾たちの感謝の気持ちをわかってほしいだけじゃ」


「あ、あの、すいません」


 突然京介が口を挟んだ。


「なんじゃ」


「葵をどうにか……怪我をしてて」


 葵は申し訳なさそうな顔をしている京介の腕の中で、ぐったりと気を失っていた。


「神様がさっき、加護を与えたから怪我は心配いらないとは言ってたんですけど……」


「これはいかん。妾としたことが。手当が先じゃ」


 鬼姫の声に、彼女の部下たちが葵と京介を取り囲む。程なくして、葵は丁重に鬼姫の部下たちに運ばれていった。おそらく宵の塔に連れて行かれるのだろう。


 鬼姫の指示で、残った京介たちも宵の塔へ向かうことになった。鬼の国でほとんど被害を受けていない建物は、宵の塔くらいだったのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る