第68話 光と炎

呆然とその様子を見ていた菖蒲の横をすり抜け、京介と風神丸が葵のそばに駆け寄ってきた。二人して葵の体を支え、刺さった龍神の牙を困惑した表情で見つめる。


 その後ろで、我に返った菖蒲が目を血走らせながら怒鳴っていた。


「龍神の牙よ。動け、私の元へ来いっ!!」


 手を差し出して、必死で龍神の牙に呼びかける。だが、龍神の牙はピクリともしない。


「無駄ですよ」


 空から聞き覚えのある声が降ってきた。葵が目を向けると、どういうわけか背中に沙羅を乗せた九尾が、葵たちのいる屋根の上へゆっくりと着地した。九尾の背の上の沙羅の手には、あの武器屋から譲り受けた弓が握られている。


「なんだ貴様は」


 菖蒲の問いを無視して沙羅は続けた。


「おそらく龍神の牙が一人でに動けたのは、龍の宝珠の力の影響です。でも今、龍の宝珠は破壊されました。したがって、あなたの手の内にない限り、龍神の牙は脅威ではありません」


「っ……」


 菖蒲は忌々しげに沙羅を睨みつける。

 その時、葵の手に握られていた錫杖から赤い炎が上がった。炎は鳥の形を成すと、龍神の牙の方へ向く。


『少年たち、そして娘よ。よくやりました』

 

 炎、火の神はそう告げると、ばさりと翼を広げた。


『あとは私の仕事です』

 

 葵の腹に刺さっていた龍神の牙が、ゆっくりと引き抜かれた。どうやら火の神が動かしているらしい。


 龍神の牙は宙に浮いたまま、ゆっくりと火の神のもとへ引き寄せられるように移動する。目と鼻の先まで龍神の牙が近づいてくると、火の神は炎の翼でそれを覆い隠した。


「何をする!?」


 火の神へ駆け寄ろうとした菖蒲の前へ九尾が飛び出し、それを止める。


 そうこうする間に火の神は翼を再び広げると、龍神の牙を宙に解き放っていた。火の神の広げた炎の翼から、幾筋も帯のような形をした炎の糸が、解き放たれた龍神の牙へと伸びてゆく。それはやがて龍神の牙全体にからみついた。刹那、強い風で吹き払われたように炎が消え失せる。龍神の牙に絡みついていた炎の消えた後には、赤黒く焼けた鎖が顕れていた。

 皆がそれを呆然と眺めていると、火の神が厳かな声で告げた。


『龍神の牙は今一度私が封印しました。あとは、岩の奥底へ永遠に閉ざせば良いだけ。そのことはお前たちに任せましたよ』


 それから火の神は、龍神の牙に刺し貫かれ、傷口を押さえてぐったりしている葵の方を見据えた。


『少年。お前には感謝します。よくやってくれました。お前の怪我はすぐによくなるでしょう。何せ、私が一時的とはいえ加護を与えましたから。そして……おそらくお前が育ったという山の神の加護もお前を守ってくれることでしょう』


 葵は火の神に何か言おうと口を開きかけたが、声を出そうとしてお腹に力が入ったか、腹部に鈍痛が走り、結局何も言えなかった。「ありがとう」と、言いたかったのだが……。


「待て」


 そうして去ろうとした火の神に向かって、葵の代わりに声をあげたのは菖蒲だった。まだ諦めていないのか、彼女の瞳はギラギラと輝いている。


「これで終わりではない。私はまだ負けていない」


『女よ。お前の負けです。命までは取らずに置いてやるから、償いをしなさい』


「黙れっ」


 菖蒲は火の神に一喝すると、突然壊れたようにケタケタと笑い出した。

 皆が何事かと見つめる中、女は膝まずき天を見上げた。そして、腕を上げて右手の平を天に向かって広げる。

 重力により服の袖がずり下がり、彼女の白い細腕があらわになる。その腕には、黒い不思議な文様が刺青のように彫り込まれていた。


「何、あれ」


 沙羅が九尾の背の上で、不吉なものを見る

ように顔を蒼白にさせて呟いた。だが、誰もその問いに答える者はいない。こういうものに一番詳しそうな京介ですら、答えを持ち合わせていないようだった。


「いざというときのため前もって準備しておいてよかった。本当に使うことになるとは思いもしていなかったが」


 そう言った菖蒲の視線の先を見た葵は、彼女が今から何をしようとしているのかに気がついた。

 菖蒲の視線の先、それは鬼の国がおさまる岩の天井。天井部には、鬼の国が丸ごと入るほどの大きさの、五芒星の陣が浮かんでいた。


「あれは!」


 京介も気がついたのか、葵と共に顔を引きつらせる。


「な、何だよ、あれ」


 風神丸が葵の体を支えながら五芒星の陣を見上げた。


「何かめちゃくちゃ嫌な予感がするんだが……」


「あれは……五芒星の……陣……」


 傷口に走る痛みをこらえながら葵は言った。風神丸が「無理してしゃべるな」と顔をしかめる。代わりに京介が葵の言葉の続きを引き取った。


「紫紺の使う術だ。葵の故郷含め、紫紺に襲撃されたあやかしの里はあれでめちゃくちゃにされた。あれを落とされれば一貫の終わりだ。僕らも、鬼の国も、そして多分彼女も……」


「道連れにするつもりか」


 風神丸は息を飲んだ。それから、「なら止めないと」と術を展開する菖蒲へ向かって突進する。だが、それよりも術が展開する方が早かった。菖蒲は相変わらずケタケタと壊れたような笑い声をあげている。


「あはははははっっ。鬼の国は私の命と引き換えに滅んでもらう。紫紺様に約束したのだから、鬼の国は私が滅ぼすとっ!!」


 五芒星の陣が強烈な光を放った。

 葵はなすすべもなくその光景を眺める。あの日、御山が襲撃を受け、仲間が大勢死んだ、あの夜と同じ。自分は無力だ。

 

『させぬ。私はこの地の守護を預かる者だ』


 眩い光線が地面を今まさに舐め上げ破壊しようとする刹那、五芒星の陣の輝きに負けぬほど、鮮やかに力強く燃え上がる炎の翼を広げ、火の神が空へ舞い上がった。


『女よ、残念だったな。お前にこの国は壊せない』


 火の神が光線を抱きとめるように翼を広げた瞬間、そこから炎の幕が凄まじい勢いで広がった。炎の幕は鬼の国を丸ごと包み込み、正面から五芒星の光線を受け止める。

 赤い炎と金色の光が岩の天井部でぶつかり合い、目をまともに開けていられないほどの強烈な光が鬼の国を照らした。

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