第51話 解かれた封印

 


 葵たちが蕎麦屋にいる頃、鬼姫は葵たちと最初に面会した庵で、同じ鬼の一族の少女・よもぎと碁を打っていた。

 鬼姫が白、蓬が黒である。碁盤の上に整然と並ぶ碁石からは、鬼姫が若干優勢であることが見て取れる。だがその差は僅差で、いつひっくり返ってもおかしくはない。


「腕を上げたのう、蓬。」


 鬼姫が不敵に笑うと、蓬は「いえいえ。」と謙遜して首を横に振った。


「私などまだまだです。今回いい勝負なのはたまたまですよ。」


「そうかのう。」


 鬼姫は碁笥から白石を取り出し、パシリと小気味良い音を立てて盤上に置く。と、蓬が「あ、」と小さく声をあげた。


「むむむ、そう来ますか。」


「さあ、どう返す?それとも投了するか?」


「いえ!こんなところでは諦めませんよ!」


 よし、と気合を入れるためなのか、蓬は両頬をペシペシと両手のひらで打つ。

 その時、碁盤に置かれている碁石たちがかすかに震えだしたことに鬼姫は気がついた。


「む?」


 一瞬気のせいかとも思ったが、すぐにそれが気のせいではないことに気づく。


「どうしました?」


 眉を潜めて盤上を睨む鬼姫に、蓬は不思議そうに問うた。碁石が揺れていると言っても微細な揺れ。ほとんどの者はそれに気づかなくてもおかしくはない。


「嫌な予感がする……。」


 そう呟くと、鬼姫はいきなり立ち上がった。


「鬼姫様?」


「蓬、お主はここにおれ。妾はちと用事ができた。」


「え?」


 ぽかんとしている蓬を部屋に残し、鬼姫は庵から出る。

 渡り廊下を渡って塔内に入ると、鬼姫は着物の裾をたくし上げて階段を駆け下り始めた。すれ違うあやかしたちがびっくりした顔で鬼姫を目で追っては首をかしげる。

 塔の一階まで降りた鬼姫は、疲れをまったく感じさせない足取りで地下へ繋がる階段へ向かった。


 地下へ続く階段を降りると木の扉が現れる。扉を開け、鬼姫はつかつかとそこへ足を踏み入れた。内部は洞窟のようになっており、ゴツゴツした岩肌に松明がかけらている。しばらく行くと、今度は大きな鉄扉が目前に現れた。

 扉の前には屈強な鬼が二人、恐ろしげな金棒を持って門番を務めている。

 二人の鬼は鬼姫が現れたのに気づくと、驚いた表情を見せた。


「鬼姫様!?なぜここに?」


 その問いには答えず、鬼姫は扉のすぐそばまで来て言った。


「お主ら、気づかぬか?」


「何にでございますか?」


 鬼姫は、扉の向こうにあるものを見据えていた。

 扉の向こうにあるのは、龍神の牙。この地下室に何千年もの間、かの剣は封じられている。


「耳を澄ましてみよ。……牙が鳴いておる。」


 鬼姫の言葉に、門番の二人はさっと顔を青ざめさせた。


「牙って、まさか!」


「ああ、何かが牙を目覚めさせた。」


 その時、扉の向こうで鎖が弾け飛ぶような音が聞こえた。続いて何かが風を切って宙を舞う音、壁に激しくぶつかる金属音が聞こえてくる。

 二人の門番は警戒の色を顔に浮かべた。金棒を構えて鬼姫を守るかのように彼女の前へ出て扉を睨みつける。

 瞬間、中で何かが、おそらく剣が鉄扉に激突する音が響き渡った。金属と金属がぶつかった音が反響して、恐ろしく耳障りで不快な音がこだまする。

 その音に鬼姫が顔をしかめ思わず耳を塞ぎそうになった時、目の前の鉄扉が横一文字にバッサリと瓦解した。


「な!?」


 さすがの鬼姫も驚きのあまり目を剥いた。

 銀色に輝く諸刃の剣が、横一文字に斬られた鉄の塊の間から凄まじい速度で一直線に飛び出してくる。

 門番がとっさに鬼姫に抱きついて彼女を地面へ押し倒していなければ、今頃串刺しにされていただろう。だが剣はそれだけでは止まらない。

 狙いを外した剣は勢いを殺して回転すると、鬼姫をかばった門番とは別の門番へと標的を定める。と思った次の瞬間、目にも止まらない速さで宙を舞ったかと思うと、いつの間にか門番が斬り伏せられていた。

 肩から赤い血しぶきをあげて、門番は痛みに顔を歪めながら地面に倒れる。


「玄!」


 鬼姫をかばった方の門番が、名を呼びながら相棒の元へ駆け寄ろうとする。だがその門番も、銀色の輝きが一瞬煌めいた刹那に血しぶきをあげる。

 部下二人がやられ、鬼姫は人形のように可愛らしい顔立ちを怒りで歪めた。彼女の周囲に濃い妖気が立ち込める。だが、剣・龍神の牙は、容赦なく彼女にも襲いかかった。

 鬼姫は自分の胸元に赤い花が咲くのを見た。だがそれは錯覚で、自身の血しぶきだと気がつく。

 鬼姫を斬った龍神の牙は、鬼姫にとどめをささずにそのまま恐ろしい速度で飛んで行った。龍神の牙が向かった方向が、地上の一階部分につながる扉の方だということに気がつき、鬼姫は「やめよ!」と絶叫する。あとを追おうとするも、口から血ヘドを吐いて、受けた傷の痛みに耐えきれずに鬼姫は倒れた。胸元の傷からとめどなく血が溢れ、さらに剣に宿る退魔の力で体を蝕まれているのが嫌というほどわかる。


「止めねば。あれを、出してはならぬ。」


 鬼姫は痛みをこらえながら無理やり立ち上がった。壁に手をついて、頼りない足取りで地下からの出口へと向かった。



 


 その頃、鬼の国への入り口が隠された巨岩の前で、一人の女が立っていた。

 長い黒髪を肩に垂らし、唇には紅を差している。成熟した大人の色気を漂わせているが、同時に氷のような冷たさも漂わせた女だ。

 また、女のすぐそばには、手のひらにすっぽりと収まる大きさの透明な球体が浮かんでいた。球体は自ら淡い光を放っている。

 女は口元に微笑をたたえると、ぽつりと独り言をこぼした。


「おいで、龍神の牙。」

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