第52話 牙、襲来

 龍神の牙は、塔の一階に通ずる扉をぶち破って一階へと躍り出た。独りでに宙に浮く剣がいきなり飛び出してきたのを見て、あやかしたちは目を丸くする。そして、彼らが驚きの声を上げる間もなく、剣は動いていた。

 龍神の牙がきらめく銀の筋を残し、風のような速度で虚空そのものを斬るようにして動いた途端、あちこちから悲鳴と血しぶきが上がった。斬られたあやかしたちと、その周囲にいたあやかしたちは、あまりに一瞬の出来事に完全に気を取り乱した。そんなあやかしたちの間を縫うようにして、再び牙が飛びすさった途端、さらなる血しぶきと悲鳴が上がり、塔内はもはや完全に秩序を失った。皆龍神の牙から脱兎の如く逃げ出し、大勢が出口へ殺到する。怒声と悲鳴と泣き声が入り混じり、もはや阿鼻叫喚の有様だった。

 勇気あるあやかしが数人、手に武器を持ち、龍神の牙を攻撃しにかかったが、武器を振るう間もなく一瞬で斬り伏せられた。一人、どうにかその攻撃を交わした者もいたが、先の読めない奇抜な動きをする龍神の牙の姿を捉えきれず、結局は斬り伏せられた。

 塔から雪崩のごとく外へ逃げ出したあやかしたちの頭上を、ジグザグとした動きで牙は飛んで行く。

 外にいたあやかしたちも何事かと目を丸くし、頭上を飛んで行く奇妙な諸刃の剣を指差して、口々になんだアレはと叫んだ。

 牙はそんな群衆の群れへ突っ込んでいった。そばにいるあやかしたちを片端から回転して斬りつけ、あるいは突き刺し、あるいは袈裟斬りにし、さらに逆袈裟、右薙ぎ、左薙ぎ、右斬り上げ、左斬り上げ、逆風、唐竹……。

 龍神の牙が通り過ぎた場所は、負傷しうずくまるあやかしと、死体、血溜まりで埋まり、ここは地獄かと錯覚する有様となった。





「なんか騒がしくないか?」


 蕎麦を食べ終わり、箸を置いた葵は、外からかすかに聞こえてくる群衆の騒ぎ声を耳にして呟いた。


「どうせ喧嘩でもやってるんだろ。」


 いつものことだ、と風神丸はのんきに頬杖をつく。


「その割には悲鳴も聞こえるような。」


「喧嘩が白熱して、野次馬が叫んでるんだろう。」


 九尾も風神丸の言葉には同意したのか頷いた。


「あやかしってのは人間以上に血気盛んなのが多いからな。そりゃあこんだけあやかしが密集して暮らしてりゃあ、喧嘩の一つや二つ起こるだろう。ここにきてからそうした喧嘩なら何回も見たぞ。」


 そう言われればそうなのだが、葵は何か嫌なものを感じていた。喧嘩を取り囲んで野次馬たちがやあやあ騒ぐのは、御山でも珍しいことではなかったし、ここに来てからも見た事はある。だが、今かすかに聞こえてくる騒ぎ声からは、喧嘩を見物しているようなのんきさは感じ取れない気がする。それに奇妙な事に、どんどんその声が近づいてきているようなのだ。もしかしたら喧嘩をしている当人たちが移動しながら争っているのかもしれないが……。

 葵たちと同様店内にいたあやかしたちも、騒ぎ声が近づいてきたのにウズウズしたのか、「喧嘩か喧嘩か!?」と蕎麦の入った腕を持ったまま店の外へと何人か飛び出していった。


「俺も見てくる。」


 葵もそのあとに続こうと、席を立ち上がった。


「待って、私も行く。」


 出入り口へ向かう葵の後ろから沙羅もついてきた。振り返ってみると、どうも

沙羅だけでなく残りの三人もついてきたようだ。

 店の外へ出ると、先に出ていたあやかしたち、あるいは通りを歩いていたらしいあやかしたちが、一様に足を止めて同じ方向を向いていた。葵もそちらの方へ目を向ける。その時、耳をつんざくような悲鳴がこだました。

 何が起こっているのかと葵が身構えた瞬間、すぐ隣にいた人型のあやかしがいきなりくぐもった声を上げ地面にうずくまった。


「おい、どうした?」


 葵が駆け寄ると、あやかしは痛みに顔をしかめながら「急に、肩を斬られた。」と吐き出すようにして言った。左肩にあてがった彼の右手の指の間からは、たしかに血が流れている。


「急にって……。」


 一体誰に斬られたんだと葵が困惑していると、後ろにいた京介が「伏せろ!」と叫びながら葵を突き飛ばした。


「どわっ。」


 体勢を崩して無様に倒れた葵の頭上を、何かが銀色の残像を残しながら飛んで行く。それはほんの一瞬のことだったが、葵は確かにその銀色の何かが剣の形をしていたのを目に捉えていた。


「剣!?」


 その剣は恐ろしい速度を保ちつつ、めちゃくちゃな動きで宙を飛び回っていた。通りにいたあやかしたちが次々とその剣に斬られ、地面にうずくまり、あるいは倒れる。斬られなかった者はそれを見て悲鳴をあげ、我先にと剣から逃げ出した。しかし、あやかしたちが逃げるよりも剣の動きのほうが何段階も早い。逃げ惑うあやかしたちをあざ笑うかのように、剣は追いかけ、次々とあやかしたちを斬ってゆく。悲鳴、赤い血、舞い飛ぶ銀の刃。それはさながら死の舞踊を見ているかのようだった。

 倒れたままの姿勢で呆然とその光景を見ているだけの葵を、誰かが乱暴に揺すった。

 我に帰り、葵は弾かれるように立ち上がる。振り返ると京介がいて、彼は「早く!」と葵の手首を掴みあげ、蕎麦屋の入り口へと駆け込んだ。

 京介と葵が店内に入ると、同じ客らしいあやかしがぴしゃりと入り口の戸を閉めた。

 店内を見回すと、剣の猛威から避難してきたらしいあやかしたちが大勢いた。皆恐怖と不安に染まった面持ちを突き合わせ、剣に居場所がばれると思っているのか、ひそひそ声で自分のそばのあやかしと話している。


「ねえ、あれ何だったの?」


 あやかしたちと同様怯えた顔をした沙羅が、葵と京介に尋ねてきた。


「剣だよ。」


 ごく単純に葵は答えたが、沙羅が知りたいのはそういうことではないことはわかっていた。案の定、葵の返答に沙羅は首を横にふる。


「違うわ。それはわかってる。でも、一人でに動いて人を斬る剣なんて聞いたことない。一体何なのよあれは?」


 葵には答えようもなかった。むしろ教えて欲しいくらいだ。その時、座敷に腰を下ろしていた風神丸がポツリと声を上げた。あまり大きな声ではなかったが、思いの外彼の声は店内に響いた。


「あれは、龍神の牙だ。」

 

その言葉に、葵たちだけでなく店内のあやかしたちもどよめいた。皆信じられないといった様子で、口々に喋り始める。


「龍神の牙だと?」

「あれは封印されてるんじゃなかったっけ?」

「封印が解けたってことじゃないかい。」

「でもどうして?誰が解いたんだ?」

「わからん……。」

「なぜだ…。」


 あやかしたちのささやき声を背に、葵は思わず風神丸に掴みかかっていた。


「おい、本当なのか?さっきの剣が龍神の牙って。」


 風神丸は、彼に似合わぬ真剣な表情を顔に浮かべて、ゆっくりと頷いた。


「そうだ。間違いない。俺は昔、兄貴と一緒に鬼姫に連れられて、封じられている龍神の牙を見たことがある。見たのはそれっきりだが、どんな剣だったかよく覚えている。宙を飛び回っていたあの剣は、地下で見た龍神の牙とそっくり同じだった。」


 風神丸の返答を聞くや否や、葵は無言で店の出入り口の方へ向かった。ぎょっとした風神丸が慌てて止めに入る。


「おい、何のつもりだ。」


「何って。決まってるだろ。あの剣の暴走を止める。」


「無茶言うなよ。さっきの見ただろ?わけわかんないうちに斬り刻まれて死ぬだけだ。」


「やってみなくちゃわからない。」


 ぶっきらぼうに言い放つと、葵は風神丸の手を振りほどいた。


「沙羅が、いや、俺たちは鬼姫に言ったんだ。この場所と剣を守るって。敵の手に渡らないように守るはずだった龍神の牙が、何で勝手に動いているのかは分かんねえけど、これ以上あやかしたちが傷ついているのを見てられない。だから俺は行く。」


「待った。」


 踵を返して戸に手をかけた葵の背に、風神丸ではない別の声が降りかかった。


「僕も行くよ。」


 振り返ると、呆れたような困ったような顔をした京介が立っていた。


「本当はこんな危険なことしたくないけど、いくらなんでも葵一人を行かせるわけにはいかない。一人で行かせたら多分君は死ぬ。そんなことになったら、後で骨を拾いに行かなくちゃならない。それは面倒だ。」


「骨くらいは拾ってくれよ……。」


 葵は思わず仏頂面になったが、内心頼もしくもあった。京介がちゃんと戦っているのを見たのは最初に出会った時だけだったが、おそらく彼が強いであろうことはその時の戦いから葵は確信していた。だが頼もしく思ったのは強さだけではない。死んだら骨を拾うのが面倒だなんだと減らず口を叩いてはいるが、おそらくはただ葵を心配してのことなのだろう。葵は京介とはまだ友と言えるほど完全に打ち解けているわけではなかったが、仲間とは思っている。葵の意思を尊重し、止める代わりに一緒に行くと言ってくれた京介が、純粋に仲間として嬉しかったのだ。だがあからさまに喜んだらからかわれそうなので、葵は照れ隠しにふんと笑った。


「逆に俺の足引っ張るなよ、京介。」


「それはこっちのセリフ。」


 互いに憎まれ口を叩き合いながら店を出ようとする二人の少年に、さっきから何か物言いたげだった沙羅が「あの!」と叫んだ。

 驚いてこちらを見た二人に、沙羅は言う。


「私も行きたい。でも、私が行っても多分足手まといになる。でも何もしないでいるのは嫌。ここを守るって言い出したのは私なのに。」


 今にも泣きそうな顔で沙羅が言ったので、葵は少し面食らった。沙羅は気丈な娘で、滅多に泣くような感じの女の子ではない。さっき京介に向けて放った「足引っ張るなよ」という言葉が、沙羅を知らぬ間に傷つけていたのではないかと葵は戸惑った。昔からそうだったが、女の子の泣き顔を前にするとどうすればいいのかわからなくて、葵はひどく戸惑ってしまうのだ。しかし、葵が沙羅に何か言う前に、沙羅の隣に控えていた九尾が声を上げていた。


「なんだ、分かっているではないか。てっきり身の程もわきまえずに自分も行くと言って聞かないと思っていたのに。」


 泣き顔から一転、沙羅はムッとした顔で九尾を睨みつける。九尾は沙羅が泣こうが怒ろうが関係ないようで、すました顔で言葉を続けた。


「だから代わりに俺が行ってやろう。俺からすれば、お前ら二人いても死にそうな気がするぞ。」


 意外な申し出に葵は目を丸くした。九尾は会ってからというものの、あやかしだからか、微妙に葵や京介と距離を置いている様子だったので、意外だったのだ。それは沙羅も少し意外だったようで、キョトンとした。


「あなた、私以外の人間のことも心配できるようになったのね。」


「なんだその言い草。」


「だって九尾、今まで私以外の人間に対してはすごく攻撃的というか、トゲトゲしていたもの。」


 沙羅の言葉に軽く鼻を鳴らすと、九尾は答えずに「おい」と風神丸に声を投げかけた。


「お前は沙羅を守れ。そばを離れるなよ。あと、ババアの様子を見てこい。」


 それだけ言い残すと、九尾は店の戸をカラリと開けて外へ出た。葵と京介も慌ててそのあとへと続いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る