第49話 葵と風神丸


 鬼の国に来てから早十日経とうとしていた。この十日の間、特に異変が起こるわけでもなく、葵たちは各々が自由に過ごしていた。

 九尾は時折鬼姫と話していたり、鬼の国をウロウロしたりと、基本的にはごろごろと過ごしている。一方それとは対照的に、京介は鬼姫から宵の塔内にある書庫の使用許可をもらい、毎日書庫へ通っては小難しげな顔をして古今東西あらゆる書物を読み漁っている。沙羅は、武器屋から譲り受けた弓で熱心に弓矢の練習に励んでいるようだった。葵は時折沙羅の練習に付き合いつつ、自身の体もなまらないように一人鍛錬に勤しむ毎日。時折風神丸に連れられて繁華街へ出かけることもあったが、生来葵の気質は風神丸のような遊び人というわけでもないのですぐに飽きてしまい、結局鬼姫に使わせてもらっている武道場に閉じこもっていた。


 今日も葵は、眼前に討つべき紫紺の顔、または彼の仲間を想像で浮かべては、満腔の怒りを込めて錫杖を振るっていた。と、そこへ、のんびりとした風神丸の声が投げかけられる。


「毎日稽古とは、精が出るねえ。」


「風神丸……。」


 錫杖を振るう手を止め、葵は少し拍子抜けした声をあげた。


「今日は街へ遊びに行ってなかったのか。」


「別に俺だって毎日遊びほうけてるわけじゃないさ。」


 肩をすくめながら風神丸は笑う。


「それより、稽古を中断させてすまない。」


「それは別に構わないが。」


 と言いながらも、葵はいつから風神丸に稽古を見られていたのだろうかと気になっていた。あんまり無様な稽古風景を見せていなかったか記憶を反芻する。


「そういえば、一つ気になることがあるんだけど、聞いてもいい?」


 風神丸に言われ、なんだろうと思いつつも葵は頷く。すると風神丸はちょっとだけ申し訳なさそうに頰をかいた。


「君が稽古してるの、実は今日だけじゃなくて、今までも何回か見てたことがあったんだよね。盗み見てるようで悪いけど、ちょっとした好奇心で、ね。」


「ああ、それで?」


「それで気づいたんだけど、葵は天狗の術が使えるの?」


「うん。」


 あっさり認めた葵に、風神丸は「へえ!」と目を輝かせる。


「人間で天狗の術を扱えるとは、さては天狗に弟子入りしてたな?」


「弟子入り?いや、別にそういうわけじゃねえけど。」


 そういえば言ってなかったか、とつぶやいてから、特に隠す理由もないので葵は告げる。


「俺は赤ん坊の頃山に捨てられてたらしくてな。そこを天狗に拾われて、ついこの間までずっと天狗たちと暮らしてきたんだよ。その時に、天狗の術をしこたま叩き込まれてる。」


「天狗に育てられた?それはまた珍しい境遇だな。いや、そうでもないのか?」


 自分で言っておきながら風神丸は小首を傾げる。


「天狗が人間の子供を攫うか拾うかして、弟子にして術を教えるのはよくある話だ。いやでも実際なかなかいないし……。うん、やっぱりお前珍しい奴だな。」


 わはははと豪快に笑いながら、風神丸は葵の肩をポンポンと叩く。

 何でそんなに笑うのかよくわからなかったが、葵も風神丸の調子につられて一緒に笑う。それからふと風神丸は真面目な顔つきになると、遠い目をして言った。


「そういえば、小さい頃に一度天狗に会ったことがあったな。」


「天狗に?」


「ああ。見聞を広めるために、山を降りて国中を旅していたらしくてな。その道中ここに寄ったとかで、鬼姫とも会ってた。」


「へえ。」


 天狗は生まれ育った山を下りることはほとんどないが、別に禁じられているわけではない。だから稀に山を降りていく天狗もいる。昔の椿丸みたいに、見聞を広めるために各地を旅していた天狗がいたのかと、風神丸の話に葵は少し興味を持った。

 風神丸は葵が興味を示してくれたのが嬉しいのか、話を続けてくれた。


「その天狗は、鬼姫にえらく気に入られてさ。まあ、男っぷりも良かったからな。それに、いろんなことを知っていた。小さかった俺は、その天狗が鬼の国に滞在している間、よく旅の話を聞かせてくれとせがんだものだよ。あったかくて、太陽みたいな良い天狗だったな。」


「そっか。俺を拾って育ててくれた天狗も、そんなだったよ。」


 葵は、もうすっかり遠い日の出来事のように感じるようになってしまった思い

出を振り返った。。思い出せば辛くなるから、今まで意図的に考えないように避けてきたのだが、不思議と、今は穏やかな気持ちで考えることができた。


「その天狗はどこの山の天狗だったのかな?」


「さあ。そこまでは知らないけど、名前は確か……。そう、椿丸だ。」


 その言葉に、その名前に、葵はハッとする。


「その天狗だよ。俺を拾ってくれたのは。」


「え」


 葵自身、風神丸が会ったという天狗が椿丸だったという事実に驚いたが、風神丸も驚いているようだった。


「おお、そりゃあすごい偶然だ!それで、椿丸さんは今どうしてるんだ?会ってから百年くらいは経ってるから、もうさすがに山に帰ってるかな?」


 その言葉に葵は表情を曇らせる。


「椿丸は……。死んだよ。」


「死んだ?寿命……か?でもそんな年じゃなかった気が。」


「殺された。」


 乾いた声で葵は言った。


「鬼姫に話していただろ。あやかしを根絶やしにしようとしてる陰陽師がいるって。そいつが、つい一月前御山を襲撃してきて、そのときに殺されたんだ。紫紺に。」


 椿丸の体が無数の黒い帯のようなものに貫かれている光景が、葵の脳裏に浮かぶ。目に焼き付いて離れない、忌まわしい光景。

 風神丸はしばらく固まっていたが、やがてゆっくりと口を開き、「そうか。」とだけ言った。


「悪いな。いやなこと思い出させちまって。」


「いや、いいよ。謝ることない。」


 なんとなく空気が重たくなり、葵は所在なげに手に持つ錫杖を見下ろす。


「なあ、葵。」


 空気を変えようとしてか、風神丸が明るい声で言った。


「もし良かったらだけど、久々に街にでも行かないか?他のみんなも誘ってさ。無理にとは言わねえよ。稽古の最中だし。」


 他のみんな、おそらく沙羅や京介たちのことだろう。

 これ以上稽古を続ける気分にもなれなかったので、葵は「いや、行くよ。」と風神丸の申し出を了承した。少し暗くなった気持ちを晴らすのにはちょうどいいだろう。

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