第48話 昔語り



 夜の時刻を告げる鐘の音が鬼の国に響き渡るのを、人の姿に化けた九尾は宵の塔内であてがわれた部屋で寝転がりながら聞いていた。


 葵達と別れた後、九尾はそのへんの空室で居眠りをしていたのだが、しばらくすると鬼姫の計らいか、下っ端のあやかしが今いるこの部屋まで案内してくれたのだ。そこでまたウトウトしては眠ることを繰り返していたら、いつの間にか夜になっていた。と言っても、鬼の国は大岩の中をくり抜いた場所にあるから日の光など差さない。よって今がいつ頃なのかさっぱりわからなかったが、時刻を告げているらしき鐘の音と、己の腹の空き具合できっと夜だろうと九尾は判断した。


 それにしてもお腹が空いた。考えてみれば朝焼き米を食べて以来何も口にしてない。あの朝ごはんの量では、実質食べていないも同然である。鬼姫は食事と眠る場所は用意してやると言っていたから、そろそろ夕餉を運んできてほしいものだ。そんなことを考えながら、九尾は仰向けにひっくり返って天井に広がる木目を見つめる。


 もちろん晩御飯のことだけではなく、沙羅のことにも考えを巡らせていた。九尾はあまり人を信用するような質ではないが、不思議と葵のことは信用に足る人物だと思えている。だから沙羅の相手を葵に任せ、今まで安心して居眠りできたというものだ。沙羅は危なっかしいところのある娘だから、今まで九尾は沙羅のそばを離れたことはほとんどない。他に沙羅のことを安心して任せられる相手ができたためか、九尾は少し肩の荷が下りた気持ちだった。


 九尾は木目を見つめ続けるのにも飽きると、ゴロンと寝返り打った。その時、誰かがこの部屋に向かってくる足音が聞こえてきた。やっと夕餉のお出ましか、と九尾は床から起き上がる。しかし飯のにおいがしてこない。鼻の良い九尾はそれに少し顔をしかめる。


 果たして、部屋に入ってきたのは下っ端のあやかしではなく、鬼姫だった。


「おいババア、飯は?」


 部屋に入るなり九尾に開口一番そんなことを言われ、鬼姫はあからさまに眉を吊り上げた。


「なんじゃその口の利き方は。ババアババアとうるさいやつじゃ。他のやつならぶった斬るところじゃぞ。」


「飯はまだか?」


「おい人の話を聞けよ。どんだけ腹減っとるのじゃ」


「じゃあ何しに来た?」


 飯を持ってきてないなら来るなと言わんばかりの九尾の物言いに、鬼姫はふん、と鼻をならす。


「お主、相変わらずじゃな。封じられて少しは大人しくなったかと思えば……」


「そう簡単に性根が変わるものかよ」


 九尾は寝て乱れていた着物の裾を直しながら、あぐらをかいて座る。それから尊大な目つきで鬼姫を見遣った。


「で、なんだ。おしゃべりでもしに来たのか」


 その問いかけに、鬼姫は「まあ、そんなところじゃの」とあっさり認めると畳の上に腰を下ろした。相変わらず右手には煙管が握られており、時折口にあてがっては、ぷかりぷかりと白い煙を生み出している。


「妾はずうっと、お主は封印されておると思っておった。それがほれ、こうして相変わらず他人を舐め腐った顔をしたお主がひょっこり現れた。どうしたことかと、聞きたくなるも当然であろう。今朝は、お主の連れの人の子の相手をしていたから、ゆっくりと話すこともできんかったしの」


「だから改めて話をしに来た、か」


「話をしに来た何ぞと、そんな御大層なもんではない。積もる話もあるじゃろうて、ほんの雑談と洒落込もうと思い参ったまでよ」


 そう告げると、鬼姫は幼い顔立ちに似つかわしくない笑みを浮かべた。


「それで?何がどうなって、お主は人間と一緒におるのじゃ?」


「話さないといけないか?」


「当然じゃ。でないと飯を持ってこさせぬぞ」


 人形のように可愛らしい顔に人の悪そうな笑みを浮かべて、鬼姫はさも可笑しそうに煙管を吸ってできた煙を九尾の顔へ吹きかける。

 顔にかかる煙を鬱陶しく振り払うと、九尾は「わかったわかった」と堪忍したように言った。


「正確に言うと、俺はあいつらとじゃなく、沙羅と行動を共にしている。沙羅があいつらと一緒に行くと言ったから、俺はそれに従っているまでだ」


「沙羅。あの気の強そうな娘じゃな。何故行動を共に?」


「恩がある」


「封印でも解いてもらったか?」


「違う」


 そう言うと、九尾はどこか遠くを見るような目をした。


「ばあさんも知っているとは思うが、俺は昔乱心して、国中を荒らしまわっていた。そしてやがて高名な術者に敗れ、石の中に封印された。その後、術者の子孫が何代にもわたり、守り役として俺の封じられている石を鎮めてきた。その術者の子孫が沙羅だ」


「ほう」


 鬼姫は目を大きく開いて、九尾の話に興味深そうに耳を傾ける。


「術者の子孫で、特に強い霊力を持つ女子は巫女となる。もちろん沙羅も例外じゃない。あいつは幼い頃より巫女になるべく育てられ巫女となり、同時に先祖たちが代々担ってきた石の守り役となった。だがその頃にはもう、俺を封じていた力は随分と弱まっていた。封じられた状態で、俺が人間の心へ干渉できるくらいにはな。それで俺はあいつの心の弱味へつけ込んで、徐々に鎮める力を弱まらせ……」


「封印を破ったと」


 九尾の言葉を引き継いで、鬼姫がその先を言った。


「人の心につけ込むとは、お主もとんだ悪いやつじゃ」


「なんとでも言え。とにかく、そうして俺は封印を解いて、ようやく狭い石の中から出ることができた。だが、その時俺はまだ乱心の途中でな、四百年前の、つまり封印される前の続きをやろうとしたのさ。目に映るもの全てを八つ裂きにして、壊そうとしていた。怒りと憎しみに支配されて……。そんな俺を正気に戻してくれたのが沙羅だった。それだけじゃない。あいつは、正気を取り戻して大人しくなった俺を、今が好機とばかりに殺そうとしてきた一族の者や村人たちからかばった。それが原因で、結局あいつは里から追放されたがな」


「なるほど、それでお主は責任を感じてあの娘と一緒におるのか。お主そんな優しいやつだったかの」


 鬼姫の問いに、九尾は「さあ、どうだったかな」と小さく笑う。


「最初はほっとくつもりだったんだが、危なっかしすぎて見てられなくてな。何だかんだ一緒にいるようになった」


 九尾がそこで一旦言葉を切ると、「さて」と話題を切り替えた。


「話すもんは話したぞ。飯」


「結局飯か。」


 呆れたように鬼姫は言う。


「だがその前にもう一つ」


「まだあるのか。」


 嫌そうな顔をした九尾だったが、鬼姫の次の言葉に表情を曇らせた。


「お主、四百年前の乱心の原因は結局何だったのじゃ」


「……」


 沈黙した九尾に鬼姫は少し表情を和らげる。


「すまぬ。話したくないなら話さんでも良いぞ」


「わからん」


「む?」


 唐突な言葉に鬼姫は小首を傾げた。


「わからぬ?」


 九尾は気が抜けたように、畳の上にひっくり返った。


「わからんのだ。何にあんなに怒り、憎んでいたのか。いや、何に怒ってもいなかったのかもしれん。まるで……」


 天井に広がる木目を、九尾は眉間にしわを寄せて睨み上げる。


「まるで何じゃ」


 しびれを切らしたように鬼姫が続きを促したので、九尾は硬い口調で呟くように続きを言った。


「まるで、感情を無理やり植え付けられたようだったと、今は思う」

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