第42話 鬼の国


 急に明るい場所へ出たので、葵はしばらく眩しさに目がくらんで何も見えなかった。次第に目が慣れてくるにつれ、鬼の国が葵の目の前にその全容を現す。


「これが鬼の国……」


 思わずそう声を漏らしたほど、鬼の国は葵がここまでの旅で見てきた景色の中で、最も印象深いものだった。

 

今葵たちの前に広がる赤い提灯に照らされた街は、どうやら巨岩の中をくり抜いた中に形成されているようだった。巨岩の内部の壁には、螺旋階段のように長いひと続きの回廊が天井付近にまで巡らされ、そこに壁に張り付くようにして大小様々な建造物が軒を連ねている。さらに移動時間の短縮のためか、階ごとに向かい合う回廊同士を結びつけ合ういくつもの長い橋が、縦横無尽に中空を横切っている。

 

今葵たちの立つ場所は回廊の一角だったので、下に広がる街も上から眺めることができた。

街は、鬼火を灯された赤い提灯に彩られていた。岩の中で日の光も射さぬというのに、その提灯に照らされ、街はお祭りの夜のようにキラキラと輝いて見える。所狭しと立派な瓦葺きの屋根が連なり、その間を行く筋もの通りが貫いている。そして最奥部には、天井にまで届けとばかりに五重塔のような形をした巨大な建造物が、螺旋回廊の道を途中で遮って、壁に張り付くようにして屹立していた。


「あの奥の建物が、鬼姫のいるところだ」


 葵の目線に気づいたのか、風神丸は最奥部の巨大な建物を指差した。


「俺たちは宵の塔と呼んでる」


「随分と御大層なのを建てたものだな」


 九尾が半分呆れたような、半分驚いたような声をあげた。


「俺が前来た時は、もっと建物も少なかったし、町や国というより村だったが。知らぬ間にこんなに発展していたとは」


 九尾の言葉に、風神丸は得意げに言う。


「ああ。今じゃあ鬼の国は、あやかし界隈きっての大歓楽街。あやかしの商人や芸人も集まるから、毎日がお祭り騒ぎよ。あやかしが集まるに連れて街の領域を広めようと、さらに地下を掘り、岩が接する山肌も掘り進めようって話が出てる。もちろん火の神のお膝元だから、ちゃんと鬼姫が神にお伺いを立ててからだけどな」


「へえ」


 風神丸の話に目を丸くしながら、葵は回廊に備え付けられている木の柵に手をかけて身を乗り出した。今でも十分に発展しているように思えるが、さらに街を大きくしようとしているのかと、葵は驚きが隠せない。

 街のあちこちを人外のあやかしたちが騒ぎ立てながら闊歩し、どこからか祭囃子のような太鼓をたたく音も聞こえて来る。風神丸の言った通り、まるで年中お祭り騒ぎをやっているような場所である。



「ああ、そうだ。忘れるところだった。ちょっと皆さん」


 風神丸に呼ばれ、葵は木の柵から顔を引っ込めて風神丸の方を向く。

 見ると、風神丸の手には黒地に赤い炎の刺繍が入ったたすきが3枚握られていた。


「それはなんですか?」


 京介が尋ねると、風神丸は「はい。これを腕に巻いて」と葵、京介、沙羅へたすきを渡してきた。


「このたすきは、鬼姫の客人であるという証みたいなもんさ。別にあやかしだったらつけなくてもいいんだけど、人間はこれをしとかないと、捕って食われるかもしれないからね」


「食われる……」


 沙羅が少し青ざめた顔でつぶやいた。

 それを見て風神丸は「みんながみんな、人間を喰う訳じゃないけどね」と安心させるように言った。

「もちろん、俺や鬼姫は食わないさ。でも、中には人を喰うようなやつも鬼の国にはいる。でも、そんな奴らも鬼姫の息がかかってる人間には手を出さない。だから絶対、そのたすきを見える場所にくくりつけておいてね」


 風神丸に言われた通り、葵たちは腕にしっかりとたすきをくくりつけた。風神丸はそれを確認すると、「それじゃあ、まずは鬼姫のところへ行こうか」と高らかに宣言した。



 葵たちは風神丸の後に続いて、宵の塔までまっすぐに伸びている橋へ向かった。

 橋を渡る途中、すれ違うあやかしたちに物珍しげな視線を投げかけられた。だが、皆葵たちの腕に巻かれたたすきを見ると、どこか納得のいった顔をして特に声をかけられることはなかった。


「なあ、ここには人間がよく来たりするのか?こういうたすきがあるってことは」

 

 葵が前を歩く風神丸に尋ねると、彼は「いいや」と首を振った。


「そのたすきは、昔の名残だよ。今でこそここには、鬼以外のあやかしもたくさんいるけど、昔はそうじゃなかった。昔は鬼の一族しか住んでなかったから、他種族のあやかしが入ると何かと警戒されてね。そこで、鬼姫が他のあやかしを招く時は、そのあやかしに、鬼姫の客人であることを示すこのたすきを手渡してたのさ。双方にいらぬ警戒を持たせないようにね」


「言われてみれば、前にここに来た時、たすきを渡された気がする」


 葵の斜め後ろを歩いていた九尾が、会話を聞いていたのか口を挟んできた。


「俺が来た時は、鬼しかいなかったからな」


「へえ、そんな昔なんだな。お前がここに来たのって」


 確かにここに来たのは何百年か前と言っていたなと、九尾の話を思い出しながら葵は言う。一方風神丸は少し目を丸くした。


「さっきちらっと前来た時は、って言ってたけど、そんなに前だったのか。でもその話じゃあだいぶ昔みたいだな。多分俺もまだ生まれてないよ」


 それから風神丸は、葵の腕に括られたたすきをビッと指差して話を元に戻す。


「とにかく、たすきは今はもうそういうのには使われていない。つけているのは、鬼姫の身辺の警護や世話をしている連中だけさ。そういうわけで、君たちにそのたすきをつけておけば、鬼姫の息のかかったやつだってことがみんなにもわかるから、食われるようなことはないってこと。人間もいることを話すと、鬼姫がそう言ってたすきを渡してくれたのさ」


「へえ。鬼姫さんって気が効くのね」


 いつの間に話を聞いていたのか、沙羅や京介も会話に混じってきた。


「どんな人、じゃなかった。どんな鬼なのか今から気になるわ」


「想像ではおっかない鬼のおばあさんて感じだったけど、話を聞いてると案外そうでもないのかな」


「優しいおばあちゃんみたいな感じだと、緊張しなくて済むんだけど」


 沙羅と京介の言葉に、九尾と風神丸は揃って微妙そうな顔をした。


「すごい怖い鬼ではないけど、絶対に本人の前でおばあさんて言ったらだめだぞ。あと鬼ババアなんてもってのほかだ」


 風神丸が渋い顔をして一同に忠告する。最後の言葉はたぶん九尾に向けられたものだ。


「絶対に、鬼姫、もしくは鬼姫様と呼ぶんだ。いいな。まあ、会ったら絶対ばあさんなんて言わないとは思うけど」


「それはわかったけど、結局どんなお方なの?」


 沙羅が口を尖らせて聞くと、九尾が隣で愉快そうに笑った。


「会えばわかるさ。会えばな」

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