第43話 鬼姫

 宵の塔に到着した葵たちは、渡ってきた橋が接続されている塔の五階にあたる場所から内部へ入った。

 外側にも五重塔のように何重にもなった屋根の軒先に、赤い提灯が吊られていたが、内側にも同様にして赤い提灯が灯されている。

 内部は吹き抜けになっており、葵が上を見上げると、はるか頭上の天井まで見通すことができた。その天井部分にまで、上階へと続く長い長い階段が四角形の壁に沿って伸びている。

風神丸は、葵達を連れてその階段を上り始めた。


「鬼姫は塔の最上階にいる」


 風神丸に言われた葵はもう一度天井を見上げた。あそこまでこの階段を上っていくのかと少しうんざりした。だがそれも致し方なしと、覚悟を決めて階段を一歩一歩登り始める。


 途中何度か忙しそうに動き回るあやかしたちとすれ違いながら、ようやく最上階までたどり着くと、目の前に大きな襖が現れた。


 襖を開けた先は外に面した渡り廊下だった。どうやら、塔の最上階が接している岩壁に奥行きのある穴を掘って、そこに渡り廊下を取り付けているらしい。渡り廊下は穴の奥深くまで伸びている。穴の中は、左右の岩壁に取り付けられた赤い提灯で薄暗く照らされていたので、視界に困ることはなかった。


 幾つかの角を曲がりながら奥へ進むと、こじんまりした庵のような建物が見えてきた。どうやらそこが鬼姫の居室のようだ。


 風神丸が皆を連れて庵の前に立つと、「鬼姫」と中にいるはずの鬼姫に声をかけた。


「連れてきた」


 少し間を置いてから、建物の中から「あい分かった。入りなされ」と、少女のような声が答えた。


 葵はその声を聞いて(あれ?)と思った。てっきり老婆のしわがれ声が聞こえると思ったのだが。


 風神丸はカラリと庵の戸を開けると、葵達を先に庵の中へ通してくれた。

 庵の中は座敷になっていた。床の間に虎が描かれた掛け軸があり、違い棚には品の良い調度品が置かれている。さらに不思議なことに、障子が開け放たれた丸窓からは美しい庭園を見ることができた。咲いた桜の花びらが、明るい日差しと共に丸窓から庵内に入りこんできている。ここは岩の中。日の光など差し込まないし、美しい庭園などあるはずもないのに。


「久しいな。九尾」

 その声で、葵は初めて庵の中にいる人物に気がついた。それは沙羅や京介も同じだったようで、九尾だけが座敷の中の不思議な光景に気をとられずに、その人物をまっすぐに見据えていた。


 庵の主は、床の間の前でゆったりと脇息に腕をかけ、優雅に煙管を吹かしていた。黒い打掛を羽織った、まだ十三かそこらの少女の姿で。


「てっきり、まだ石に封じられておると思っておったのに」


 少女は外見に似つかわしくない笑みを浮かべると、そばに置いてあった火鉢の縁へ煙管を打ち付けた。カン、と音が響いて、煙管に詰まった灰が落ちる。


「一体いつ出てきたのじゃ」


「一年くらい前だ」


 問いに答えると、九尾は勝手に少女の前へあぐらを掻いて座った。


「ばあさんこそ、まだ権力を振りかざしているとは驚きだ」


「ばあさんと呼ぶな。本来ならぶった斬っておるところじゃぞ。妾のことは鬼姫と呼べと、昔から言うておるというに」


(この女の子が鬼姫)


 葵はどう見ても子供にしか見えない少女を、失礼とは知りながらもしげしげと見つめてしまった。背中の真ん中あたりまで伸ばされた黒髪は、まっすぐ切り揃えられており、頭からは鬼の角が二本はえている。目は深い黒色で、その目と髪の色と対照的に肌は雪のように白い。黙って座っていれば等身大の人形と間違えそうな出で立ちの少女である。


 葵の視線に気づいたのか、鬼姫が不意にこちらへ視線を向けてきた。


「そこの人の子らがお主の連れか。そう畏まらなくとも良いから、さあ、ここへ座れ」


 鬼姫に九尾の隣を示され、葵、京介、沙羅の三人も鬼姫の前へ正座して座った。


 その背後で控えていた風神丸は、「じゃあ俺はここで。また後でな」と言うと、戸を閉めて庵の外へ出て行ってしまった。


 鬼姫は風神丸が去ったのを見届けると、「自己紹介がまだであったな」と言って居住まいを正した。


「妾がこの鬼の国を取り仕切る鬼姫じゃ。九尾とは旧知の仲でのう、昔はよく一緒に悪さをしたものじゃ。して、お主らは?」


 鬼姫に自己紹介を促されて、一番最初に声をあげたのは京介だった。ピンと背筋を伸ばして頭を下げると、「京介と申します。お初にお目にかかれて光栄です」と礼儀正しい口調で名乗る。続いて葵と沙羅もそれに見習いながら、少し出遅れた調子でそれぞれの名前を名乗った。


 鬼姫は目を閉じながら葵たちが名乗るのを聞き届けると、「名前はわかった。だが、ここへ来た目的はなんじゃ。妾はそこが知りたい」ともっともな問いを投げかけてきた。


 これには説明上手な京介が答えた。自分が陰陽師である部分は念のため伏せ、紫紺のこと、彼の目的、久渡平での出来事、託宣のこと、それらを全て伝える。


「というわけで、僕らは次に襲われるのはここではないか、と考え、鬼の国へ参ったのです」


「なるほど。それはご苦労なことじゃ。妾も各地のあやかしの住処や根城が何者かに襲撃を受け、甚大な被害を被っておることはよう知っておる。じゃが、心配する必要はない。ここが万が一、その紫紺とかいう陰陽師に次の襲撃場所に定められていたとしても、奴らには手も足も出せぬよ」


 鬼姫は自身に満ち溢れた顔で言った。


「ここは火の神の加護を受けた土地。さらに、巨岩の周囲には強力な結界を張り巡らせておる。奴らにはこの巨岩に満足に傷をつけることも叶わぬじゃろう」


「甘く見てはダメだ」

 

鬼姫のその言葉に、葵はいつの間にか口を開いていた。隣で京介の咎めるような視線と驚いた様子の沙羅の視線を感じたが、構わずに続ける。


「俺は奴の攻撃を間近で見てる。空に巨大な五芒星の陣が浮き上がり、そこから放たれる光が全てを焼き尽くす。あやかしも、建物も、全て。岩に張られた結界がそれに耐え得る保障はない。それに、いくら神の加護あるからって、神が全てを守ってくれるわけじゃない」


 鬼姫は葵の必死の形相を見て、「ほう」と目を細めた。


「だからここから逃げろと、お主は言いたいのか」


 ここから逃げる、そこまでのことは考えていなかったが、葵は「そういうことになる」と頷いた。

 だが鬼姫は首を横に振った。


「それでも妾はここから逃げはせぬよ。他のあやかしたちは、その話を聞けば逃げるかもしれぬが、少なくともこの土地を預かる我ら鬼の一族は、ここを出るわけにはいかぬ。ましてや妾はその鬼の一族の、ひいてはここを治める主じゃ。なおのこと、一族の使命を置いて逃げるわけにはいかぬのじゃ」


「使命?それはそんなに大切なものなのか?」


 自分の命を危険にさらしてでも守る使命というのがどういうものなのか、葵には検討もつかなかった。確かに、命を投げ打ってでも自分の使命を全うした者は、美談として後世に語り継がれてゆくことは葵も知っているし、実際そういう昔話も聞いたことはある。立派なことだとも思う。それでも、御山や東の森の惨劇を知っている葵からすれば、今は何よりも命を守ることが大切だと思うのだ。

 

葵の問いかけに、鬼姫は口からふう、と煙を吐き出した。その煙が葵の顔に当たり、葵は思わずケホリと軽く咳き込む。

それから鬼姫は、ゆったりとした口調で言った。


「妾たち鬼の一族は、火の神からある剣《つるぎ》の守りをしろと言われておるのじゃ。それをほっぽってこの地を去ることはできぬ」


「剣?」


「妾たちは龍神の牙と呼んでおる。」


 鬼姫の言葉に、京介がハッと息を飲む音がして葵は隣を見た。


「京介、知ってるのか?」


 京介は頷く。


「あやかしを屠る強力な退魔の剣だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る