第41話 風神丸
体を隠して岩の隙間から様子を窺っていると、岩場に二つの人影が現れた。どちらも人間の男の姿をしていたが、よく見ると頭に二本の角を生やしている。
二人の鬼は、おそらく鬼の国への訪問者だろう。ならば隠された入り口に入るために、京介の言っていた定められた言葉を言うにちがいない。葵はそう考え、鬼たちが巨岩の前に立った時に耳を澄ました。しかしその時、葵の背後で誰かがハッと息を飲む声が聞こえたので、最後まで見届けることは叶わなかった。
葵が振り返ると、葵たちが隠れていた岩の上に見知らぬ若い男が立っていた。外見は人間姿の九尾と同い年くらいだろうか。青みがかった髪を後ろでひとつに高く結い上げ、空色の直垂を身につけている。そして頭には、彼が人ではなく鬼であることを示す二本の角が生えていた。
正直、全く気配を感じなかった。一体いつからそこにいたのかと、葵は目に警戒の色をにじませる。
しかし、その鬼の男は葵や京介、九尾、沙羅の警戒した空気などまるで読む気がないようで、人懐っこく笑いかけてきた。
「まあまあ皆さん、そんな怖い顔しなくても。別に悪い者じゃないですぜ」
そう言われはしたが、人懐っこい笑顔の下に何か裏があるのではと思い、葵は男を睨み付けた。だが、相変わらず男はへらへらとしている。それだけでは止まらず、男は沙羅の顔を見ると「あ」と声をあげた。続いて「君可愛い顔してるね。良かったら俺と一緒に……」などとふざけたことを抜かし始める。沙羅は近づいてきた男からさっと身を引くと、「お断りします」と怖い顔で言った。
「あんた何者だ」
胡散臭い奴だと思いながら葵が尋ねると、男はふん、と自慢気に鼻を鳴らした。
「俺は風神丸。鬼の国きっての色男だよ。」
「はあ……」
男の自己紹介に半ば呆れかけた葵だったが、確かに自分で色男というだけはあると考え直した。若いおなご達を十分惹きつけそうな涼しげな顔立ちをしている。
「あの、それで何の用ですか?」
京介が葵に続いて質問すると、風神丸は肩をすくめた。
「これといった用はないよ。外をうろついてたら珍客がいたから、ただ声をかけてみた。それだけ」
「じゃあ、危害を加えるつもりはないんですね?」
「危害だなんてとんでもない。鬼はそんなに野蛮な種族じゃないさ。どっちかっていうと、そこのお兄さんの方が危険なあやかしだと思うけどね」
風神丸に差し示された九尾は顔をしかめた。すぐに沙羅がムッとした口調で「彼は仲間よ。危険じゃないわ」と言う。
風神丸は「それは失礼。」と素直に謝った。それから腕を組んで、真剣な表情で一同を眺め渡す。
「それにしても……。本当に珍しい組み合わせだ。人間が三人、あやかしが一人、猫が一匹」
「おいらは猫じゃないってば。よく見ろ、虎だ」
「ああ、ごめんごめん。喋る虎ちゃんが一匹だね。」
牙を剥く白虎丸を適当にあしらうと、風神丸は愉快そうに笑った。
「それで一体、どういう旅のご一行様?」
「どういうって……。どう言えばいいのかしら」
真面目に首をひねる沙羅に代わり、葵は単刀直入に風神丸へここに来た理由を告げた。
「俺たちは鬼の国へ行きたい。あんた、鬼の国きっての色男だって言ったよな?だったら鬼の国の住人なんだろう。俺たちを鬼の国へ連れて行け」
葵の言葉に風神丸は少し気分を害したようだった。
「それが人に物を頼む言いよう?女の子の言うことだったら聞いてあげてもいいけど、君じゃあねえ」
「オネガイシマス。オニノクニへツレテイッテクダサイ。」
仏頂面になって葵が再度頼むと、風神丸はぷっと吹き出した。
「君、棒読みすぎるよ」
なんだか真面目に頼んだ自分が馬鹿らしくなってしまい、葵は黙り込む。すると、九尾が「おい」と横柄な口調で風神丸に声をかけた。
「今の鬼の一族の頭領は誰だ」
「頭領?それなら俺の兄貴の雷神丸だけど、兄貴は途中で役目放ってどこかに行っちまったから、実質鬼の国を仕切っているのは鬼姫だよ」
不思議そうな顔で風神丸が答えると、九尾は少し遠くを見る目つきをした。
「鬼姫……。鬼ババアのことだな」
「そんなこと本人の前で言うなよ。お前殺されるぞ」
「もう一回殺されかけてる」
「知り合いなのか?」
驚いた様子で風神丸が聞くと、九尾は「ああ」と頷いた。
「鬼姫の友人ということで、俺たちを通してくれないか?」
「友人という証拠は?」
「鬼姫に九尾が来たと伝えろ。そしたらわかるはずだ。それまでここで待っている」
九尾の言葉に風神丸は少し思案したようだったが、結局は「わかった」と了承してくれた。
「じゃあ、ちょっとそこで待っといてくれ」
風神丸が行ってしまうと、九尾は岩場にどっかりと腰を下ろした。
「よし、多分これで鬼の国へ入れるはずだ」
九尾に習って皆も地面に腰を下ろす。
「お前の言ってた鬼ババアって、鬼の一族の頭領だったんだな」
葵が感心して言うと、九尾は「まあな」と特になんてことのないように頷いた。
「まあ、でもこれで鬼の国へどう入るかっていう問題は解決したわけだね」
京介がこれまでの経緯をざっくりとまとめると、沙羅も嬉しそうに「そうね」と言った。しかしそれから少し顔を曇らせる。
「でも九尾はともかく、私たち人間でしょう。鬼の国に入ってもいいのかしら。というか、入れてくれるかしら」
「まあ、なんとかなるだろう。ばあさんは特別人間嫌いというわけではないし」
九尾が楽観的に答えた。しかしそれから「ああでも」と付け加える。
「もし入れたとしても、京介。お前は陰陽師と気取られないようにな。陰陽師がこっそりあやかしの巣に入っていることが知れたら面倒だ」
京介は九尾の忠告に「わかった」と頷く。それから白虎丸の方を見た。
「白虎丸はどうしようか。さっき風神丸さんの前で喋ってしまったし、ただの猫や子虎の振りはもうできない」
「じゃあおいらはとりあえず、戻らせてもらうぜ。どこかで式神とバレたらまずいし。鬼の国を見られないのは残念だけど」
白虎丸が少し残念そうに言うと、京介が「一息ついたら出してあげるよ。」と白虎丸の頭をわしゃわしゃ撫でた。
そうして白虎丸は一旦紙人形へと戻った。京介は紙人形を丁重に懐へしまう。
それからしばらく待っていると、やがて風神丸が戻ってきた。
「よっ。御目通りが叶ったぜ。入っていいってよ。もちろん全員」
「別にばあさんと会いたいわけじゃないんだが」
九尾が言うと、風神丸は手をひらひらと振った。
「まあ良いじゃねえか。鬼姫も久々に会いたいって言ってたぜ。古い馴染みだって言ってさ」
言いながら風神丸は巨岩へ向かって歩き出した。葵たちもそのあとに続く。
そして風神丸は巨岩の前に立つと、鬼の国への入り口を開くことばを唱えた。
<岩のひわれたるはさまに
鬼の国の戸あらわれたまえ>
その言葉が風神丸の口から放たれた途端、ひび割れも何もなかった巨岩の表面に、突如亀裂が走った。
あっけにとられて葵がその様子を眺めている間にも、その亀裂の隙間はどんどん縦に長く走っていき、その隙間は大きくなっていく。見えない手で無理やりこじ開けられているかのように、ピキピキと音を立てながら風神丸の正面の巨岩の表面は、パックリと洞窟のような口を開けた。
「じゃあ、俺の後に続いて来てね」
風神丸は一声皆にかけると、そのまま亀裂が走って裂けるようにしてできた穴蔵へと足を踏み入れた。
後に続いて岩の中へ足を踏み入れると、背後でギイギイピキピキと音がして視界が真っ暗になった。どうやら入り口が一人でに閉じてしまったらしい。
おかげで葵には何も見えない。それは他の皆も同じことで、葵は後ろを歩いていたらしき沙羅にかかとを踏まれた。沙羅は短い悲鳴をあげて、「ごめんなさい」と謝る。それに答えようとした葵も、前にいた九尾の背中にぶつかる。少し歩く速度が速かったらしい。
「みんな大丈夫?この暗いところ抜けたら、すぐ明るくなるから」
先頭の風神丸の声が、真っ暗な岩の中に反響してグワングワンと響きわたった。
目の前にかざしたはずの自分の手すらも視認できない闇の中は、なんだか自分の存在も不確かなものに感じられて、心がふわふわとして落ち着かない。まるで体をなくしてしまったかのようだ。できれば早くこの暗い道が終わってくれないか。葵がそんなことを考え出した時、ようやく先の方に明かりが見えてきた。
そして、先に出口へとたどりついた風神丸は、くるりと葵たちの方へ向き直ると告げた。
「ようこそ。鬼の国へ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます