第35話 紅鳶と子供達


 沙羅をじっと見守っていた紅鳶は、自分の周りも沙羅と同様に淡い光で包まれていることに不意に気がついた。これはどうしたことかと驚いて、自信を包む白い光を観察していると、視線を感じて紅鳶は顔を上げた。


 顔を上げた先には、懐かしい顔が並んでいた。どの子も体は透けていて、宙に浮いてはいるものの、特に紅鳶になついていたあのあやかしの子供たちであることに間違いはなかった。


 紅鳶は彼らの姿を見て涙が出そうになった。あの夜の出来事の記憶が、川の濁流の如く脳裏に押し寄せてくる。さらに、もう一度子供たちの姿を見ることができるとは予想だにしていなかったのだ。結局こらえることができずに両目から涙をこぼしてしまう。


 紅鳶はまるで懺悔するかのように、地面に頭を擦りつけながら「ごめんなさい」と叫んだ。


「あなたたちを殺めた陰陽師に、住処の場所を教えたのは私だったの。まさかこんなことになるとは思わなかった。陰陽師に注意されれば、あなたたちももう少しいい子でいてくれると思って、教えてしまったの。決して殺さないし、手ひどいこともしないと言ったあの陰陽師の言葉をおめおめと信じて教えた私が悪いの。呪うならば呪ってちょうだい。私にはそれを拒む権利などない」


 紅鳶は子供たちの言葉を待った。しかし、何も聞こえなった。どうしたことかと、涙に濡れた顔を上げる。すると子供たちは、懸命に口を動かして何かを喋っていた。しかし、紅鳶の耳には何も聞こえてこない。子供たちも自分たちの話していることが紅鳶の耳に届いていないことがわかったのか、悲しそうな表情で紅鳶を見つめ返してくる。


「生者の言葉は死者にも聞こえるけれど、死者の言葉は生者には届かないの。死者が強い力を持っていたら話は別だけれど」


 そんな言葉とともに紅鳶の元に歩み寄ってきたのは、先ほどまでひざまづいて魂に語りかけていた沙羅だった。


 沙羅は紅鳶の肩に手を置くと言った。


「でも私が仲介すれば、霊力の強い巫女のあなたならきっと、彼らと言葉を交わせるはずです。さあ、立ってください」


 沙羅に体を支えられながら、紅鳶は立ち上がった。


「私の手を握ってください」


 言われるまま、紅鳶は差し出された沙羅の両手を握りしめた。二人は自然と互いに向かい合う形となる。


 合わさった手の平から、何か強い力が伝わってくるのを紅鳶は感じた。紅鳶は驚いて沙羅の顔を見たが、沙羅の目は固く閉じられている。すると、「お姉さん」と聞き覚えのある、ひどく懐かしい声が耳に届いてきた。


 沙羅の背後で、五人のあやかしの子供達が顔を並べている。


「みんな」

 紅鳶がポツリと言葉を漏らすと、子供達はみんな真剣な顔で口々に言い始めた。


「お姉さん。謝らないで。泣いたりしないで。お姉さんは悪くないよ」


「僕たち、お姉さんを責めたりしないよ」


「私たちにあんなに優しくしてくれたお姉ちゃんが、私たちをひどい目に合わせたりするはずないもん。さっき言ってたじゃない。陰陽師さんに注意してもらえれば、私たちがいい子になると思ったって。それって、私たちのことを思ってしてくれたのでしょう?」


 紅鳶は、沙羅の手を握る手に力を込めて、叫ぶように言った。


「でも。それでも、あの陰陽師に場所を教えたのは私なのよ。さっきそう言ったでしょう。どうして、どうしてあなたたちはそんな私を責めないの」


 しかし、子供達はそれには答えなかった。


「私たちそろそろ行かなくちゃ。お姉ちゃんにもう一回会えてよかった」


「お姉さんだけだったんだよ。みなしごの僕らを大切に思ってくれた人は……。ありがとう」


「待って」


 そう言って、紅鳶は思わず握りしめていた沙羅の手を両手とも離してしまった。空高く浮かんで行こうとする子供たちへ、手を差し伸ばす。


「どうして私を許すの」


『さようなら』


 もう紅鳶に子供たちの声は聞こえなかった。しかし、口の動きでそう言ったように聞こえた。


 透き通った子供たちの魂は、木よりも高い位置まで登ると不意に掻き消えた。それを無駄だと知りながらも追いかけようとして、紅鳶は地面に転がっていた石に足を躓かせる。

そのまま無様に地面へと倒れた紅鳶へ、沙羅が優しく手を伸ばした。


 いつの間にか、沙羅や紅鳶の周囲を覆っていた白く優しい光は消えてしまっていた。それでも夜空に煌煌と輝く銀色の月の光で、沙羅の顔は紅鳶からよく見えた。


 紅鳶は自分でも情けない事に、泣きべそをかきながら伸ばされた沙羅の手をとって起き上がった。それから、星々が瞬く空を見上げた。


「あの子たちは、行ってしまったのですか?」


 声を震わせながらの紅鳶の問いに、沙羅は頷く。


「はい。無事に天へ帰って行きましたよ」


「なぜ私を責めたり、怒ったりしなかったのでしょう。自分たちが死んだのは間接的とは言え、私のせいなのに」


「あなたが大好きで、心の底から信じていたからですよ。きっと」


「でも––––」


「理屈じゃないんです。」


 紅鳶の言葉を遮って沙羅は言った。


「あの子たちは本当にあなたを慕っていた。大好きだった。たとえあの陰陽師がここへ来たのがあなたのせいでも、そんなの関係ないくらいにあなたのことが大好きだった。あの子たちは、あなたを悪くないと言った。もうそれで良いじゃないですか。あなたはもう十分に苦しんだんですから。許してあげてください。自分のことを」


 しかし、紅鳶は目からこぼれ落ちる大粒の涙を指先で拭うと、「いいえ」ときっぱり言い放った。


「たとえあの子達が私を悪くないと言っても、私は決して自分を許すことなどできないでしょう」


「でもそれじゃあ。あなたが苦しすぎる」


「良いのです。たとえ自分を許せなくとも、あの子達が最期まで私のことを慕ってくれていたことが、あなたのおかげでわかったのですから」


 そう言ってから紅鳶は、少し黙り込んだ。まだ頰を濡らしている涙を手の甲で拭いてから、夜空を見上げる。その顔はなぜか、嵐が過ぎ去った後の瑞々しく濡れた鮮やかな緑の葉を思い起こさせた。


「これからは毎日ここへ来て、お墓に花を添えて、お参りします。自分を許すことはできないけれど、向き合うことはできます。今までは自分の過ちが恐ろしくて逃げてばかりいたけれど、今はあなたのおかげでそれができますから」


「紅鳶さん」


 紅鳶は、子供達の魂が消え去った夜空から視線を外すと、まだ心配そうな顔をしている沙羅へ向き直った。


「沙羅殿。本当にありがとうございます。私はもうきっと大丈夫。ちゃんと自分やあの子達と向きあって、前へ歩いていけます」



 少し離れた場所から成り行きを見守っていた葵は、紅鳶の背から痛々しさが消えていることに気がついた。変わらず彼女は己を責め、罪悪感も拭い去れたわけではないというのに、先ほどまでの逼塞した様子は消えて、彼女の心が幾分伸びやかになっていることがわかる。死者の声が聞こえない葵からは、彼女があの子供達の霊体と何を話したのか容易に推し量ることはできない。だが、子供たちの言葉か、沙羅の言葉か、もしくはその両方かが彼女の心を動かしたのは確かだと思った。


 太陽に変わり夜を優しく照らす月の光が、天へと帰って行った子供達の魂を弔うかのように、墓の上へ優しく降りそそいだ。

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