第36話 羽衣神宮へ
子供たちの魂を見送った後、皆は東の森を出て、今はひっそりと静まり返っている街道に来ていた。
そこで紅鳶は沙羅だけでなく、葵たちにもお礼を言って頭を下げてくれた。それから少し緊張した面持ちで言った。
「夜が明ける前にこの町から離れた方がいいでしょう。きっと、沙羅どのが逃げ出したことに気がついた役人が血眼で探し始めるはずです」
沙羅は「確かに」と頷いた。
「そもそももう気づかれている可能性だってあるわね。すぐに出発しないと」
「ここを出た後はどこに行くんだ?」
葵の質問に、沙羅は口をつぐむ。
「……それは、追々考えればいいわ。目的のある旅ではないし。あなたたちはどうなの?」
今度は葵が口を閉じた。そもそもこの旅の主導権は京介が牛耳っているので答えようもない。ひょっとしたらもうそろそろ紫紺を追って都へ行くつもりなのかと、葵は京介の方をちらりと見る。
しかし京介は、少し困った顔をして頭をかいた。
「いやあ、特に決めてないね」
葵はちょっとがっくりしながら、「もうそろそろ都に行ってもいいんじゃないのか」と京介に尋ねる。しかし京介の表情は芳しくない。どうも彼はまだ慎重路線を取りたいようだ。そこで葵はもう一つ考えていたことを京介に提案した。
「じゃあ、東の森を襲った陰陽師を探すのはどうだ。紫紺と関わりがあるかもしれないだろ。それに、他でもこんなことをしているかもしれないから、どのみち放っとくこともできないし。おまけにここに実際に会った人がいる」
葵のその言葉に、沙羅が突然「賛成」と手を挙げた。
「私もその陰陽師を探したいわ。非道な行いを許せないもの。探し出してガツンと言ってやるんだから」
すると、京介が横から口を挟んだ。
「探すのは別に構わないけど、その陰陽師がここを訪れたのは三月も前なんだよ。今更足取りを追おうとしても、手がかりなんてないでしょ」
もっともな京介の意見に、葵と沙羅は揃って意気消沈する。しかし、紅鳶が「あの」と遠慮がちに三人へ声を投げかけた。
「その陰陽師がどこにいるかはわかりませんが、私は巫女なのであなたたちに託宣を授けることはできます。何か、今後の旅の指針を示すことはできるでしょう。それに、みなさんへのお礼にもなりますし」
紅鳶の有難い申し出に、沙羅はパッと顔を輝かせた。
「本当ですか。それじゃあお願いします」
葵も「お願いします」と紅鳶に言った。
託宣とは神のお告げである。そのお告げを聞くことができるならば、紅鳶の言う通り、大いに今後の旅の指針を定めることができると思ったのだ。京介にも目配せすると、彼は肩をすくめながら「まあ、いいんじゃない」とさらりと賛同してみせた。一方で、さっきからだんまりを決め込んでいる九尾と白虎丸は、ハナから意思決定を三人に丸投げしているようで、特に何も言わない。が、特に反対している様子はなさそうだ。
紅鳶はそんな一同の様子を見てから、少しだけ申し訳なさそうに言った。
「わかりました。しかし、託宣を授けるのは私ではなく神です。だから、羽衣神宮まで戻らなくてはならないのです。まだ役人たちが騒いでいなければいいのですが」
「大丈夫ですよ」
なぜか沙羅が自信満々に言った。
「いざとなれば、九尾が殴り飛ばしてくれますから」
なんとも暴力的解決方法な意見だったが、確かにそれが一番効果的なようだと葵は思った。それに、葵も自分の腕っぷしには自信があるので、役人相手ならどうこうできるだろう。
皆も葵と同意見だったのか、沙羅の意見に納得して、再び町を目指すことになった。
徒歩でここから羽衣神宮へ行くとなると時間がかかるので、ここへ来た時と同様に化け狐姿となった九尾の背に皆でまたがり、神宮を目指す。
ふと、葵は羽衣神宮へは未だ行っていないことを思い出した。本当は今日の朝、沙羅の案内で参拝するはずだったのだが、その沙羅が役人に捕まってしまったのでそれどころではなくなったのだ。
九尾の背の上で葵が今日一日の出来事を振り返っているうちに、九尾の体はいつの間にか羽衣神宮の一の鳥居の前まで来ていた。
みんなを地面に下ろした九尾は人型に化けると告げた。
「俺はあやかしだから、神社の敷地へ入ることはできん。まあ、無理やり入れないことはないが、神様を怒らすかもしれんからな。あんたらだけで行ってきな。俺はここで待ってる」
「わかったわ。託宣を授かったらすぐに出発するつもりだから、いつでも飛べるように準備していてね」
代表して沙羅が九尾に返事を寄越してから、葵たちは紅鳶の後に続いて一の鳥居をくぐり、神宮の敷地内へ足を踏み入れた。
鳥居は人間の住む俗界と神の住む神域を区分するもの。鳥居をくぐって参道に入った途端、空気がピンと張り詰めたような清浄なものへと変わる。森神の森でも同じようなことがあったと、葵は思い出す。
参道の真ん中は神の通り道なので、一行はそこを避けて道の端を通る。左右には延々とケヤキの木が連なり、時折風に吹かれてはサワサワと枝を震わせている。夜空にかかる月は、神の通り道である参道の中央を、その銀色の優しい光で照らしていた。
参道を通り、二の鳥居をくぐり、いよいよ三の鳥居をくぐるまで、誰も何も喋らなかった。別に紅鳶にしゃべるなと言われたわけではない。ただ、この神社の清浄なまでの静謐な空気を壊してはいけないような、一種の強迫観念のようなものがあったからだ。おそらく昼間なら、参拝客たちは構うことなくおしゃべりしながらこの参道を歩いているのだろう。しかし今は人っ子ひとりいない夜。夜の、暗く静寂な空間が、人々の口を自然と黙らせてしまうのだろう。
三の鳥居をくぐると、大きな神楽殿と、それよりもさらに大きな拝殿、さらにその後ろに聳え立つ本殿が姿を現した。その威容に葵は圧倒される。
魔を退ける鮮やかな朱色を基調とした神殿は、月明かりに照らされ幻想的なまでに美しかった。さらに左右に伸びた回廊は、美しい神世の鳥が翼を広げたかの如し有様で、その姿は人々の心にあまねく畏敬の念を抱かせるであろうことは容易に想像できる。
この美しい神殿に祀られている神は、一体どのような神なのだろうかと葵は思った。羽衣神宮という名前から察するに、羽衣をまとった美しい天女のような神さまだろうか。
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