第34話 魂鎮め

 東の森にたどり着くと、沙羅はすぐに無数に作られた墓の前にひざまずいた。


 紅鳶は放心した様子で、並んだ墓を眺めている。


 事態がよくわかっていなかった葵たちは、ここに来るまでの間に九尾の背の上で沙羅から詳しい事情を聞いた。一緒にここに来た巫女にとって、死んだ東の森のあやかしたちは大切な存在だったらしい。しかし、彼女は殺さないと言った陰陽師の言葉を信頼して、彼らの住処の場所をその陰陽師に教えてしまった。そのせいであやかしたちは無残にも殺されてしまった。


 葵は、墓を眺める紅鳶の背中をひどく痛々しく感じた。大切な存在を自分のせいで亡くし、己を責め、罪悪感に苛まれる彼女の姿は、それだけで悲劇を物語っているようだった。それと同時に、葵はその陰陽師に怒りを抱いた。心配した紅鳶が「殺めるのですか」と尋ねたのに対し、陰陽師「殺しはしない」とはっきり言ったらしい。それを裏切り、陰陽師は年端もいかぬあやかしの子たちを殺した。御山の襲撃でも、幼い天狗が何人も死んだ。気がつけば、葵はそんな天狗の子供たちと、ここで殺されたあやかしの子供達を頭の中で重ね合わせていた。


 それから葵は、沙羅の方へ目を向けた。


 墓の前でひざまずいた沙羅は、目を閉じると、祈るように胸の前で両手の指を絡め合わせた。


 魂鎮めの祈りが始まったのだ。誰一人声を発することなく、皆の視線が沙羅へ注がれる。


 その時、風も吹いていないというのに、沙羅の衣や髪がふわりと揺れ始めた。それだけではない。沙羅の周囲を、淡く、優しげな白い光が彩り始める。暗闇の中で沙羅の周囲だけが光輝き、まるでこの世のものとは思えない光景だった。


 見たこともない光景に、思わず葵は、いつの間にか人型に化けていた九尾に尋ねていた。


「あれは何をしてるんだ」


 腕を組んで沙羅の様子を眺めていた九尾は、視線を動かさずに淡々と答えた。


「あいつは今、魂に語りかけている。それが沙羅の力だ。荒ぶる魂へ語りかけ、寄り添い、癒し、天に返す」


 九尾の言葉を聞いて、葵は沙羅を見つめた。口が動いている様子はない。魂との語らいは、葵たちには聞こえないものなのだろうか。すると、まるで葵の考えを読み取ったかのように、九尾は口を開いた。


「俺たち現世うつしよにいる者には、あいつがどんなことを魂に語りかけているか聞くことはできない。死んだ者の魂はたとえまだ現世にいたとしても、本質は常世とこよに属するからだ。要するに、今の沙羅の魂も現世とは切り離されている。だから、常世のものである死者の魂と言葉を交えることができる」


「ということは、沙羅は今」


 驚いた葵をたしなめるように、九尾は目を葵へと向けた。


「別に死んでいるわけじゃない。ただ生きている状態のまま、常世の住人の魂と言葉を交わせるというだけだ。それが沙羅の持つ力なんだ。別に死者の魂でなくても、荒ぶる神やあやかしの魂にも心の中で語りかけることができる。俺もそれで救われた口だ」


 辛い過去でもあったのか、九尾は少し苦々しい口調で言った。


 詳しいことはわからないが、沙羅と九尾がともにいる理由が、葵には少しだけわかった気がした。話から推測すれば、かつて九尾は何か良くない状況にあって、そこを沙羅に救われたのだろう。そしてそれに恩を感じ、旅の途上の沙羅の身を守っているのかもしれない。


 すぐそばで九尾の説明を聞いていたらしい京介も、口を開いた。


「彼女は随分と稀有な存在のようだね。生きながら自分の魂を現世から切り離して、常世の魂と会話できるなんて。並みの人間にできることじゃない。彼女は一体何者なんだ」


 京介の問いに、九尾は「さあ」と片目を瞑ってみせた。


「俺に聞かれてもね。ただ言えるのは、あいつがとある里の領主の娘で、俺が封じられていた石を代々鎮めてきた血筋の末裔ということだけだね。今言えるのはそれくらいさ」


 九尾はそれ以上詳しいことを語ろうとはしなかった。京介はそれで納得したのか、口を閉じて沙羅の魂鎮めの祈りを再び見つめ始める。


 葵もそれにつられて、再び沙羅を見やった。


 それ以降、誰も口を聞かなかった。


 そして沙羅は微動だにせず、ずっとひざまずいている。誰も動かない空間の中で、ただ沙羅の髪や衣だけが、白い光に照らされてふわりふわりとたなびいている。

 

*   


 今沙羅の意識は、肉体とはまた別の場所にあった。


 沙羅は、あたり一面を名もなき白い花々で彩られた草原にいた。


 見渡す限り咲き乱れる花でいっぱいとなった草原は果てしなく、終わりがないように見える。その草原にいるのは、沙羅と五つの無垢な子供たちの魂だけだった。


「残るのはあなたたちだけね。他の子達は、みんな天へ帰って行ったわ。あなたたちも、帰るべき場所へ戻りなさい」


 宙に漂う、雪のように丸くて真っ白な子供たちの魂は、沙羅の言葉に駄々をこねるようにしてくるくると宙を飛び回る。ついで、沙羅の耳に子供たちの声が届いてきた。


「僕らはどうして殺されたの?いたずらしてたから?あの怖い女の人は、なんにも言わずに僕たちを殺したんだ。すごく怖かった。仲間たちの悲鳴が聞こえて、みんな血を流して倒れていって、あの女の人はそれを見てもなんとも思っていなさそうだった。怖くて怖くて、すごく腹立たしくって、僕らは訳が分からなくなった。心や体が熱くなって、仲間を殺したあの人をめちゃめちゃにしてやりたいと思ったんだ」


 すると、別の魂も可愛らしい女の子の声でしゃべりだした。


「私もそう思ったの。ありったけ呪ってやると思ったの。結局みんな死んじゃったけど。でも、でもね、最後にあのお姉さんに会いたいの。お母さんみたいだったの。会わないままこのまま知らないところへ行くのは嫌なの。きっと私たちのこと心配してる」


「そうよ。心配しているわ。あの人はあなたたちのことをすごく気にかけてる」


 沙羅の言葉に、子供たちは口々にしゃべりだした。


「あなたは知ってるの?」


「優しい優しい巫女さまだよ?」


「僕らにすごく優しくしてくれた」


「よくいたずらするなって、お小言を言われたけど、ああやって構って欲しくて、ついついいたずらしちゃうんだ」


「お母さんみたいだった」


「私たちをあんなに気にかけてくれる大人、人間にもあやかしにもいなかった」


「お姉さんは今どこにいるの?泣いてるの?会いたい。君は知ってるの?今までこうやって僕らに話しかけていたけれど、知らなさそうだったよ?」


「つい最近知り合ったのよ」


 沙羅は、空を漂う五つの魂を包み込むようにして、両手を高く掲げながら言った。


「あの人と話してあげて」


「でも僕ら、恨む気持ちで穢れているのでしょう?お姉さんは清らかな巫女様だから、いけないよ」


 沙羅は「大丈夫」と微笑んだ。


「負の感情で満たされていた部分は、少しずつ私が拭い去ってあげたでしょう。だから大丈夫」


 沙羅は、そっとささやいた。


「さあ。会いたい人の元へ、お行きなさい」

 

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