第27話 宿

 一行が森を出たところで、九尾がいきなり立ち止まった。どうしたのだろうかと葵が見ていると、突然九尾の体を、数え切れないほどの黄金色の葉が突風と共に包み込んだ。まるで九尾の周りだけ風の道があるような不思議な光景だった。葉は乱舞し九尾の体を覆い隠す。やがて葉の嵐が止むと、九尾のいた場所に端正な顔立ちの青年が現れた。 


 青年は肩にかかった長い茶色の髪を右手でサッと払うと、葵達を見た。


 目は赤く、どこか九尾の目を思わせる。長い髪と美しく整った顔、身に纏う黒っぽい着物のせいで紫紺を彷彿とさせたが、その顔には紫紺のように張り付いたような微笑と凍てついた目はない。変わりにあるのはニコリともしない無愛想な表情と、鋭い眼光だ。


「えっと、これは?」


 葵は目の前の青年を見ながら、隣にいる沙羅に尋ねた。


「九尾の化け姿よ。さっきの姿で町にはいけないでしょう」


「ああ、なるほど。変化か」


 あやかしが人に変化できることは知っていたが、こうして目の前で変化の術を披露されるのは初めてだったので、葵は少々面食らった。何せ大きな化け狐が、急に自分とそう年齢の変わらない人間の姿になったのだ。面食らうなと言われる方が無理な話だ。


 それから葵はハッとして、京介の頭の上に乗っている白虎丸に尋ねた。


「ひょっとしてお前も人間の姿になれるのか?」


 白虎丸はあからさまにそんなわけないだろという顔を寄越した。


「あやかしと一緒にするなよ。おいらは式神だぞ。あやかしみたいにわざわざ人の姿に化けなきゃやっていけないようなのとは違うっての」


 すると、人型に化けた九尾が葵に近づいてきた。どことなくピリピリしている様子だったので、葵は思わず身構える。


「おいお前、どっちも四つ足の獣だからって、そこの子猫と俺を一緒くたにするな」


「誰が子猫だ。おいらは虎だぞ」


 九尾の「子猫」という単語が気に障ったのか、白虎丸が盛大に文句を言い始め、それを京介が押しとどめる。それを尻目に葵は九尾の目を正面から見た。姿は全く異なるが、その表情と睨み付けてくる目の力強さは確かにあの化け狐と同じものだ。


「ああ、悪い」


 苦笑いを浮かべながら葵が謝ると、九尾はフンとそっぽを向いた。それ以上は何も言ってこなかったが、白虎丸と比較するのはやめておいたほうがよさそうだ。


 九尾から不機嫌そうな視線を浴びながら葵が町にたどり着いた頃には、もう夕方だった。


「そういえばあなたたち、宿は取ってるの?」


 沙羅の問いに、京介はいいやと首を横に振る。


「野宿でいいかなと思ってて」


「おい、俺は嫌だぞ。こんなとこまで来て野宿だなんて。」


 葵は京介の隣ですかさず言った。御山を出てからずっと野宿なのだ。多少は慣れたと言っても、さすがにそろそろ火の番をしなくて済む、屋根と暖かい布団がある場所で寝たい。そもそも、今まで宿がないような場所で夜を迎えていたから野宿だったのだ。それなのに京介ときたらこんなところまで来て野宿だと言い張っている。一緒に旅をしてわかったのだが、意外と京介は節約家、もといケチなのだ。


 沙羅は二人の返答を聞いて言った。


「桜の君からの着物をわざわざ届けに来てくれた人に、野宿なんてさせられないわ。相部屋になるけど、私たちの借りてる部屋に泊まってちょうだい」


 沙羅からの有難い申し出に、ケチな京介も承知した。こうして葵は、久々の布団にありつけることになった。




「畳にふかふかの布団。これだよこれ」


 宿に着き、泊まる部屋に入ったとたん、葵は真っ先に布団の上へ倒れこんだ。 


 久しぶりに嗅ぐ畳の香りと柔らかい布団の感触。それを心ゆくまで堪能していると、九尾に体を蹴り転がされた。


「いたっ」


「そこは俺の寝る場所だ。お前の布団はあっち」


 葵は蹴られた箇所をさすりながら九尾に指差された先を見る。すると、ふすまの奥に積み上げられた布団が見えた。自分で敷けということだろう。


 葵は渋々ふすまから布団を一式抱えあげて、畳の上に敷いた。京介の分の布団も敷くと、狭い部屋はすぐにいっぱいになった。


 沙羅の布団は屏風で隔てられた向こう側にある。


「ねえ、明日の午前中は一緒に町を見て回りましょう。せっかく久渡の町に来ているんだから」


 屏風の向こう側から沙羅の声が聞こえてきた。ガサゴソと衣擦れの音が聞こえてくるので、おそらく寝巻きに着替えているのだろう。


「お祈りはいいのか?」


 葵が聞くと、沙羅は「大丈夫」と答えた。


「昼を過ぎてからするつもりだから。それに、後一回のお祈りでもう魂鎮めは終わるでしょうし」


「それが終わったらどうするんだ?」


「……また旅を続けるわ」


 着替え終わったのか、沙羅が屏風の向こうからひょいと顔をのぞかせた。


「ここ以外にも、鎮めなくてはならない魂はあるでしょうし、それを探しながら旅を続ける。あなたは?」


「俺?俺はほとぼりが冷めたら、京介と紫紺を追うつもりだ」


 そうだよな?と確認の意を込めた目で京介の方を見ながら葵は言った。京介は無言でこくりとうなずく。


「そう、お互い漂白の身ね」


 沙羅は物憂げな表情で言った。


 そういえば、沙羅はなぜ旅をしているのだろうと葵は思った。歩き巫女かとも思ったが、元は巫女だったと言っていたことからも、今は巫女ではないのかもしれない。ならばなぜ、彼女は九尾を共に連れ旅をしているのだろうか。先ほどの口ぶりからして、救われない魂を鎮めて旅をしているようだが、なぜそんな終わりのない旅に出たのか。


 葵はそこまで考えてから、一瞬沙羅に直接聞こうかとも思ったが、なんだか野暮な気がして聞かぬことにした。代わりに「まあ。お互い頑張ろうぜ」と当たり障りのないことを言っておく。


 皆疲れていたので、その夜は早く寝ることになった。行灯の灯りを消して、皆布団に潜り込む。


 白虎丸はというと、さっきから姿が見えないのでおそらくまた紙人形に人知れず戻ったのだろう。


 温かな布団の感触に包まれて、葵の意識はすんなりと眠りの世界へと誘われていった。

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