第24話 沙羅

 その禍々しい化け狐は、葵達を横目で睨みながらその大きな体で囲うようにして暗がりから全身を現した。


男の言っていた化け狐とはまず間違いなくこいつだろう。なるほど確かに大きい。さらに驚くことに、化け狐の尾は全部で九本もある。尾が二本どころか九本もある獣など葵は見た事もない。


 化け狐は低い唸り声を発しながら、葵達へと向かい合った。今にも襲われて八つ裂きにされそうな化け狐を前にして、葵は生きた心地がしなかった。襲うなら早く襲ってほしいとすら思う。じりじりと死を待たされているようなおぞましさから早く解放されたかった。


 その時、化け狐は体勢を低くし毛を逆立て、今にも襲う素振りを見せた。それに伴い、京介は懐に忍ばせたままにしてあった手をピクリと震わせ、葵は神通力で風の力を纏わせようと、錫杖を握りしめた手に力を込める。白虎丸も姿を大虎に変えようと全身に力を入れた。まさに一触即発の状況。そんな張り詰めた空気を、突然凛としたよく通る声が遮った。


「おやめなさい。九尾きゅうび

 

 向かい合っていた両者は、弾かれるようにしてその声の主を振り仰ぐ。


 葵達から見てちょうど化け狐の斜め後ろに、袴姿の少女がいた。


 化け狐は唸るのをやめると、その少女の傍らに寄り添うようにして後ろへ下がった。少女はそんな化け狐を一瞥してから、まだ緊張の糸の解けない葵達の元へ歩み寄ってきた。


「あなた達、ここで何をしているの?」


 少女は堂々とした調子で葵たちに尋ねてきた。


こちらをまっすぐに見つめてくる目は意志の強そうな光を湛えており、キュッと真一文字に引かれた口や上がり気味の眉からは、彼女が凛とした女性であることが伝わってくる。


 服装は柿色の着物に、深い紺染めの袴をはいたもので、髪型は少し長い黒髪をおさげに結わえてあった。


「僕たちは、この先に用があって......」


 少女の質問を受け、京介は我に返った様子で彼らしくないおずおずとした口調で答えた。


「この先には何もないわよ」


 少女は訝しんで首を傾げた。すると、後ろに控えていた化け狐が少女のそばへ顔を近づけた。うっすらと口を開き、少女に語りかける。


「どうせこないだの人間共と同様、面白半分に見に来たのだろう。その割に肝っ玉は座っていたが」


 男の声色をした化け狐の言葉を受けて、少女は「そうなの?」と京介へ確認の問いを投げた。


 京介は「違う」と即座にそれを否定する。


「正確に言うと、この先にいるはずのある女の子に用があるんだ」


 それから京介はじっと少女を見るといきなり言った。


「もしかして、君は沙羅という名前ではない?」


 京介の言葉に少女は目を見開く。


「そうだけど。なぜ知っているの?」


「これを君に届けに来たんだよ。桜の君からの」


「桜の君から?」


 京介は風呂敷に包まれた着物をそっと沙羅へと差し出した。沙羅はそれを受け取り、中身を確認する。


「まあ。綺麗な着物」


風呂敷の間から姿を現した薄紅色の着物を見て、沙羅は感嘆の声を上げた。それから、着物の間に白い紙が挟まれているのに気がついてそれを取り出した。


「これ、桜の君からの文だわ。間違いないみたいね。あなた達が桜の君の知り合いってこと。ひょっとして、森神様とも会ってる?」


 京介は頷いた。


「うん。会っているよ。ひょんなことから森神様に助けられてね。」


「そうなの。奇遇ね。私も森神様には一度命を助けていただいているの。それで、あなたたちの名前は?」


 葵の方へも目を走らせながら沙羅は尋ねた。


「僕は桜木京介」


「俺は葵だ」


 二人は手短に名乗った。すると、沙羅の隣で化け狐が「桜木?陰陽師か」と独り言を呟くのが聞こえた。それから葵の方へも視線を投げかけてくる。


不思議と先ほどの禍々しい空気は化け狐から消え失せていたが、それでもこいつを食べようかと値踏みされているようで、葵は心がなかなか落ち着かなかった。


「そう。知っているみたいだけど、改めて名乗るわね。私は沙羅。元は巫女だったんだけど、色々と事情があって今は旅をしているの。彼は九尾きゅうび。私の用心棒みたいなものよ」


 葵は紹介された化け狐・九尾をちらりと見やった。さっきは気付かなかったが、九尾の首元には赤い勾玉を幾つか連ねた、首飾りのようなものがかけられている。


 沙羅は九尾のことを用心棒みたいなものだと言ったが、一体巫女がどういう成り行きであやかしと旅をすることになったんだろうと葵は不思議に思った。


「ああっ」


 それまで落ち着いた物腰で話していた沙羅が、突然年頃の女の子らしいかん高い声をあげた。葵と京介が何事かと面食らう中、沙羅は葵の隣にいる白虎丸の元へと突進するように駆け寄る。


「か、かわいい」


 目を潤ませながら、沙羅は白虎丸へ手を伸ばしかける。それからハッとして葵たちに向き直ると、「この子触ってもいい?」と尋ねてきた。


「どうぞ」


 京介が了承するのを聞いて、白虎丸は「おい!」と憤慨して叫ぶ。


 沙羅は「あなたしゃべるのね」と言いながら嬉しそうに白虎丸を抱っこした。


「かわいい。もふもふしてるぅ」


 沙羅は幸せそうに白虎丸の頭や顎の下を撫で撫でした。最初こそ白虎丸は嫌がっていたが、沙羅に撫でられるのがだんだん気持ち良くなってきたのか、しまいには猫のように目を細めてされるがままになっている。


 凛とした雰囲気の少女が一転して、年相応の女の子らしく騒ぎ出したので、葵はその一貫性のなさにしばしポカンとした。昔からそうだが、やはり女の子というのはよくわからない。


 しばらく白虎丸を堪能すると、沙羅は白虎丸を「ありがとう」と言って地面に下ろした。それから一同に向き直り、しまったというように罰が悪そうな表情を顔に浮かべた。


「ご、ごめんなさい。かわいい動物を見ると、つい触りたくなるの」


「いや、おかまいなく」


 京介は調子を取り戻したようで、爽やかな笑みを浮かべながら言った。

 一方九尾は「やれやれ」とため息をついている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る