第23話 化け狐

「人間なんて一口でペロリと食っちまいそうなでかい狐なんだそうだ。その狐にビビって、若僧供はケツまくって逃げてきたんだとよ」


「その化け狐、昔からこのへんにいるんですか?」


 京介が尋ねると、男は「いや」と肩をすくめた。


「俺はガキの頃からこの町にいるが、化け狐が出ただなんて話聞いたこともねえ。若僧もそのことは知ってるから、その化け狐はあの女の子が連れているのに違いない。そもそもあの子もあやかしなんじゃねえか、ってみんな噂してる」


「その子が今どこにいるかはわかりますか?」


「ああ。多分今日もお祈りに行っているだろうから、東の森の方にいるだろうよ。街道沿いの森の方って言ったらわかりやすいかな」


 京介は礼儀正しくぺこりと頭を下げた。


「わかりました。ありがとうございます」


 男は少し驚いた様子で京介を見る。


「あんたらその子に今から会いに行くのか?物好きだなあ」


「ええ。用事があるので」


「そうか。まあ、その子気が強そうだから、ぶん殴られないように気をつけろよ。あと化け狐にもな」


 そう言うと男は片手を上げて手を振りながら、人混みの中へと去っていった。


 それから葵と京介は互いに目を合わせた。


「なあ、今の話。あやかしの大量殺戮って」


「紫紺の仕業かもしれないって?」


 葵の最もな疑問に先回りして答え、京介は首を横に振った。


「ありえない。三月前なら紫紺は都にいた。僕が確認している。今の話は紫紺の仕業じゃないと思う」


「でも、陰陽師って」


「陰陽師があやかしを退治するのは当たり前だ。退治されるだけの理由が、そのあやかしたちにはあったんだろう」


 京介の言うことも最もだった。殺されたあやかしたちが、京介の言っていたように人を襲い騙し貪り食らうような連中なら陰陽師に退治されてしかるべきだ。


「でも、もしそうじゃなかったらどうよ?」 


 不意に葵の頭上でずっと押し黙っていた白虎丸が口を開いた。


「え?」


「もし仮に、そのあやかしたちが退治されるほど悪くなかったとしたらどうよ?」


「でも紫紺がやったんじゃないのは確かだ。白虎丸も、僕と一緒に三月前に紫紺が都にいたことは確認しているだろう?」


 「ああ。それはおいらもわかってる。だから、紫紺じゃない別の誰かがやったんだよ」


「それをさっきから話してるんだけど」


 京介と白虎丸のやり取りを聞いていた葵は、白虎丸が何を言おうとしているのかに気がついた。


「白虎丸。紫紺には仲間がいるかもしれないってことか?あやかしを滅ぼすのを手助けしてくれている仲間が」


 葵の言葉に、白虎丸は「ああ」と頷いた。


「おいらはそれを言いたかったんだよ。奴は陰陽寮の実質的な頭だ。紫紺に心酔してる陰陽師は多い。だから紫紺は、そいつらに自分の悲願を叶える手助けをさせているんだ。いくら稀代の天才陰陽師っつっても、さすがに一人でこの国のあやかしを全部滅ぼして回るのは骨が折れるだろうし、協力者を確保していたとしてもおかしくはねえ。まあ、おいらたちがずっと紫紺を見張っていた限りでは、奴は一人でことを進めているようにしか見えなかったけどな」


 白虎丸はちらりと京介を伺う。京介は「うん」と頷いた。


「確かに僕らが紫紺の動向を探っていた限りでは、協力者がいた気配は全くなかった。だけど、僕らが紫紺を調査し始めたのはちょうど三月前だし、それ以前に協力者と連絡を取り合っていたとしても不思議じゃない。でもまあ、それもこれも久渡平で起こったあやかしの大量殺戮について、もっと詳しく調べてからでないと、何とも言えないけどね」


 京介は肩をすくめると、「というわけで、早くその現場とやらに行こうか。この着物も届けないといけないし」と言った。


 そうして一行は、一旦久渡の町を出て、男が言っていた街道沿いにある東の森へと足を向けた。



 東の森はすぐにわかった。男の言う通り確かに街道沿いに面している。街道には久渡の町を目指して行き交う人馬や、逆に出て行く人馬がちらほら見受けられる。   


 葵たちは街道を通らずに森神の森から山道を辿ってきたのだが、当たり前のことだが山道よりも街道の方がはるかに道が良い。京介曰く、森神の森からわざわざ街道に出て久渡平に行くよりも、山を越えていった方が早いとのことだったが、旅に不慣れな葵にしてみれば、今度からはできれば道も整備され宿場とも直結している街道を使いたいところだった。


 葵たちは街道を横切り東の森へと入った。この森の奥へ進めば、例の現場へとたどり着くのだろう。


「にしても沙羅って子、一体何者なんだろうな」


 森の中を歩きながら葵が呟いた。巫女と名乗り、あやかしを連れ、あやかしの魂を鎮めるという少女。神様や桜の精と知り合いなのだから只者ではないとは思っていたが、本当に只者ではなさそうだ。あやかしの大量殺戮も気になるが、沙羅のことも十分気にかかる。


「噂の通りあやかしだったりしてな」


 ようやく葵の頭から離れて自分で歩き出した白虎丸が冗談めかして言った。


「それはないだろ。桜の君がはっきり人間って言っていたし」


 即座に白虎丸の冗談を否定しながら、葵はまだ見ぬ少女の姿を想像しようとした。桜の君から託された薄紅色の着物から考えれば、きっとその色がよく似合う可憐な少女なのだろう。一瞬その想像上の可憐な少女が恐ろしい化け狐に転じる様を考えたが、すぐに頭を振ってその考えを振り払った。そんな葵を見ていた白虎丸はなぜかニヤニヤした笑みを浮かべている。


「なんだよその顔」


 気味悪そうに葵が聞くと白虎丸は答えた。


「葵よお。今その沙羅って子が超美人だったらとか考えてただろう」


「はあ?そんなこと考えてないぞ」


「いやお前も年頃の男だ。考えない方がおかしい。まあ、おいらも美人には目がねえからな」


 おっさんくさいことを言う白虎丸に、葵は呆れたように目を眇めた。


「今はそんなこと関係ないだろ。まあそりゃ美人に越したことはないけど」


「あ、じゃあやっぱり美人だったら、とか考えて鼻の下伸ばしてたんだな」


「うるさいししつこいぞ、さっきから」


 そんな不毛なやり取りをしていると、葵の少し前を歩いている京介が盛大なため息をついた。


「ねえ、君らちょっと静かにしてくれない。ひょっとしたら化け狐がいるかもしれないってのに」


 呆れたように言うと、京介は葵と白虎丸の方を振り返った。すると突然、白虎丸が全身の毛を逆立てて飛び跳ねるようにして身構えた。そんなに京介に注意されたのが怖かったのだろうかと葵は思ったが、京介まで顔に警戒の色を浮かべたのを見るとどうもそうではないらしい。


 葵は注意深く周囲の気配を探った。森の様子は今までと同様に、木漏れ日の降り注ぐ穏やかなものだ。だが、葵は自分の背中に悪寒が走るのを感じた。一見すると森は平穏だが、その森に似つかわしくないが潜んでいる。そして、巧みに姿を消して底冷えするようなまなこでこちらを見ているのだ。葵の本能がそう訴えかけてきた。


「京介、葵。近くにあやかしがいる。しかも相当やばそうなやつだ」


 白虎丸がそう言ったそばから、京介は懐へ手を忍ばせた。おそらく呪符をいつでもとり出せるようにしているのだろう。葵もずっと持っている錫杖をいつでもふるえるようしっかりと握りしめる。


「京介、何かが俺たちを見てる」


 抑え気味の葵の声に、京介は頷いた。


「だろうね。僕も感じてるよ。何かに値踏みされるように見られている感覚を。でも姿が見えない。どこにいる。白虎丸、わかるか?」


 その時、ガサリと草葉が擦れ合う音が聞こえた。葵と京介はハッとしてそちらに視線を向ける。しかし白虎丸が叫んだ。


「違う。そっちじゃねえ。うしろだ」


 その声に葵は背後を振り返った。すると、さっきまではそこになかった巨大な眼と目があった。


 ギラついた真っ赤な獣の目だった。人間でいう白目の部分は血のような色をしていて、中心には縦に長く伸びた黒い瞳がある。その瞳には葵、京介、白虎丸の姿が映り込んでいる。葵たちは蛇に睨まれた蛙のごとく、その真っ赤な瞳に見据えられ身動きを取ることができない。


 大きな眼だけのあやかしに見えたそれは、異様に暗くなった木々の暗がりからその体を葵たちの前へと引きずりだしてきた。黄金こがね色の体毛。人の三倍はある大きな体。尖った大きな三角の耳。突き出した鼻に真っ赤な目。耳元まで裂けた口。その口は半開きになっており、間からは鋭い牙が覗いている。体を支える四肢の先にはこれまた鋭利なかぎ爪があり、人など簡単に殺せる化け物であることはわざわざ言われなくてもわかる。顔の形は狼に似ていたが、狼よりは幾分か細い。葵の知っている生き物に例えるならそれは、狐だった。

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