第3章 巫女と妖狐

第22話 久渡の町

 森神と桜の君と別れてからいくつもの山を越える事五日、葵と京介はようやく目的地である久渡平にたどり着いた。


「これが久渡の町か」


 景色を一望できる高台の上に立ちながら、葵はそこから見える景色に感嘆の声をあげた。


 久渡の町とは、久渡平にある町の名前である。京介の話によれば、この町は羽衣神宮への参拝客相手の商売から始まった町らしい。この町の象徴でもあるその羽衣神宮は、御山もその領土に含まれる百世ももよの国の中でも、かなり格式の高い神社の一つに数えられる。数年に一度は帝まで参拝に来るらしく、国中で知る人はいないほどの神社である。そのためご利益を求めて訪れる参拝客は引きも切らず、結果としてこうした商売人たちの集まる久渡の町が生まれたわけだ。


 と言っても、御山から一度も出たことのない葵には知らぬ話だ。ここに来るまで五日もあったので、旅の途中散々京介から解説を受け、なんとかこの土地の知識は身につけたものの、聞くのと見るのとでは大違いだった。


「これが人間の町か」


 葵は興味津々に町の全景を眺めた。山々に囲まれた平地に形成された町には所狭しと店が並び、その間を多くの人間が行き交っているのが見える。さらに町の中心部より少し離れたところには巨大な赤い鳥居が屹立している。そしてその鳥居の奥には朱塗りの神殿のようなものが見える。おそらくあれが羽衣神宮なのだろう。


「お前町に入ってからもあんまりわあわあ騒ぐなよ。恥ずかしいからな」


 葵の頭の上に乗っかった子虎姿の白虎丸が偉そうに言った。葵は「うるせえな」と口を尖らせる。


 この五日間の旅の行程は、旅慣れない葵からすればなかなかに辛いものだった。さすがに野宿には慣れたが、それでも寝そべっている地面を虫が這っているのを見るとゾッとするし、一日中ずっと歩きっぱなしというのも少々こたえた。途中、黒鳥から逃げた時と同じように大型化した白虎丸の背に乗って走っていけば早いのにと京介に文句を言ったが、力を使うからなんとかと言われて結局そうはならなかった。


「ていうか、お前いつの間に出てきた?」


 さっきまで白虎丸は白い紙人形に戻っていたはずなのだが、今は知らぬ間に葵の頭の上に前足をかけて覆いかぶさるように乗っかっている状況だ。ここに来るまでにも何度かそういうことはあったのだが、いきなり出てくるのでどうにも慣れない。


「ついさっきだ」


 白虎丸は葵の頭上で小さな白い歯を覗かせてニヤッと笑った。その隣では京介がやれやれといった様子で白虎丸を見ている。


「でも、二人とも仲良くなってくれて良かったよ」


 その京介の言葉に、「ああ?」と食ってかかるように葵と白虎丸は振り向いた。その二人の動きがぴったりなことが可笑しくて、思わずクスリと笑ってから京介は続ける。


「いや、最初は葵が白虎丸に小さいって言って、それに怒った白虎丸が葵を引っかこうとしてって感じで初対面としては最悪だったでしょ」


 葵自身確かにこの五日間で白虎丸と(もちろん京介ともだが)打ち解けてきたとは実感している。改めて自己紹介もやり直したし、ずいぶんと言葉も交わした。だが、面と向かって仲良くなったねと言われるのはなんだか腹立たしかった。それは白虎丸も同じ気持ちのようで、「こんなのは仲良いとは言わないやい」と京介にぶうぶう文句を垂れている。


 京介はそんな二人の非難を「はいはい」と聞き流しながら手拍子を二度打った。


「とにかく、もう町に入るよ。白虎丸はそのまま出てても良いけど、喋ったらダメだよ。町の人が驚くから」


 *


 高台から町へと繋がる長い下り道を下りて、一行は久渡の町へ足を踏み入れた。


 様々な商品が並ぶ店棚に、客を呼び込む売り子の声と楽しげに行き交う多くの人々。どれもこれも葵には新鮮で、思わずキョロキョロしてしまう。すれ違う人々の中にはきらびやかな服を身につけている者もいて、いちいちそれに目を奪われる。しかし目を奪われるのはそれだけではない。店先に並んだおいしそうな食べ物や装飾品や衣類、そのどれもが葵の目には珍しく映る。それと当たり前といえばそうなのだが、これだけ多くの人がいて誰一人として背中に翼を生やしていないのが、ずっと天狗に囲まれて暮らしてきた葵からすれば、なんだか不思議な感じだった。


「おい、葵。京介とはぐれるなよ」


 ずっと葵の頭の上に乗っている白虎丸が葵にしか聞こえないような声で言った。物珍しげにキョロキョロしている葵を危なっかしく感じたのだろう。


「わかってるって」 


 葵自身こんな人ごみの中ではぐれたら面倒だとわかってはいるので、京介の背からあまり目を離さないように注意しながら白虎丸の返事をする。しかし、先ほどから道行く人々、特に若い女たちがクスクスと笑いながら葵の方を見てくるのが気になった。そんなに自分は変に見えるのだろうかと心配していると、どうも女たちは葵が頭に乗せた白虎丸を見て「かわいい」と言っているらしかった。恥ずかしくなって葵が頭の上の白虎丸を引っぺがしたい気持ちにかられたところで、前を歩く京介が道の端にそれて手招きした。


「今から聞き込みをして沙羅って子を探そうと思う。葵、珍しくてついよそ見するのはわかるけど、そういうのはこの着物を無事届け終わってからにして」


 京介に目ざとく注意され、たった今そばを通り過ぎていった振り売りから葵は慌てて目をそらす。京介はため息をついたものの、そのまま言葉を続けた。


「聞き込みは僕がするから、葵は僕の後ろについてくるだけでいい」


 ちょっと上から目線のその物言いに葵は文句を言いかけたものの、自分が聞き込みをうまくやれるかというと大した自信はなかったので開けかけた口を閉じることにした。


 京介は手馴れた様子で次々と聞き込みをしていった。しかし、なかなか有力な情報は手に入らない。


「ひょっとしたら巫女さんだけに羽衣神宮にいるのかもよ」


 成果の出ない聞き込みにしびれを切らして、白虎丸が言った。


「こうなんというか、出稽古的な感じで行ってるのかも」


「巫女さんの出稽古ってなんじゃそりゃ」 


 葵は呆れたようにつぶやく。だが、羽衣神宮にいるというのは一理あるかもしれない。


「なあ、京介。白虎丸のいうとおりかもよ。羽衣神宮の方で聞き込みしてみようぜ」


 葵の言葉に、京介はうーん、とうなった。


「どうかな。だってその子、あやかしを連れているんだろう。あやかしなんて神社に連れていったらまずいだろうし、離れて行動するとも考えられないし」


「でも、なんか手がかりくらいは掴めるんじゃねえかな」


「わかった。でもあと一人聞いてみるよ。それで無理だったら羽衣神宮の方へ行こう」


 そういうことで京介は近くにいた地元民らしき男に目をつけ、声をかけた。


「あの、すいません。人を探してるんですけど」


「んん?人探しか。どんな奴を探してるんだ?」


 四十代ほどのガタイの良いその男は、気前よく応じてくれた。


「十七歳くらいの女の子です。髪型はおさげで、袴をはいていて、あと巫女と名乗っていてあやかしを連れているはずなんですけど、心当たりはありませんか?」


 京介の言葉に、男は「ああ」とものすごく心当たりがあるという顔でポンと手を打った。


「あの妙な女の子のことか?」


「妙?」


「ああ。俺の家の近所の宿屋の客なんだけどよ、なんでもその子、毎日死んだあやかしの魂を鎮めに祈りに行っているらしくてな。というのも実は、三月みつきほど前に近くであやかしの大量殺戮があったんだ」


「大量殺戮?」


 物騒な単語に葵は息を飲んだ。自然と御山の襲撃が脳裏によぎる。


「おおよ。通りすがりの陰陽師がやったらしい。そのあやかしの魂を鎮めに、その子は毎日その現場に通ってお祈りしてるんだ。そんな奴見た事ねえから、近所の若僧が何人か面白半分に冷やかしに行ってよ。そしたら、その現場に辿りつく前に、何が出たと思う?」


「何が出たんですか?」


 ゴクリと生唾を飲み込んで葵は身を乗り出した。その隣で京介は涼しい顔をして男の話を聞いている。


「でっかい化け狐が出たんだってよ」 


 言いながら、男は化け狐を再現しているのか、両腕を人を襲う獣のように「ガオオ」と掲げてみせた。

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