第21話 届け物

「桜さん、おはようございます」


 京介が手を振りながら桜の君の元へと駆け寄る。葵もそのあとに続きながら訝しげに「桜さん?」と首をひねった。京介はそれに「桜の君より、そっちの方が呼びやすいだろ」となんてことない顔で答える。


 桜の君は二人が近づいてくるのに気がつくと顔を上げた。


「おふた方、おはようございます。昨晩はよく眠れましたか?」


「ええもうぐっすり」


 京介がニコニコしながら言った。「だろうな」と葵は隣で苦笑する。


「その手に持ってるのはなんですか?」


 京介が桜の君の腕の中にあるものを指し示して尋ねた。彼女の腕には薄紅色の布が抱かれている。


「これは着物です」

 桜の君はそう言うと、持っていた布をバッと広げた。葵たちの前に薄紅色の女物の着物が現れる。胸元には桜の花の刺繍がしてあり、可憐な少女を彷彿とさせる可愛らしい着物だ。


「先月この森にいらした神様から頂いた布を使い、着物に仕立てたのです。知り合いの女の子にあげようと思いまして。ですが、」


 そこで桜の君は表情を曇らせた。


「私は桜の精ですので、本体の桜の木からあまりに離れた場所へは行けないのです。だからどう渡しに行けば良いかと悩んでいて。森の動物たちに託すのも難しいでしょうし」


 葵と京介は互いに顔を見合わせた。お互いになんとなく相手が考えていることがわかる。


 京介がまず口火を切った。


「あの、その着物を届ける役目、僕たちに任せてもらえませんか?」


 京介の言葉に「良いのですか」と桜の君が目を丸くした。


「あなたがたは他にやるべきことがあるのでは?」


 京介は曖昧な笑みを浮かべる。


「いやあ、あるといえばあるんですけど、ちょっと今それをやってると危険というか。身動きが取れない状態なんですよね。だからどうせやることないですし」


 そう言う京介を肘で小突き、葵はヒソヒソと囁く。


「おい、良いのか?紫紺の動向を探りに行かなくて」


「今の状況じゃ無理だ。近づくのは危険すぎる。紫紺は僕たちの存在に気付いているし、それにあいつは都に戻る。都じゃそんなに目立った動きはしないだろう。つまり今僕らにすることは何もないってこと」


「どうせやることないから引き受けるってことか」


 葵は納得して頷く。京介は知らないが、昨夜のこともあるし彼女への恩返しになるだろうと葵も考えていたのだ。


 京介は二人のヒソヒソ話をきょとんと見ていた桜の君に向き直ると言った。


「まあ、そんなわけで僕ら暇なんで、場所さえ教えてくれればそこに届けに行きますよ」


 桜の君は「助かります」と嬉しそうに言った。


「その子は旅をしているのですけれど、今はちょうど一箇所にとどまっているらしく、届けるならちょうど今しかないのです。彼女は今、久渡平くどだいらにおります」


 葵には全く聞き覚えのない地名だったが、京介は知っていたのか「ああ」と声を上げた。


羽衣神宮はごろもじんぐうのあるところですね」


「ええ。そうです。残念ながら、久渡平のどこにいるかまではわからないのですけれども」


「大丈夫ですよ。羽衣神宮の周辺には大きな街がありますし、多分そこにいるんでしょう。名前や見た目の特徴を教えてもらえます?」


 京介に尋ねられ桜の君は少し思案してから言った。


「名前は沙羅。黒い髪をおさげに結わえた人間の女の子です。あなたがたと同年齢くらい、確か十七と言っていたかしら。袴をはいていて、お供にあやかしを連れています。あとそれから、巫女と名乗っています」


「巫女があやかしを連れているんですか?」


 京介は目を丸くする。葵も少し驚いた。当然見たことはないが、巫女という存在は知っている。巫女とは神に仕え、神楽を舞い祈祷や占いを行う女性の総称だ。陰陽師と同じくらいあやかしとは正反対にいるはずの人物。なぜそんなはずの少女があやかしと供にいるのかと葵も不思議に思った。


「ええ。これにはいろいろと事情があるのです。しかしこのことは私の口から勝手に話せることではないので、ご容赦願います」


 桜の君はそう言うと頭を下げ、京介へ着物を渡す。


「渡す時、私と主様の名をおっしゃって下さればあの子もわかると思います」


「わかりました。では届けさせてもらいます」


 京介は桜の君から着物を受け取る。


 葵は空を見上げながら桜の君に尋ねた。


「あの、昨日の黒い鳥はもういない?」


「ええ。今朝方主様と話しましたが、もう去ったとおっしゃっていましたよ」


「なら、もうここを出ても大丈夫だね」


 そう言うと京介はどこからか風呂敷を取り出すと、着物を包んで背にくくりつけた。


「え、もう行くのか?早速?」


 葵が驚いて声を上げると、京介は「うん」と頷いた。


「いつまでもここにいるわけにはいかないし。さあ、葵も準備して」


 京介はキビキビと大木の根元に置いてあった荷物を肩にかけると、葵の分の荷物も「はい。と軽く投げてよこした。


「おっと」


 葵は慌てて手を伸ばして荷物を受け止める。


「あとこれもだね」


 今度は葵の手に錫杖が押し付けられる。葵がせっかちな奴だと内心舌打ちしていると、京介は大木に向かい合い手を合わせてお辞儀した。


「森神様、一晩の宿をお貸しくださりありがとうございました」


 京介の隣に立ち、葵も「ありがとうございます」と頭を下げる。すると大木はそれに応えるようにざわざわと葉を揺らした。


 振り返ると桜の君が「お気をつけて」と言って二人に手を振っている。葵は微笑んで、「ありがとう」と手を振り返した。

 そうして、二人は森神の森を後にした。

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