第20話 加護

 うつむき黙る葵へ、森神は優しく声をかけた。


「君には山神の加護がある」


 突然そんなことを言われ、葵は涙で濡らした顔を上げた。森神は葵に近づくと、葵の肩の上へそっと自分の手を置く。


「この先君がどうなり、何を為すのかは私にはわかりません。ですが、きっとあなたが苦難にぶつかる時、山神があなたを守り助けてくれるでしょう」


 森神はニコリと微笑むと、その姿を淡い光で包んだ。まだ日の明るかった時、葵たちの前から姿を消した時と同様に光の筋となって大木へとその身を投じる。


 葵は『山神の加護』という言葉を口の中で転がした。そういえば今日の午前、頭領に手を握り締められて言われた言葉があった。


『おお、山神様よ。この尊き御山の子に加護を授け賜え』


 森神が言っていたのはあのことだったのだろうか。葵には自分に神様の加護があるのかないのかよくわからなかったが、神である森神にはちゃんと葵が山神の加護を授かっていることがわかったのだろうか。


「桜の君」


 葵はまだそこにいるはずの桜の君に声をかけた。

 振り返るとちゃんとそこに桜の君はいた。葵は彼女と向きなおる。


「いろいろと教えてくれてありがとう。山神様のこととか、いろいろ。それに、憎しみにとらわれちゃいけないってことも。でも俺にはとらわれない自信がない」


 葵は不安そうに言った。事実自信はなかった。今でも葵は紫紺を殺してやりたいと思っている。もちろん京介から国の存亡にも関わるような話を聞いたため、刺し違えてでも紫紺を殺そうとやけになっている場合ではないことはわかっている。だからと言って憎しみが弱まったかといえばそうではないのだ。憎しみの感情は依然として葵の心の中で決して消えない炎のように燃え上がっている。このままこの憎しみを抱え、突き動かされるがままいけば、自分がどうなってしまうのかと考えると怖かった。しかし憎しみをなくしてしまうのは違うような気がする。桜の君もそれがわかっていたから、憎しみは抱いてもとらわれるなと言ったのかもしれない。でもそのやり方がわからない。


「教えて欲しい。どうやったら憎しみにとらわれないで済むのか」


 真剣な葵の言葉に、桜の君は申し訳なさそうに首を横に振った。


「ごめんなさい。それはわからないの。私は人ではないから、人の心の御し方を知らない」


「そうなのか......」


 葵は少しがっかりして肩を落とす。そんな葵に、桜の君は元気づけるように言った。


「でも、あなたには山神様の加護があると主様は言っていました。あなたが道を踏み外すことのないよう、きっと山神様が見守ってくださるはずです。だから、大丈夫」


 桜の君はふわりと笑った。その笑顔は小春のような底抜けに明るい太陽のような笑顔ではなかったが、月の光のように柔らかく包み込んでくれるような笑顔だった。葵は特に根拠はなかったが、その笑顔を見て大丈夫だという気持ちになってきた。


「なんか、あんたと話してると安心してきたよ。ありがとう」


 葵がすっかり落ち着いたのを見て桜の君も安心したのか、こくりと頷いた。


「じゃあ、俺はもう寝るよ。おやすみ」


 葵がそう言うと、桜の君は目を閉じた。彼女の体が淡い光をまといながら、その身を無数の桜の花弁へと変える。花弁の群れは弧を描きながら、泉のほとりの桜の木へと戻っていった。


 それを見送ると、葵は京介や白虎丸のいる大木の根元へ戻った。心の中で森神に断りながら大木の幹に体をもたせかける。相変わらず寝心地は布団に遠く及ばなかったが、先ほどとは異なり葵の意識はすとんと眠りに落ちていった。



次に葵が目を開けた時には、すっかり日が昇っていた。辺りは朝の日差しで寝起きの葵からすればひどく眩しい。体を起こして目をこすりながら隣を見ると、そこにはもう京介の姿はなかった。


 京介を探しに立ち上がって大木の周囲をぐるりと回っていると、じきに京介は見つかった。


 手を腰に当て背伸びをしていた京介は、葵に気づくと「おはよう」と声をかけた。葵も「おはよう」と挨拶を返す。


「白虎丸は?」


 騒がしい白虎丸の姿がないことに気づき葵は尋ねる。


「ああ、白虎丸ならここ」


 そう言って京介はふところから白い紙を取り出した。またお札かと思ったが、これまで葵が目にしてきた京介の長方形型の札とは形が違う。その紙きれはちょうど浴衣を着た人のような形をしていた。上の出っ張った部分は人の頭を模しているのか丸い形をしている。


「え、その紙きれが?」


 白虎丸とは似ても似つかぬそれを指差して葵はポカンとする。京介は紙をひらひらさせながら言った。


「正確に言うとこれは白虎丸の依り代である紙人形さ。式神は本来肉体を持たない霊的なものだから、これに憑依させて肉体を持たせ具現化させるんだ。」


「へえ」


 依り代やら憑依やらその言葉の意味はなんとなくわかるが、どれも馴染みがないので葵には大雑把なことしかわからない。京介はそんな葵を知ってか知らずか話を続ける。


「式神を具現化して使役するにはそれなりに力を使うから、ずっとは出していられないんだ。だから今は戻ってもらってる。といっても、呼んでないのに気まぐれで突然出てくることもあるけどね。あ、」


 突然京介が言葉を途切らせ葵の後方をへ視線を向けたので、葵もつられて振り返った。すると、桜の木の下に桜の君が何かを持って佇んでいるのが見えた。

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