第18話 土御門紫紺

 日の光が沈み行き、群青色に染まりゆく空を、孔雀のような飾り羽を持つ漆黒の鳥が横切っていく。


黒鳥は己の体の色へと近づいてゆく空を横目に、自分の主の元へと帰っている途中だった。やがて流れゆく眼下の景色に銀色のきらめきを見つけ、颯爽とその場所へ下降する。


 銀色のきらめきは、黒鳥の主である男の銀髪から発せられたものだった。男、土御門紫紺は使役する自身の式神が戻ってきたことに気がつき空を仰ぐ。


 黒鳥は紫紺のすぐそばの地面から突き出す岩の上へ着地した。広げた翼をたたんで、賢そうな顔で紫紺を見つめると、うっすらと嘴を開いた。


あるじ、戻りました」


 落ち着いた女性の声がその嘴からこぼれた。紫紺は目を細める。


「どうでしたか?」


「神の守る森に逃げ込まれ、これ以上の追跡は困難だと判断しました」


「神の守る森?」


「その森の神に敵と判断され、私は結界に阻まれました」


 黒鳥はうなだれる。


「申し訳ございません」


「いえ、かまいません。それより、私の周囲を嗅ぎ回っていた者の姿は見たのでしょう?何かわかったことはありますか?」


「予想通り、後をつけていたのは式神でした。白い虎姿の式神です。主人の陰陽師はまだ年若い少年でありました。死なない程度の攻撃を仕掛け、反撃するときに使用する術でどこの流派の者か探ろうとしましたが、相手もそれをわかっていたのか、ただ逃げるだけで何もしてこず」


 黒鳥の淡々とした報告に耳を傾けながら、紫紺は思索に耽るように顎に手を当てがう。


「なかなか聡い相手のようですね。しかし、使役する式神の姿がわかっただけでも十分です。白い虎ですか......」


「何か心当たりでも?」


「いや、全く」


 紫紺は肩をすくめた。


「都に数多くいる陰陽師の使役する式神を、全て把握などしていませんからね。でもまあ、時間はかかるでしょうが、誰か特定する材料にはなりましょう」


「ちょうど都へ戻りますし、すぐに調査しますか?」


「いえ。かまいません。しばらくしてまだ嗅ぎ回っているようであれば、その時に探れば良いことです」


 紫紺は口元に微笑をたたえながら言った。相変わらず笑みを浮かべていても凍てついた冷たさを感じさせる男だ。


 黒鳥は紫紺の言葉に頷く。


「なるほど。了解しました。ところでもう一つ、言わねばならないことが。」


「何です?」


 紫紺は黒鳥を見やる。


「陰陽師の少年とともに、山伏姿の少年もおりました」


「山伏?なぜ山伏がともに?」


「わかりません」


 黒鳥はゆっくりと首を横に振った。紫紺は眉を寄せる。


「山伏姿といえば、昨夜の天狗を思い出しますね」


「しかし、その少年は人間でした。あやかしの気配は全くありませんでしたよ。昨夜の出来事とは無関係かと」


 黒鳥の言葉に「それもそうですね。」と紫紺は頷いた。それから、ふと何か思い出したように言った。


「そう言えば昨夜の襲撃、思ったように術を発動することができませんでした。何か別の大きな力が働いていたような......」


紫紺はしばらく何か考えている様子だったが、やがて「まあいいでしょう。」と吹っ切れたようにさっぱりした調子で考えを打ち切った。


「色々気にしていても仕方がありませんし。それに、都に帰ってからやらねばならぬことがたくさんありますしね」


「帝より直々に、此度開かれる鎮魂の祭礼の進行役を賜ったとか」


 黒鳥に言われ、紫紺は満足げな笑みを浮かべた。


「ええ。それもこれも帝の覚えがめでたいからですよ。帝も、皇后も、位の高い貴族や陰陽師でさえ、皆が私に心酔している。これほど事を成すのにやりやすい環境はありませんよ」


 ねえ、と同意を求めるように紫紺は己の式神を見やった。黒鳥は「主様の悲願の成就を邪魔できる者はいないでしょう。いざとなれば、権力でいかようにも始末できますから」と恐ろしげなことを言った。紫紺はそれに声を立てて笑う。


「ええ。権力とは怖いものです。人を死に追いやらずとも、社会的な死を与えることができる。そして私にはそれが可能だ」


 紫紺は帝から絶大な信頼を得ている。さらに陰陽寮という朝廷内の一大機関の権力を牛耳っており、朝廷内での発言力も大きい。つまり、彼からの不興を買うということは社会的な死につながることを意味していた。だからこそ、紫紺は自分の身の周りを嗅ぎ回っていたという陰陽師の勇気を内心讃えていた。しかし讃えてはいても脅威とは思わない。ただその勇気に免じ、これ以上大きな邪魔をしないようなら見逃してやろうと考えるだけだ。


 紫紺は闇に沈みゆく空を眺めながら誓うように言った。


「必ずやこの世からあやかしを失くし、この百世ももよの国を真に清浄な国へ変えてみせよう」

 

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