学級制の成り立ちと意味

 「隠れたカリキュラム」については「社会化」についての考察と少々被るので割愛する。

 今回は主に「学級制」の導入について語っていきたい。そもそも、授業プリントにもあるように、日本においては学級制が取り入れられる前は等級制であった。つまり能力があればすぐにでも級が上がったし、すぐにでも卒業できるわけである。これはこれで面白い(ある意味で合理的な)システムなのだが、明治24年から完全に学級制に転換される。この方向性の転換にどのような意味があるのかを考えていきたい。

 時代背景を見ると、日本は明治前半、列強諸国に後れを取っておりなんとかして国力を増強し日本も追いつこうとしている段階である。教育に限らず様々な制度改革を実施している時期で、殖産興業富国強兵と様々にスローガンを掲げ、実際に国が直接改革を命じることもあった。教育もその一環で学級制に変わったわけなのだが、それがどう国力増強に繋がるのであろうか。

 杉村氏は文部省の資料を挙げながらこう解説している。

『等級制を固守し、学校規模に従ってそれを変則する方法を知らないため、全校生徒が40、50 名に満たない村落の学校では、第7、8 級の生徒が多く、第1 級の生徒は1、2 名に過ぎないと、等級制を非難している』

『人口が少ない村落の学校では、数級の生徒を一緒に教授し、教師の数を減らして費用を節約できる変則法を用いなければとうてい教育を行なうことは難しい』

 この解説をさらにかみ砕けば、「子供の人数が少ないと横並びに学力が落ちやすい」「等級制よりも学級制の方が教師数が少なくて済む」ということになろうか。

 ここではいわゆる現場レベルの話なのだが、国家レベルでも学級制への転換は意味があるらしい。というのも、この時日本政府は「国力増強」を考える上で「一体感」が重要であるという考えを持っていた。つまりは国の力全てを政府に集中させ、政府が力を握ることによって他国と渡り合おうとしたのである。それはそのまま「国家主義」に繋がる。その国家主義政策の一環として「すべての子供に同じ一つの教室で学ばせる」学級制が成立したのである。


 そう考えるとよくもまあその付け焼刃のような制度が今まで続いているものだと思う。ただ、個人的にいろんな人間が同じ教室に通うということはやり方さえ間違えなければいい化学反応を起こすと思っている。きっかけはなんであれ、現状を見てよいところは受け継ぎ、時代にそぐわぬ部分はすぐに修正していくことが何事も肝心なのだと感じている。


参考

授業プリント(第五回)

杉村美佳(2015)「明治期における等級制から学級制への移行をめぐる論調―教育雑誌記事の分析を中心に―」

(https://www.jrc.sophia.ac.jp/uploads/2015/04/36.02-Sugimura-3.pdf#search=%27%E7%AD%89%E7%B4%9A%E8%A3%BD%E6%95%99%E8%82%B2%27)

谷中修吾(2004)「明治時代前期の教育 ~国家主導の教育の考察~」

(https://www.mskj.or.jp/report/2586.html)

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