第5話

 私は最後の恋の部分を伏せて、橘さんにユリさんとの出会いと先生からの卒業について話した。

「なるほど。百合之江が君のことを気にかけてるわけだ」

 橘さんは笑っていた。けれど、それは私を嘲ってのものではなかった。この人が私の言ったことすべてを信じてくれたとは思わないけれど、予想していた最悪のリアクションがなくて安心した。先生のことを他人に話したのはユリさん以外で初めてのことだったので、緊張していたのだ。

「これが私の秘密です」

「二人は強く結びついてるんだな。俺なんかじゃ割って入れそうもないくらい」

 にへらと笑った橘さんはどこか幼く、可愛らしい人だった。それがなんだかむかついた。彼が言う絆と、私が欲しい絆がまったく別のものだったから。腹いせというほどではないけれど、少し意地悪したくなった。ずっとしたかった、語るには少し気恥ずかしい話を振ろう。

「橘さんはユリさんとお付き合いしてるんですか?」

「まさか」

 ないない、と橘さんは手を振って否定していたけれど、首筋が赤くなっていたので、おしいところを突けたらしい。きっと、彼の片想いなんだ。

「たぶん、好きですよ」

 自分でもなんてことを口走ったのだろう、と慌てていると、橘さんは訝しげな顔で私のことばを聞き直した。私は大学で二人を見たときの感想を素直に伝えた。

「ユリさん、橘さんのこと好きだと思いますから、告白するといいですよ。女の勘ですけど」

 私は彼の顔を見ることができなかった。

「そっかあ。女の勘なら、信じなきゃねえ」

「はい。必ずうまくいきますよ」

 自分で言っていて泣きそうだった。でも、私じゃ駄目なんだ。私では、ユリさんをあんな風に笑わせてあげることはできない。

 ユリさんを楽しませられて、私の話を真剣に聞いてくれた優しいこの人になら、ユリさんを任せられる気がした。

「じゃあ、頑張ってみるよ。君も、日が落ち切る前に帰りなよ」

 橘さんは立ち上がり、荷物を持って公園から出ていった。彼は一度として振り返ることなく去っていった。

 私はベンチに残ったまま、先生を抱きしめて泣いた。先生は際限なく落ちてくる涙を舐め取ってくれた。舌のざらざらとした触感が少し痛かったけれど、気を紛らわせるにはちょうどいい。


 冬の日のように、ユリさんが迎えに来てくれることはない。彼女が大切に思う相手は私から橘さんに変わったのだから。

 不意に、ユリさんが描いた絵を思い出した。白い花弁の月下美人。やっぱり私はあの花とよく似ている。月明かりに照らされて咲き、朝焼けを浴びて散るあの花と。誰にも気づかれることなく咲き、誰かに摘まれることなく散るあの花と。

「そうだね。本当にそっくり」

 やわらかい声が聞こえ、私は涙にぬれた顔を拭うことなくあげた。逆光のせいで、話している当人がどんな顔して話しているのか、私にはわからない。

「でもね、見てる人は見てるんだよ、月下美人の開花。今か今かって連日連夜見守ってる。わたしもそうやって見届けたよ。綺麗だった」

 彼女は細い指で私の涙を拭い、流れるような動作で指についた滴を舐めとった。

「よく似てるんだったらさ、わたしが見つけられないはずないよね? ずっとずっと見てたんだもの」

 そう言って、私を胸に抱き寄せた。マフラーがないから、私の鼻水はきっと彼女のシャツにつくのだろう。

 ああ、もうなにも見えない。けれど、咲いた花が散ったかどうか、判断するのはまだ早いのかもしれない。

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月下美人 音水薫 @k-otomiju

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