三、心

 特急馬車の乗り心地はいっこうに改善されない。腰をもぞもぞ動かすが役に立たない。大誓約山脈が見え、駅に着く頃には腰や背中に板が入っているようにこわばる。

 しかし、前と同じなのはそこまでだった。駅を降りると役人が迎えに来た。

「レディがお待ちです。お疲れでしょうが、すぐに参りましょう」

「手続きは?」

「不要です。言われませんでしたか? 手続きなしで最優先、と。レディの指示は、言葉通りに実行されます」

 ひとりで洞窟に入ると、発光石の色が変わっていた。前よりも黄色みのかかった柔らかい色になっている。


「ようこそ、お待ちしてたわ。さあ奥へ。椅子を用意したのよ。気に入ってくれるといいけど」

 ドラゴン・レディは前と同じく、洞窟の奥で香箱を組んでいる。

「明かりを変えたんですね」

「あら、気づいてくれた? こっちのほうがいいでしょ。椅子に合わせたのよ。どうぞ」

 椅子は長椅子で、細かい刺繍をほどこしたやわらかい敷物が敷いてあったが、沈み込むほどではなく、痛い腰と背中を快適に支えてくれる。レディはできるだけ頭を低くし、顔を覗きこんで言う。

「馬車の旅、大変でしょ。その椅子だったらちょっとは楽かと思って。横になってもいいのよ」

 さすがにそこまで無遠慮なことはできないが、足乗せを使うとかなり楽になった。

「お仕事、大変?」

「はい。なぜか事件というのは途切れないようです。休暇も取れません」

「気球の事件ね」

「その件ですか。お呼び出しは」

「お呼び出し、とか、お、はつけなくていいの。そんな他人行儀は悲しいわ」

「敬意を表しながら、親しく話すのは難しい。私たちの言葉はそこまでよくできていません」

「しょうがない子たちねえ。人間は」

「お許し……、勘弁してください」

「ちょっと良くなった」

 レディは事件について心配していると言った。自分の会社で起きた殺人事件。早く解決し、犯人にはしかるべき責任を取らせたい。


「カノウ捜査部長に頼んで外部協力者にしてもらったのよ。だから、あなたの調べたこと、最新情報を教えてほしいの」

 即座に返事できなかった。

「どうなさったの? そんなに驚くことではないでしょうに。帝国治安警察の立ち上げにはちょっとばかり関わってるのよ。知り合いも多いわ」

 話をしているとついレディの歳を忘れてしまうが、このドラゴンは生きている歴史なのだ。私は頷いてこれまでの捜査について話した。

「じゃあ、動機があるのはトミタっていう技術者なのね。でも機会がない。あと、武装妖精。こっちは機会はたっぷりあったけど、まずあり得ない」

「その通りです」


「ほんとに上昇中に殺されたの? 観測籠の窓は閉じられていたんでしょ? 生きているのを最後に見たのは誰?」

「密閉したのはトミタです」


「おまじないはどうなったの? 糸なし操りのほうよ」

 私はレディの目を見た。光をわずかに反射し、残りのほとんどを吸収している。山奥の泉のようだった。

「旗の操作桿は軽いの?」

 腰掛け直す。気球の構造図を思い浮かべ、頭のなかでレディの推測を絵にしてみた。 


「状況整理?」

「はい」

「糸口をつかんだのね」

「つかみました」


「レディ。ご協力に感謝します。示唆を与えてくれたことに」

 ドラゴンは香箱を解いた猫がするような伸びをした。桃色の翼が頭上を覆う。


「ねぇ、限りある生命なのに、なぜ殺すの」

「理由はそれこそ数え切れないほどあるでしょうが、人間個人で言うなら、心の折り合いがつかなくなるからではないでしょうか」

 レディは首を傾げる。

「あなた、大誓約が破棄されて、アケボノ王から命令されたら、あたしを殺せる?」

 レディらしく、話が飛んだ。私は少し考えて頷く。嘘をついてはいけない。

「全く非現実的な仮定ですが、もしそうなったとして、アケボノ王の勅令であれば私は従います。帝国市民としての責任です」

「その時、折り合いはついてるの、ついてないの? 殺すことに対して」

「勅令なので、王に責任をかぶせて折り合いをつけます。……いや、それは無責任すぎますね」

 私は頭を振った。

「レディ、いじめないでください」


 ドラゴンは大きく翼を広げた。濃い桃色に染まっていく。伸び切った所で色は薄れ、折り畳まれた。


「あなたは本当に可愛らしい」

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