第二話 四十分の死角

一、魔法協会から来た女

 魔法協会から来た女はノジリと自己紹介した。こちらも挨拶を返したが、すぐに長い杖をかざして呪文を唱え始めた。私や警察官たちは一歩下がって待つ。

 気球は整備棟に運び込まれ、水素の抜けた気嚢は折りたたまれていた。観測籠だけが台座に乗せられており、その横には覆いのかけられた被害者の遺体が横たわっていた。胸の刺し傷からの出血はすでに止まっている。

 午後の太陽が天井の明り取りから照らし、小鳥の鳴き声がした。首都郊外の野原は、こんな事件がなければのんびりするのに最適の春でいっぱいだった。


「終わりました。微量の力が検出されました」

 ノジリが私を呼んで言った。

「どういった種類の力ですか。それに、微量とは?」

「魔法でも霊力でもありません。宴会の余興で使うまじない程度の力です。それに、刺し殺せるほど強力でもありませんでした」

「実験開始時に景気づけの紙吹雪が飛ばされています。それでは?」

「かもしれませんが、力を検出したのは籠の中からです。済みません。微量過ぎてそれ以上正確な位置は特定できませんでした」

 ノジリは黒服のフードをおろした。まとめた銀髪がこぼれ、若い女性に流行っている香水の香りがした。後ろでは警察官たちが被害者の遺体を運び出していた。それを見送りながら続ける。

「ただ、この力がなんであったにせよ、あのような刺し傷を作るのは不可能です。生命に影響を及ぼせる種類のものではありません」

「では、魔法的な力と事件は無関係ですか」

「そうも言いきれません。治安警察は魔法協会、いいえ、私を容疑者とすべきです。そして、私はその疑いを晴らすため、捜査にご協力したい」

 私はノジリの目を見た。

「説明して下さい」

 ノジリに転がっていた椅子を勧め、私もそこら辺の腰掛けを引き寄せて座った。


「この気球の試験が行われたのと同時刻、午前七時に、ここから西五キロほどの訓練場で武装妖精の訓練を行っていました。私がです」

 頷いて先を促した。

「十体の武装妖精を召喚し、編隊飛行の訓練を行っていましたが、七時半に一体が行方不明になり、同五十分に発見。捕獲しました。二十分間の行動が不明です」


 私は手帳を開いてその証言を書き取り、事件の記録と突き合わせた。


 気球の試験は午前五時に始まり、六時半に被害者のマスダ氏が乗り込んだ。七時三分に上昇を開始し、同四十三分予定高度に到達。しかし、気球の観測窓は閉じられたままで、旗による合図もなかった。何らかの異常が発生したと判断。同四十八分から繋留索を巻き取って降下。八時七分地上到達。観測籠内にてマスダ氏が死亡していた。胸に刺されたような傷があったが凶器は発見されていない。


「武装妖精とは、正確にはどのような存在ですか」

「主に霊的な侵略に対抗するための戦力です。訓練されていない者には見えません。だいたい子供くらいの大きさと形ですが、尖った嘴を持っています。通常は編隊を組んで都市上空を飛行し、霊界から侵入する脅威に対処します」

「我々人間を攻撃しますか」

「理論上はあり得ます」

「理論上?」

 ノジリは頭を傾けた。どう説明したらいいか考えているようだった。

「本来妖精は、肉の存在である人間には興味を持ちません。しかし、数千から数万体に一体ほど、肉に興味を持つ突然変異体が現れることがあります」

「そういう……変異体、が現れたと仰るのですか」

「回収した妖精は変異していませんでした。今は観察下に置かれています」

 私の目を見る。

「そうは言っても、あの刺し傷は刃物のように尖ったものによるのは明らかです。可能性がある以上、捜査に加わらせて下さい」

「私の一存ではなんとも言えませんが、多分、難しいでしょう。あなたの仰るように容疑があるなら、捜査に協力させるわけにはいかない。まあ、一応、協会から依頼を出して下さい」

「分かりました。しかし、なんとかなりませんか」

 私は首を振った。ノジリは口をぎゅっと結んで帰っていった。杖の影が長く伸びていた。

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